アレクサンダル・ヴチッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
アレクサンダル・ヴチッチ
Aleksandar Vučić
Александар Вучић
Serbian President Vucic (49608640093) (cropped).jpg
セルビアの旗 セルビアの大統領
就任
2017年3月31日
首相イヴィツァ・ダチッチ (代行)
アナ・ブルナビッチ
前任者トミスラヴ・ニコリッチ
セルビアの旗 セルビアの首相
任期
2014年4月27日 – 2017年3月30日
大統領トミスラヴ・ニコリッチ
代理官イヴィツァ・ダチッチ
前任者イヴィツァ・ダチッチ
後任者イヴィツァ・ダチッチ (代行)
セルビアの旗 セルビアの副首相
任期
2012年7月27日 – 2014年4月27日
首相イヴィツァ・ダチッチ
前任者イヴィツァ・ダチッチ
後任者イヴィツァ・ダチッチ
セルビアの旗 セルビアの国防大臣
任期
2012年7月27日 – 2013年9月2日
首相イヴィツァ・ダチッチ
前任者Dragan Šutanovac
後任者Nebojša Rodić
セルビアの旗 情報大臣
任期
1998年3月24日 – 2000年10月24日
首相ミルコ・マルヤノヴィッチ
前任者Radmila Milentijević
後任者イヴィツァ・ダチッチ
個人情報
生誕 (1970-03-05) 1970年3月5日(51歳)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ベオグラード
国籍セルビアの旗 セルビア
政党セルビア進歩党 (2008–)
協力政党セルビア急進党 (1993–2008)
配偶者Ksenija Janković (1997–2011)
Tamara Đukanović (2013–)
子供3人
出身校ベオグラード大学
職業政治家
専業弁護士
署名

アレクサンダル・ヴチッチセルビア語: Александар Вучић1970年3月5日[1] -)は、セルビアの政治家であり、2017年からセルビア共和国第3代大統領を務めている[2]2008年ウルトラナショナリズムを掲げるセルビア急進党を離党し、ポピュリズム政党であるセルビア進歩党の創立者のひとりとなり、2012年から同党の党首を務めている。

ヴチッチは2012年から2014年までセルビア副首相の職務に就いた後、2014年から2016年および2016年から2017年までの2度に渡ってセルビアの首相を務めた。それ以前にもヴジッチはセルビア国会議員1998年から2000年までは情報相英語版、その後2012年から2013年まで国防相英語版を務めた事もある。彼は2017年大統領選挙英語版で55%もの得票率を得て、決選投票を経ずに当選を決めた[3]。彼は2017年5月31日トミスラヴ・ニコリッチの後任として正式に就任し、就任式は2017年6月23日に行われた。

彼は特にコソボ紛争中、スロボダン・ミロシェヴィッチ政権下の情報相としてジャーナリストに対する制限的な措置を導入した[4][5]ブルドーザー革命の後、ヴチッチは野党の中でも最も著名な人物のひとりだった。2008年に新党が設立されてからは、当初の極右・強硬な欧州懐疑主義から親欧州、保守、ポピュリストの政治的立場へとシフトしていった。2012年の選挙英語版ではセルビア進歩党主導の選挙連合英語版が勝利し、セルビア進歩党が初めて政権与党のひとつとなり、一党優位政党制の確立につながった[6][7][8]2014年にヴチッチが首相に就任した後は、国営企業の民営化経済の自由化英語版など欧州連合(EU)への加盟プロセス英語版を踏襲していく事を公約した[9]

2015年12月、ヴチッチが率いるセルビア代表団は欧州連合とはじめての加盟会議を行い、加盟に向けた初の章を開いた。彼はコソボとセルビアの政府間協力と欧州連合を媒介とした対話における重要人物のひとりであり、関係正常化に関するブリュッセル協定英語版の実施を提唱している。アメリカ合衆国の仲介による交渉を経て、ヴチッチは2020年9月にコソボとの経済関係を正常化し、イスラエルセルビア大使館英語版エルサレムに移転する事で合意し署名した。彼は「4つの自由英語版」を保障する事を目的とした西バルカン諸国の経済圏であるミニシェンゲン圏英語版の提唱者のひとりである。 観察者はヴチッチの統治を権威主義的、独裁的、又は非自由主義的民主主義体制と表現し、理由として報道の自由が制限された事を挙げている[10][11][12][13]

