アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲス

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アレハンドロ・ドミンゲス Football pictogram.svg
ADom.JPG
名前
本名 アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲス
愛称 チョーリ
カタカナ アレハンドロ・ドミンゲス
ラテン文字 Alejandro Damián Domínguez
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 1981年6月10日(32歳)
出身地 ラヌース
身長 175cm
体重 71kg
選手情報
在籍チーム ギリシャの旗 オリンピアコスFC
ポジション FWMF
背番号 35
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2001
2001-2004
2004-2007
2007-2008
2009
2010-2012
2011-2012
2012-2013
2013-
アルゼンチンの旗 キルメス
アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
ロシアの旗 ルビン・カザン
ロシアの旗 ゼニト・サンクトペテルブルク
ロシアの旗 ルビン・カザン
スペインの旗 バレンシア
アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
スペインの旗 ラーヨ・バジェカーノ
ギリシャの旗 オリンピアコス
25 (6)
29 (9)
63 (21)
46 (7)
23 (16)
19 (0)
33 (5)
33 (5)
0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年7月3日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

アレハンドロ・ドミンゲスAlejandro Domínguez1981年6月10日 - )は、アルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションは、フォワードオリンピアコスFC所属。

来歴[編集]

アルゼンチン国内では、CAリーベル・プレートなどでプレー。A代表歴はないが、2001 FIFAワールドユース選手権では、ハビエル・サビオラアンドレス・ダレッサンドロを擁したU-20代表の一員として、優勝を経験している。2004年、FCルビン・カザンへ加入。2005・2006年にはコパ・ラ・マンガ制覇に貢献し、ドミンゲス自身も2006年シーズンのロシア・プレミアリーグ最優秀外国人選手賞に輝いた。2007年、当時の移籍金で最高金額となる700万ユーロでFCゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍。ゼニトでは主に右ウイングとして活躍し、ドミンゲスの最大のハイライトは、UEFAカップバイエルン・ミュンヘン戦(2nd leg)で得点を挙げ、4-0と大金星を成し遂げたことだった。しかし、2009年に入ると、ディック・アドフォカート監督との確執が囁かれ、同年3月12日に古巣ルビンへ復帰することとなった。ルビンではセンターフォワード並びに攻撃的MFとしてプレーしている。夏場には6試合連続でPKによる得点を決め、得点ランキング上位を維持し、ルビン・カザンの優勝に貢献した。9月29日、UEFAチャンピオンズリーグ第2節のインテル・ミラノ戦ではルシオワルテル・サムエルを交わして角度のないところからシュートを決め、その後もきわどいFKや鋭いクロスで相手ゴールを脅かした。

2009年12月、ルビン・カザンとの契約が終了し、またルビン・カザンがチャンピオンズリーグで敗退したため移籍を希望。ユヴェントスローマなどが関心を持ったが、本人の熱望したリーガ・エスパニョーラバレンシアへ移籍した。

しかしバレンシアでは怪我の影響もあってか不本意な日々を送り、2011年5月には自身のTwitterで、リーガ・エスパニョーラ優勝ではなくUEFAチャンピオンズリーグ出場を目標とするクラブに皮肉を浴びせるなど、いいところは全くなかった。

同年8月、クラブ史上初のプリメーラB・ナシオナル(2部リーグに相当)降格が決まっている古巣CAリーベル・プレートへレンタル移籍。レギュラーとして、1年での昇格に貢献する。

2012年8月、ラーヨ・バジェカーノへ完全移籍。

2013年7月、オリンピアコスFCへ移籍[1]

人物[編集]

  • イタリア国籍も所持している。
  • ロシアでの生活が長かったということもあり、ロシア語が堪能。

所属クラブ[編集]

アルゼンチンの旗 CAリーベル・プレート 2011-2012

獲得タイトル[編集]

代表[編集]

クラブ[編集]

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Alejandro Domínguez joins Olympiacos”. Olympiacos FC (2013年7月2日). 2013年7月3日閲覧。

外部リンク[編集]