アンドリー・ディカン

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アンドリー・ディカン Football pictogram.svg
Andrey Dikan IMG 3527.jpg
名前
本名 アンドリー・オレクサンドロヴィチ・ディカン
ラテン文字 Andriy Oleksandrovich Dikan
ウクライナ語 Андрій Олександрович Дикань
基本情報
国籍 ウクライナの旗 ウクライナ
ロシアの旗 ロシア
生年月日 1977年7月16日(38歳)
出身地 ハルキウ
身長 192cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム ロシアの旗 スパルタク・モスクワ
ポジション GK
背番号 31
代表歴
2010- ウクライナの旗 ウクライナ 3 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドリー・オレクサンドロヴィチ・ディカンウクライナ語: Андрій Олександрович Дикан、:ロシア語 Андрей Александрович Дикань、ラテン文字: Andriy Oleksandrovich Dikan、1977年7月16日 - )は、ウクライナハルキウ出身のサッカー選手。ポジションはGK

来歴[編集]

クラブ[編集]

1977年にハルキウで生まれた。1996年からウクライナ・ファーストリーグ(2部)などでプレーし、1999年にロシア・セカンドディビジョン(実質3部)に所属していたFCSKA-エネルギア・ハバロフスクへ移籍した。正GKとして活躍していた2001年、ロシアの強豪のロコモティフ・モスクワからオファーを受けたが、ハバロフスクに留まる事を選択した。2001年にはロシア・セカンドディビジョンにて6ゴールを挙げた[1]。2002年、ロシア・ファーストディビジョン(実質2部)の開幕戦ではPKを外し試合は1-0で敗れた。SKA-エネルギア・ハバロフスクでは計9ゴールを挙げた。

2004年、FCクバン・クラスノダルへ移籍。初年度こそ準レギュラーだったが、1年後にはレギュラーを獲得した。2007年、クバンにウラジミール・ガブロフが加入したために出場機会が減り、2008年1月、ウクライナ・プレミアリーグ(1部)に所属するタフリヤ・シンフェロポリへ移籍した。

2009年1月、タフリヤとの契約が切れ、ロシアのFCテレク・グロズヌイに移籍。2010年シーズン、テレクでの活躍がロシアの強豪スパルタク・モスクワの関心を引き、同年8月26日、スパルタクで出場機会を失っていたソスラン・ジャナエフとのトレードにより、スパルタク・モスクワへ移籍した[2]。移籍後、間もなくして行われたUEFAチャンピオンズリーグでは、正GKとして出場した。第一試合の相手はフランスの強豪オリンピック・マルセイユ。試合序盤から押し込まれる展開が続いたが、好セーブを連発し、ゴールを死守。後半36分、相手側のセサル・アスピリクエタオウンゴールをして1-0となり、オリンピック・マルセイユのさらなる猛攻が続いたが、これを悉く跳ね返し、スパルタクの勝利に貢献をした。

その後、スパルタクはグループリーグを3位で終えUEFAヨーロッパリーグへ周った。 ベスト8進出をかけたアヤックスとの戦いではホーム・アンド・アウェーの両方で無失点に抑え、クラブのベスト8進出に貢献をした。

代表[編集]

2010年6月2日、ノルウェー代表との親善試合でウクライナ代表デビューした[3]

人物[編集]

ディカンは既婚者であり、2人の子供がいる[4]

所属クラブ[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]