アンツィラナナ

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アンツィラナナの位置
南緯12度16分45秒
東経49度17分31秒

アンツィラナナ(Antsiranana)とは、マダガスカルの北端に位置する都市。1975年まではディエゴ・スアレス(Diego-Suárez)と呼ばれていた。アンツィラナナはアンツィラナナ自治州、およびダイアナ(Diana)地域圏の首府である。

交通[編集]

アンツィラナナは天然の良港を持つが、マダガスカルの主要地域から離れていること、最近まで南部への道路網が整備されていなかったことから、第二次世界大戦後は物流拠点としては重要視されなくなっている。なお市内のアラチャート空港からマダガスカル各地へ定期便が運航されている。

歴史[編集]

フランス領時代[編集]

旧名のディエゴ・スアレスとは、ここを訪れたポルトガルの航海者ディエゴ・スアレスにちなんで命名された[要出典]1880年代にはいると、アンツィラナナの湾部は、蒸気船の給炭地を設けようとするフランスに狙われることとなった。フランスと当時マダガスカルを支配していたメリナ王国との最初の戦い(the first Franco-Hova War)の後、1885年12月17日に、メリナ王国の女王ラナバロナ3世ノシ・ベ島セントメリー島とともに、アンツィラナナとその周辺部をフランスの保護領とする条約に調印した。なお、これらの地域は1896年に他のフランス領マダガスカル植民地に包括された。

日露戦争の際には、日本に向かう途中のバルチック艦隊がアンツィラナナに停泊して補給を行っている。

第二次世界大戦[編集]

1940年にフランス本土がドイツ軍の占領下におかれた際に、マダガスカルの植民地政府が枢軸国側のヴィシー政権側についた上に、1941年にイギリス軍との間に開戦した日本軍が瞬く間にインド洋からイギリス軍を放逐してインド洋全域の制海権を握った。その後イギリス軍をはじめとした連合国軍は、日本軍がマダガスカルを無血占領しアフリカ大陸へ勢力圏を広げることを阻止すべく、1942年にアンツィラナナをはじめとするマダガスカル全土への侵攻を行い、ヴィシー政府軍との間に戦闘が発生した。

同年5月には、ヴィシー政権からの依頼を受けてマダガスカルに展開した日本海軍の潜水艦から発進した特殊潜航艇が、アンツィラナナ港に停泊していたイギリス海軍艦隊を攻撃しタンカー1隻を撃沈、戦艦1隻を大破させた。さらにその後日本軍兵士が上陸しイギリス軍兵士と戦闘を行った(詳細はマダガスカルの戦いを参照)。しかし日本軍は戦略的に重要でないマダガスカルのヴィシー政権軍への軍事支援をこれ以上行わず、その後ヴィシー政権軍が連合国軍に敗北し、大戦終結までの間アンツィラナナは連合国軍の占領下におかれた。

独立以降[編集]

第二次世界大戦終結後に連合国軍は撤退し主権がフランスに返還された。その後1960年にマダガスカルが独立して以降もフランス軍はアンツィラナナに軍事基地を置いており、それは1973年にマダガスカルに社会主義革命が起こるまで続いた。

切手[編集]

切手についてはディエゴ・スアレスの切手(en)を参照のこと

関連項目[編集]