2018年1月15日、セルビアの大統領として初めて日本の安倍晋三内閣総理大臣ベオグラードにて首脳会談を行った。

生い立ちと教育[編集]

アレクサンダル・ヴチッチはベオグラードでアンジェルコとアンジェリナ・ヴチッチ(旧姓ミロヴァノフ) の間に生まれた。アンドレイ・ヴチッチ英語版は彼の弟である[14]

彼の父方の祖先は、ボスニア中央部のブゴイノ近郊にあるチプルジックの出身である。彼らは第二次世界大戦中にクロアチアファシストであるウスタシャによって追放され、父親が生まれたベオグラード近郊に定住した[15]。ヴチッチによれば、父方の祖父アンジェルコをはじめとする数十人の近親者がウスタシャに殺された[16]

彼の母親はヴォイヴォディナベチェイ英語版で生まれた[15]。 彼の両親はともに経済学を専攻し、父親は経済学者、母親はジャーナリストとして働いていた[15]

ヴチッチはノヴィ・ベオグラードで育ち[15]、ブランコ・ラディチェヴィッチ小学校を卒業した。その後ゼムンギムナジウムゼムンスカ・ギムナヅィヤ英語版)を経て、ベオグラード大学法学部を卒業した。彼はイギリスブライトンで英語を学び、しばらくロンドンで商人として働いた事もある。 ユーゴスラビアに帰国後、ボスニア・ヘルツェゴビナパレでジャーナリストとして活動した。そこでは政治家のラドヴァン・カラジッチにインタビューしたり、ラトコ・ムラディッチ将軍とチェスをした事もある[17]。 若きヴチッチはレッドスター・ベオグラードのファンで、その試合をよく見に行っており[17]大規模な暴動に発展した、1990年5月13日ディナモ・ザグレブとレッドスターの試合にも居合わせていた[18]。彼の親類の家はボスニア紛争で破壊された[16]

政治キャリア[編集]

1993年、ヴチッチはセルビアのナショナリズム英語版と「大セルビア」の実現を目標とする極右政党であるセルビア急進党(SRS)に入党し[19][20]同年の総選挙英語版国民議会議員に選出された。2年後、ヴチッチはSRSの幹事長に就任した。彼はサラエヴォ包囲していた軍隊を志願の上で訪問したSRS党員のひとりであった[21][22]1996年にゼムンの地方選で彼の党が勝利した後、初の公職としてピンキ・ホール英語版の館長に就任した[1]

情報相 (1998年–2000年)[編集]

1998年3月、ヴチッチはミルコ・マルヤノヴィッチ政権の情報相英語版に任命された[23]。研究者たちはヴチッチを20世位末のセルビアにおけるメディア政策を形成する上で重要な人物だったと評している[24]ミロシェヴィッチに対する批判の高まりを受けて、ヴチッチは政府を批判したジャーナリストに罰金を科し、外国のテレビ局を禁止した[25]。彼は2014年に当時の自分が誤っており、それから変わった事を回想し「自分のすべての政治的過ちを告白する事を恥じていなかった」と述べた[26]

この間、セルビアのメディアは少数民族を悪魔化し、彼らに対するセルビア人の残虐行為を正当化するセルビア民族主義のプロパガンダを放送した事で非難された[27]。1998年、政府は20世紀末のヨーロッパで最も制限的なメディア法を採択し、違反行為を裁くための特別軽犯罪裁判所を創設した。この法律は重い罰金を課し、すぐに支払われない場合は財産を没収する権限を与えていた[28][24]。セルビアのメディアは国家の厳しい弾圧を受けており、外国メディアは「異分子」や「スパイ」と見られていた[24]ヒューマン・ライツ・ウォッチはコソボで死亡したアルバニア人英語版を「テロリスト」ではなく「人々」と呼んだ事で5人の独立系新聞編集者が誤報を流布したとして起訴されたと報告した[29]。1998年9月下旬から10月上旬にかけて、NATOがコソボへの軍事介入を示唆したため、政府は独立メディアに対する弾圧を強化した。 さらに政府は大半の国民にニュースを提供していた国営ラジオやテレビの直接管理も維持していた[29]1999年3月にNATOによるユーゴスラビア空爆が始まった後、ヴチッチはベオグラードのすべての編集者の会議を招集した。印刷メディアはすべてのコピーを省に提出して承認を得るよう命じられ、公式発言や国家によって管理されているか、過度の自己検閲を行うメディアの情報のみが掲載を許された[24]。また、ヴチッチはNATO諸国のすべてのジャーナリストに国外退去を命じた[24]

