アンドレイ・コピィロフ

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アンドレィ・コピィロフ
基本情報
通称 ザ・ロシアン・サンボマスター
死神サンビスト
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 1965年6月10日(50歳)
出身地 エカテリンブルク
所属 リングス・ロシア
ロシアン・トップチーム
身長 188cm
体重 120kg
階級 ヘビー級
スタイル サンボ
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アンドレィ・コピィロフAndrei Kopylov、男性、1965年6月10日 - )は、ロシア総合格闘家エカテリンブルク出身。ロシアン・トップチーム所属。サンボソ連元王者。

来歴[編集]

リングスでは、その関節技技術と、「ロシアのヒグマ」(高柳謙一アナウンサーが命名)と形容される怪力を武器に活躍した。

1992年に来日し、初戦でヴォルク・ハンに勝利。前田日明にも3度目の対戦で勝利を収めた。しかし、トーナメント戦ではなかなか勝ちに恵まれず、戦績はやや伸び悩んだ。

1999年12月22日に行なわれた『RINGS KING OF KINGS 1999』での1回戦では、世界柔術ヘビー級王者だったカステロ・ブランコを試合開始16秒でビクトル投げからの膝十字固めで一本勝ち。同日に行なわれた2回戦でもリカルド・フィエートを試合開始8秒でアキレス腱固めで一本勝ち。この日の2試合の合計試合時間はわずか24秒である。

2000年2月26日に行なわれた準々決勝では、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦。判定で敗れたが、壮絶なグラウンド戦を展開した。

グラウンドの技術は世界最高峰だったが、3分で全スタミナを消費してしまう。ヘロヘロになりながら繰り出される打撃は、「コピィロフ酔拳」と揶揄された。リングスでのヒカルド・アローナ戦でも、スタミナが切れてしまい、なんとか判定まで持込んだものの、ジャッジを務めていたクリス・ドールマンに、「10-20」というスコアを付けられた。

現在は第一線を退き、コーチング、個人事業に専念している。

オルロフ・バベルとの対戦時、お互いに脚関節技を掛け合ってパズルの様に絡み合ってしまい、レフェリーの力を借りていた。

サンビスト時代には、後に掣圏道の中心ファイターにもなったボリショフ・イゴリと対戦し、2回対戦して2回ともコピィロフが勝ったという。これはイゴリが発言した「1勝1敗」とは食い違うものだが、コピィロフ曰くイゴリは何もできなかったらしく、イゴリもサンボの技術を出すことはなく、格闘技界からフェードアウトしている。

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
11 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
4 0 3 1 0 0 0
7 3 0 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× マリオ・スペーヒー 1R 6:02 TKO(ドクターストップ:上唇裂傷) PRIDE.22 2002年9月29日
× ヴォルク・ハン 6:15 腕ひしぎ十字固め リングス WORLD TITLE SERIES Grand Final 2002年2月15日
× ヴォルク・ハン 延長R終了 判定 リングス・ロシア RUSSIA vs BULGARIA 2001年4月6日
× トム・サワー 1R 0:10 KO(パンチ) リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック
【1回戦】
2000年12月22日
× ダン・スバーン 2R(10分/5分)終了 判定0-3 リングス MILLENNIUM COMBINE III 2000年8月23日
× ヒカルド・アローナ 2R(10分/5分)終了 判定0-3 リングス MILLENNIUM COMBINE 2000年4月20日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 5分2R終了 判定0-1 リングス KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL
【準々決勝】
2000年2月26日
リカルド・フィエート 1R 0:08 アキレス腱固め リングス KING OF KINGS 1999
【2回戦】
1999年12月22日
カステロ・ブランコ 1R 0:16 膝十字固め リングス KING OF KINGS 1999
【1回戦】
1999年12月22日
× 山本宜久 1R 6:55 チョークスリーパー リングス 前田日明 引退試合 〜The Final〜 1999年2月21日

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]