アンリ・バルビュス

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アンリ・バルビュス
Henri-Barbusse.jpg
誕生 1873年5月17日
アニエール=シュル=セーヌ
死没 1935年8月30日
モスクワ
職業 小説家
代表作 『砲火』 - ゴンクール賞受賞。
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アンリ・バルビュスHenri Barbusse, 1873年5月17日 - 1935年8月30日)は、フランス作家、社会運動家。

人物[編集]

反戦小説『砲火』を書き、ゴンクール賞受賞。戦場体験にもとづいた反戦運動「クラルテ運動」(「クラルテ」とは光明の意、社会主義的な国際平和運動)を展開し、小牧近江種蒔く人の人々、小林多喜二ら日本の作家、芸術家にも影響を与えた。フランス共産党に入党し、ソ連擁護の立場で反ファシズム、反戦運動を展開した。スターリンの伝記を改作していた時、モスクワで客死した。エスペランティストでもあった。

経歴[編集]

  • 1889年、16歳でパリに出る。新聞記者をしながら詩の創作活動を始める[1]
  • 1908年、隣室の人々の生活を覗き見するという一種エロティックな小説『地獄』で注目を集めた。
  • 1914年、第一次世界大戦の際、41歳でフランス陸軍に志願入隊し、17ヶ月間ドイツ軍と闘った。その間危険な前線勤務にこだわり続けた。
  • 1916年、反戦小説『砲火』を書き、ゴンクール賞受賞。
  • 1917年、退役軍人共和連合を結成。
  • 1919年、小説『クラルテ』を発表。社会主義的な反戦運動である「クラルテ運動」を展開[1]
  • 1923年、フランス共産党に入党。フランスでのプロレタリア文学の運動を展開しようと試みた。
  • 1932年、ロマン・ロランらとともに国際反戦会議を招集し、最終的にアムステルダムでの開催にこぎつける。
  • 1933年、反戦反ファシズム国際委員会常任役員として活動。
  • 1935年8月30日、急性肺炎のため、滞在先のモスクワで死去[1]

作品[編集]

  • 小説『地獄』(1908年)※日本語訳
  • 小説『砲火』(1916年)※日本語訳
  • 小説『Le couteau entre les dents(私の歯の間のナイフ)』(1921年)
  • 小説『耶蘇』(1927年)※日本語訳
  • 『Manifeste aux intellectuels(知識人マニフェスト)』(1927年)

日本への紹介[編集]

『地獄』(布施延雄訳、新潮社、1921年)[2]がもっとも早く、『闘争に赫く光』(青野季吉訳、日本評論社出版部、1923年)[3]、『クラルテ』(小牧近江佐々木孝丸訳、叢文閣、1923年)なども早い時期に翻訳されている。

「クラルテ」は、『種蒔く人』などの初期プロレタリア文学運動に影響を与えた。小樽在住時代の小林多喜二も、同人誌に「クラルテ」の名前を与えている。

参考文献[編集]

  • J.P.ベルナール著『フランス共産党と作家・知識人 1920〜30年代の政治と文学』(原題:La Parti communiste francais et la question litteraire,1921-1939.杉村昌昭訳、柘植書房、1979年)[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c バルビュス - Yahoo!百科事典 日本大百科全書(小学館) 稲田三吉
  2. ^ 書誌ID 000000582606
  3. ^ 書誌ID 000000588227
  4. ^ 書誌ID 000001424775

外部リンク[編集]

アンリ・バルビュス友の会サイト BIENVENUE sur notre site HENRI BARBUSSE