急進党から進歩党へ[編集]

2008年にベオグラードで行われたセルビア進歩党結党大会でのニコリッチとヴチッチ

急進党の副党首でヴォイスラヴ・シェシェリが不在のため事実上の暫定党首であったトミスラヴ・ニコリッチは、セルビアのEU加盟の是非をめぐるシェシェリとの意見の相違により、2008年9月6日に辞職した。彼は他の急進党の有力党員とNapred Srbijo!(進め、セルビア!)という名の議会の新会派を結成した。 2008年9月12日、ニコリッチと彼のグループがSRS指導部の会議で、急進党から公式に追放された。 ヴチッチ書記長もこの会議に招集されたが、彼は現れなかった。トミスラフ・ニコリッチは自らの新党を結成することを発表し、ヴチッチにも参加を呼びかけた。 SRS支持者から最も人気のある人物のひとりであったヴチッチは、2008年9月14日に急進党を離党し[30][リンク切れ]、その翌日にヴチッチは一時的な政界からの引退を表明した[31][リンク切れ]

ワシントンD.C.におけるアメリカのレオン・パネッタ国防長官とヴチッチ

2008年10月6日、ヴチッチはテレビインタビューで、ニコリッチの新党であるセルビア進歩党(SNS)に入党し副党首に就任する事を表明し、その後、彼は自らの政治的立場を変化させた。2010年には「スレブレニツァで恐ろしい犯罪が行われた」などと発言し、それを行ったセルビア人を「恥ずべき」と感じており、「私は自分が変わった事を隠していない...。私はそれを誇りに思っている」と述べた。彼は2012年にAFPのインタビューで「私は間違っていた。国家のために最善を尽くしていると思っていたが、結果として我々は失敗した。我々はその事を認める必要がある。」と語った[32]

2012年5月24日、ニコリッチはセルビア大統領に選出された事を受けて党首を辞任した。次の党大会が開催されて新たな党首が選出されるまでの期間、ヴチッチが党首を務める事になった。 2012年9月29日、ヴチッチが正式に党首に選出され、ヨルゴヴァンカ・タバコビッチ英語版が副党首に選ばれた。[要出典]

私生活[編集]

2013年に結婚したタマラ・ヴチッチ

身長199cmのヴチッチは世界の政府首脳の中で最も身長が高い人物のひとりである[33]1997年7月27日、ヴチッチはラジオ・インデックスとスプルスカ rečのジャーナリストであるクセーニャ・ヤンコヴィッチと結婚し、2011年に離婚するまでに2人の子供をもうけた。2013年12月14日、ヴチッチはセルビア外務省英語版の外交官タマラ・ジュカノヴィチ英語版と結婚した[34]。 ヴチッチが大統領に就任して1週間後の2017年6月9日に妻は息子を出産した[35]

野党時代の彼は人気テレビ番組に頻繁に出演していた[36]2006年、ヴチッチはピンクTV英語版で放送された競争要素のあるトーク番組「ザ・ピラミッド (クロアチアのTVシリーズ)英語版」のセルビア版の第1シーズンの優勝者となった[37]。 彼は人道的なダンスコンテスト「Plesom do snova」(2009年)に参加した最初の政治家であり、深夜のトーク番組英語版今夜はイワン・イワノヴィッチと一緒に英語版」(2010年)にゲスト出演した最初の政治家でもある[36][38][39]。 また、バルカン半島で最も人気のある音楽コンテスト「ズヴェズデ・グランダ英語版」の第3シーズンの1話にゲスト審査員として参加した[36][40]

