アンドレイ・ペルロフ

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獲得メダル
EUNの旗 EUN
陸上競技
オリンピック
1992 バルセロナ 男子50 km競歩
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
世界陸上選手権
1991 東京 男子 50 km競歩
ヨーロッパ陸上選手権
1990 スプリト 男子 50 km競歩

アンドレイ・ペルロフロシア語: Андрей Борисович Перлов、ローマ字、Andrey Borisovich Perlov 1961年12月12日 - )は、ソビエト連邦ロシアの陸上競技選手。1992年バルセロナオリンピックの金メダリストで男子20km競歩50km競歩の元世界記録保持者である。ノボシビルスク出身。

経歴[編集]

ペルロフは、1980年代から1990年代に活躍した競歩選手である。1991年まではロシアの代表として、1992年は独立国家共同体の代表として活躍した。

ペルロフが最初にメジャータイトルを獲得したのは1990年にユーゴスラビアスプリトで行われたヨーロッパ選手権である。この大会の50km競歩で、東ドイツのベルント・グンメルト、ハートヴィッヒ・ガウダーらをおさえ3時間54分36秒で金メダルを獲得した。

翌1991年に東京で開催された世界選手権でも50km競歩に出場。午前7時スタートにもかかわらず、気温25度、湿度97%、さらには台風直撃という過酷な条件の下でレースは行われた。レースは、ソ連の2人、ペルロフと、アレクサンドル・ポタショフが3位のガウダーらに差をつけて終盤を迎えた。競技場に入っても2人は併歩したまま、そして最後の直線に入っても競おうとせず、ついに2人はゴール直前肩を組み仲良くゴールインした。タイムは2人とも3時間53分09秒であったが、100分の1秒ポタショフが先着しており、ペルロフは銀メダルとなった。

ペルロフは、翌1992年にはバルセロナオリンピックの50km競歩に出場。残り10kmで独歩態勢に入ると、3時間50分13秒で、メキシコカルロス・メルセナリオらをおさえ、金メダルを獲得した。

バルセロナオリンピックの後、引退した。

自己ベスト[編集]

  • 20km競歩 - 1時間18分20秒 (1990年)
  • 30km競歩 - 2時間02分41秒 (1989年)
  • 50km競歩 - 3時間37分41秒 (1989年)

エピソード[編集]

  • 1991年世界陸上選手権の前哨戦として行われた、1991年IAAFワールドカップ競歩男子50km(サンノゼ)では終盤メキシコカルロス・メルセナリオを振り切りトップでゴールに向かっていたが、ゴール手前3mのところで失格となった(実際には残り400mで失格の宣告を受けたが、納得のいかないペルロフはそれを振り切ってゴールまで向かったが主任審判員から体当たりをされて止められた)。
  • 1991年世界陸上選手権での肩組みゴールイン後、テレビインタビューでポタショフ、ペルロフともに肩を組んだことについて「お互い友達同士なのになぜ1位、2位を争う必要があるんだ?」と語った。その後、2人は授与されたメダルを2つに切って分けあっている。なお、ペルロフは1985年ユニバーシアード神戸大会男子20km競歩でも、同じソ連のモストビクと肩を組んでゴールしてやはり2位と判定された。
  • 1989年にマークした男子50km競歩の世界記録は11年間破られなかった。その間、1990年に男子20km競歩でも世界記録をマークし、史上初の2種目同時世界記録保持者となった(2015年にヨアン・ディニズが2人目の達成者となった)。なお、1989年には男子30km競歩でも世界最高記録をマークしている。

主な実績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1985 IAAFワールドカップ競歩 マン島イギリス王室従属国 50km競歩 2位 3時間49分23秒
1985 ユニバーシアード 神戸日本 20km競歩 2位 1時間25分52秒
1989 IAAFワールドカップ競歩 ロスピタレット(スペイン 50km競歩 2位 3時間44分12秒
1990 ヨーロッパ陸上選手権 スプリトユーゴスラビア 50km競歩 1位 3時間54分26秒
1991 世界陸上選手権 東京(日本) 50km競歩 2位 3時間53分09秒
1992 オリンピック バルセロナ(スペイン) 50km競歩 1位 3時間50分13秒

外部リンク[編集]