アンギクニ湖

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アンギクニ湖(Angikuni Lake)
Angikuni Lake.JPG
アンギクニ湖 2014年7月
アンギクニ湖(Angikuni Lake)の位置(ヌナブト準州内)
アンギクニ湖(Angikuni Lake)
アンギクニ湖(Angikuni Lake)
Location in Nunavut
場所 ヌナブト準州キヴァリク地域
座標 北緯62度12分 西経99度59分 / 北緯62.200度 西経99.983度 / 62.200; -99.983 (Angikuni Lake)座標: 北緯62度12分 西経99度59分 / 北緯62.200度 西経99.983度 / 62.200; -99.983 (Angikuni Lake)
主な流入 ケイザン川(Kazan River)
主な流出 ケイザン川(Kazan River)
カナダ
水面積 510 km2 (197 sq mi)
水面標高 257 m (843 ft)
多数
自治体 uninhabited
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アンギクニ湖(アンギクニこ、Angikuni LakeLake Anjikuniとも)[1]は、カナダヌナブト準州キヴァリク地域にある湖である。ケイザン川(Kazan River)沿いにあるいくつかの湖の1つである。エナダイ湖(Ennadai Lake)は南に、ヤスカイエド湖(Yathkyed Lake)は北にある。

地理[編集]

湖岸は、チャーチル・クラトン(Churchill Craton)のウェスタン・チャーチル・プロヴァンス(Western Churchill province)、ハーン・ドメイン(Hearne Domain)の一部である、先カンブリア時代の楯状地の岩がちな露頭で有名である。

動物[編集]

バレンーグラウンド・カリブー(Barren-ground Caribou)がこの地域を移動する。湖には、レイクトラウトノーザンパイクおよびArctic graylingが含まれている。

民族[編集]

1948年に、カナダの探検家ファーリー・モワット(Farley Mowat)は、旅行中に、当時ノースウェスト準州の一部であるアンギクニ湖Angikuni湖に到着し、地域のイヌイットによって使用されていない方法で構築されたケアンを見つけた。それは、かどが蟻継(ありつぎ)になっている(dovetailed corners)、ハードウッド(hardwood)のぺしゃんこにされた箱1つの断片複数を含んでいた。モワットは、ただひとりの別のヨーロッパ人の探検家サミュエル・ハーン(Samuel Hearne)が以前(1770年に)この地域にいたことを知っていて、この記念物はフランシス・クロージャー(Francis Crozier)によって建てられたと推測した。彼は、ジョン・フランクリンによってもともと率いられた、失踪したフランクリン遠征の一員として、1848年に北西航路をもとめる不運な捜索中に姿を消した[2]

消えた村の伝説[編集]

1930年に、マニトバ州パー(The Pas)の或る新聞記者が、アンギクニ湖からすぐのところの或る小さなイヌイットの村について報告した。その村はずっと、通りぬける毛皮のわな猟師らを歓迎していた。しかし、1930年にその村でよく知られている毛皮のわな猟師ジョー・ラベル(Joe Labelle)は、村人全員が居なくなっていることに気づいた。彼は未完成のシャツ複数にまだ針が入っていて、食べ物が火穴複数(fire pits)の上方にぶら下がっているのを見つけたために、村人らは突然立ち去った、と結論づけた。さらに心かき乱すことに、彼はそり引き犬7頭が飢餓のために死んでいて、墓1つが掘り出されていることに気づいた。ラベルは、その墓を取り巻く石が乱されていなかったために、動物に責任はないはずであることがわかった。彼はこれを王立カナダ騎馬警察に報告した(ケレハー(Kelleher)は、時代錯誤の北西騎馬警察(North-West Mounted Police)を利用して彼らに頼った)。彼らは行方不明の人々をさがす捜索をおこなった。誰も見つからなかった。