2019年11月15日、明らかな「心血管系の問題」のためベオグラードの軍病院に入院したが、3日後には退院したと報じられた。彼のメディアアドバイザーやベオグラード副市長を含む一部の関係者は彼の健康問題がジャーナリストからの圧力による物だと主張している。入院直後のメディア会見でヴチッチはこれを明確に否定し、彼の健康問題が慢性的な物である事を認めた[41][42]

2020年4月8日、ヴチッチの22歳の息子が新型コロナウイルス英語版に感染し、ベオグラードの感染症クリニックに入院した事が明らかになった[43]

2020年7月、ヴチッチは政治家を引退した後、子供のバスケットボール指導者になる事を目標としてベオグラードのスポーツ健康大学の学生となった[44][45]。大学は入学の必須条件として3年間のスポーツ実技への積極的な参加を挙げていたが、ヴチッチの入学後まもなく公式サイトから削除されたと複数のセルビア人ジャーナリストが報告している[46]

脚注[編集]

  1. ^ a b Aleksandar Vučić Archived 3 November 2014 at the Wayback Machine. Istinomer.rs
  2. ^ https://freedomhouse.org/country/serbia/nations-transit/2020
  3. ^ “セルビア次期大統領にブチッチ首相 親EU、権力集中に懸念も”. AFP通信. (2017年4月3日). http://www.afpbb.com/articles/-/3123665?act=all 2017年7月11日閲覧。 
  4. ^ Fisk, Robert (2016年). “Europe has a troublingly short memory over Serbia's Aleksander Vucic”. The Independent. https://www.independent.co.uk/voices/europe-has-a-troublingly-short-memory-over-serbia-s-aleksander-vucic-a7029221.html 2017年2月9日閲覧。 
  5. ^ Barber, Lionel (2018年5月15日). “Interview: Serbia's Vucic insists 'I'm obsessed with Kosovo'”. Financial Times. 2018年12月12日閲覧。
  6. ^ Orlović, Slaviša (2015). “The Influence of Electoral System on Party Fragmentation in Serbian Parliament”. Serbian Political Thought 7 (11): 91–106. doi:10.22182/spt.1112015.5. 
  7. ^ Atlagić, Siniša; Vučićević, Dušan (2019). Thirty Years of Political Campaigning in Central and Eastern Europe. Palgrave Macmillan, Cham. doi:10.1007/978-3-030-27693-5_21. ISBN 978-3-030-27693-5 
  8. ^ Mandat dominantne stranke” (セルビア語). Politika (2014年3月25日). 2019年11月18日閲覧。
  9. ^ "Independent Serbia". Encyclopædia Britannica. 2019年11月1日閲覧
  10. ^
    • Bieber, Florian (July 2018). “Patterns of competitive authoritarianism in the Western Balkans”. East European Politics 38 (3): 337–54. doi:10.1080/21599165.2018.1490272. 
    • Günay, Cengiz; Džihić, Vedran (October 2016). “Decoding the authoritarian code: exercising 'legitimate' power politics through the ruling parties in Turkey, Macedonia and Serbia”. Southeast European and Black Sea Studies 16 (4): 529–549. doi:10.1080/14683857.2016.1242872. 
    • Castaldo, Antonino; Pinna, Alessandra (2017). “De-Europeanization in the Balkans. Media freedom in post-Milošević Serbia”. European Politics and Society 19 (3): 264–281. doi:10.1080/23745118.2017.1419599. 
    • Tannenberg, Marcus; Bernhard, Michael; Gerschewski, Johannes; Lührmann, Anna; von Soest, Christian (2019). “Regime Legitimation Strategies (RLS), 1900 to 2018”. V-Dem Working Paper 86: 1–36. doi:10.2139/ssrn.3378017. 
    • Mujanović, Jasmin (2018). “The EU and the Crisis of Democracy in the Balkans”. Political Insight 9 (1): 9–11. doi:10.1177/2041905818764698. 
    • Keil, