アレクサンドル・ヨアン・クザ
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| アレクサンドル・ヨアン・クザ | |
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ワラキア公兼モルダヴィア公 ルーマニア公 | |
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| 在位 |
ワラキア公兼モルダヴィア公:1859年 - 1862年 ルーマニア公:1862年 - 1866年 |
| 出生 |
1820年3月20日 モルダヴィア、ブルラド |
| 死去 |
1873年5月15日(53歳没) |
| 父親 | ヨアン・クザ |
| サイン |
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アレクサンドル・ヨアン・クザ(Alexandru Ioan Cuza,1820年3月20日 - 1873年5月15日)は、ワラキア公兼モルダヴィア公(在位:1859年 - 1862年)、後にルーマニア公(在位:1862年 - 1866年)。
生涯[編集]
モルダヴィアの地方貴族に生まれ、1859年にワラキア公国とモルダヴィア公国の公位に就いた。1862年に両公国を統一、ルーマニア公国の成立を実現させたが、1866年に保守派貴族の反乱により退位[1]。代わりにホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家からカロル1世が迎えられた。亡命先のハイデルベルクで死去した。
脚注[編集]
- ^ Stoica, Vasile (1919). The Roumanian Question: The Roumanians and their Lands. Pittsburgh: Pittsburgh Printing Company. pp. 69-70.
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