フランク・エドワーズ(Frank Edwards)の1959年の著書『Stranger than Science』に登場する物語はこうである。他の諸版は、ホイットリー・ストリーバー(Whitley Strieber)のサイエンス・フィクション小説『Majestic』(1989年)とディーン・R・クーンツのホラー小説『ファントム』(1983年)に現われる。『The World's Greatest UFO Mysteries』(事実として提示された)には、他のウェブ・サイトおよび書籍と同様に、さらに詳細な版があり、空の謎めいた光、からっぽの墓地複数、行方不明者1000人超のような他のスタンダードな詳細を追加している。物語の復刻は新聞Danville Register & Bee1930年11月27日にあり[3]、それはジャーナリストのエメット・E・ケレハー(Emmett E. Kelleher)によって書かれた。その記事は、ジョー・ラベルはテントが6つあるからっぽのエスキモー・キャンプ1つを見つけた、25人の男、女および子供が姿を消していた、と述べている。

カナダの新聞複数に記事が掲載された後に、王立カナダ騎馬警察は照会複数を受けた。1931年1月に、パー(The Pas)に駐屯していた曹長J・ネルソンは、内部報告書を提出し、それは一般に公開された。ネルソンは、自分は「この物語の根拠をなんら」("no foundation for this story")見つけられなかった、と書いた。ネルソンは、情報提供者ジョー・ラベルがそのシーズンに最初のわな猟免許を取っていた、と報告し、ケレハーの記事で述べられているように彼が以前にその準州にいたかどうかを疑った。ネルソンは続けて、物語で使用された写真の1葉を1909年までさかのぼり、ケレハーは「生き生きした物語」("colorful stories")で有名である、と述べた。この事件は、エドワーズの1959年の書籍の中で言及されるまで忘れられていたように見える[4]

王立カナダ騎馬警察はそれ以来、物語はフランク・エドワーズの本に端を発している、と主張しながら、事件を都市伝説としてしりぞけている。王立カナダ騎馬警察はまた、「そのような大きな村は、そのようなへんぴな地域ではけっしてあり得なかったであったろうと考えられている」("It is also believed that such a large village would never have been possible in such a remote area.")とも述べている[5]。王立カナダ騎馬警察は、その地域における異常な活動の記録はない、と述べている。

ブライアン・ダニング(Brian Dunning)はポッドキャスト『Skeptoid』の或るエピソードでそれら主張の正体を暴いたが、ただし彼は発見内容を更新し、自分はそのような言及はないと信じて、1930年11月のエメット・E・ケレハーの記事の覆いを取ったことと、物語は1959年のエドワーズの書籍(それは不正確であると彼は認めている)から生じたことを報告した。彼はケレハーの話を「怪しげだ」("dubious")となおも引証し、いっぽうで彼は、それにもかかわらず公開された記事は「確かに存在する」("does indeed exist")、とも述べている[6]

アンギクニ湖の源流。ここでそれはケイザン川と出会う

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Freeman, Randy (2007年). “Roswell North”. uphere.ca. 2008年9月21日閲覧。
  2. ^ (Woodman, 1991, p. 317)
  3. ^ Kelleher, Emmett E. (1930年11月27日). “Vanished Eskimo Tribe Gives North Mystery Stranger Than Fiction”. The Bee (Danville, Va.) (The Pas). https://newspaperarchive.com/danville-bee/1930-11-27/page-7 2010年4月5日閲覧。 
  4. ^ Colombo, John Robert (1 October 2000). Ghost Stories of Canada. Dundurn. pp. 203–205. ISBN 978-1-55002-975-8. https://books.google.com/books?id=7bbqZdgMmtEC&pg=PA204 
  5. ^ Anjikuni”. 2012年9月18日閲覧。王立カナダ騎馬警察が参照している前述の書籍は、ただ30人と墓1つに言及しているけれども、少なくとも、この議論は1000人超が消えていたという話のいくつかの変形を論破するするかもしれない。結局のところ、ニュース記事の最初の版の話は、それは25人のいるテント6つの村1つであった、と述べている。}}
  6. ^ Dunning, Brian. "Skeptoid #371: The Vanishing Village of Angikuni". Skeptoid. 2017年3月15日閲覧 (2013)

外部リンク[編集]