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アレクサンドリーネ・フォン・プロイセン (1842-1906)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレクサンドリーネ・フォン・プロイセン
Alexandrine von Preußen

全名 フリーデリケ・ヴィルヘルミーネ・ルイーゼ・エリーザベト・アレクサンドリーネ
称号 プロイセン王女
メクレンブルク公妃
出生 (1842-02-01) 1842年2月1日
ドイツ連邦
プロイセンの旗 プロイセン王国ベルリン
死去 (1925-03-09) 1925年3月9日(44歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国ポツダム、マルリー宮殿
埋葬 ドイツの旗 ドイツ国シュヴェリーン大聖堂
配偶者 メクレンブルクヴィルヘルム
子女 シャルロッテ
家名 ホーエンツォレルン家
父親 プロイセン王子アルブレヒト
母親 マリアンネ・ファン・オラニエ=ナッサウ
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アレクサンドリーネ・フォン・プロイセンドイツ語: Alexandrine von Preußen, 1842年2月1日 - 1906年3月26日)は、プロイセン王国の王族。全名はフリーデリケ・ヴィルヘルミーネ・ルイーゼ・エリーザベト・アレクサンドリーネドイツ語: Friederike Wilhelmine Luise Elisabeth Alexandrine)。プロイセン王子アルブレヒトの三女で、メクレンブルクヴィルヘルムの妻となった。

生涯

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1842年2月1日、アルブレヒトとその妃であったオランダ王ヴィレム1世の王女マリアンネの間に第4子としてベルリンで生まれた。

1865年12月9日、メクレンブルク公ヴィルヘルムとベルリンで結婚した。夫との間には以下の1女をもうけた。

1906年3月26日、アレクサンドリーネはポツダム近くのマルリー宮殿(Schloss Marley)で死去した。