アンナ・マリア・フォン・デア・プファルツ

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アンナ・マリア・フォン・デア・プファルツ
Anna Maria von der Pfalz
Maria of the Palatinate-Simmern.jpg
出生 (1561-07-24) 1561年7月24日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ハイデルベルク
死去 (1589-07-29) 1589年7月29日(28歳没)
 スウェーデンエスキルステューナ、エスキルステューナ宮殿
配偶者 セーデルマンランドカール
子女 一覧参照
父親 プファルツ選帝侯ルートヴィヒ6世
母親 エリーザベト・フォン・ヘッセン
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アンナ・マリア・フォン・デア・プファルツAnna Maria von der Pfalz, 1561年7月24日 - 1589年7月29日)は、ドイツのプファルツ=ジンメルン家の公女で、スウェーデンカール9世の最初の妻。セーデルマンランド公爵夫人(hertiginna av Södermanland)。夫の即位以前に死去したため、王妃にはならなかった。スウェーデン語名はマリア・アヴ・プファルスMaria av Pfalz)。

生涯[編集]

プファルツ選帝侯ルートヴィヒ6世とその妻でヘッセン方伯フィリップ1世の娘であるエリーザベトの間の第1子、長女として生まれた。1579年5月11日にハイデルベルクにおいて、スウェーデン王ユーハン3世の末弟のセーデルマンランド公カールと結婚した。結婚後はスウェーデンに移り、夫の治めるセーデルマンランド地方に住んだ。

マリアは美しく親切で社交的な貴婦人だったが、病弱でもあった。マリアは物静かな性格で、夫のカールは対照的に烈しい性格だったが、2人の結婚生活は幸福だったとされる。マリアは6人の子供を産んだが、成長したのは娘1人だけだった。マリアは長く患った後、エスキルステューナ宮殿で亡くなり、ストレングネースのストレングネース大聖堂に葬られた。夫のカールはマリアの死を深く嘆いたが、1592年にはクリスティーネ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプと再婚した。

ヴェストラ・イェータランド県の小都市マリエスタードの市名は、マリアの名に因んでいる。

子女[編集]

  • マルガレータ・エリザベト(1580年 - 1585年)
  • エリサベト・サビーナ(1582年 - 1585年)
  • ルドヴィグ(1583年)
  • カタリーナ(1584年 - 1638年) 1615年、プファルツ=クレーブルク公ヨハン・カジミールと結婚
  • グスタフ(1587年)
  • カール(1588年 - 1589年)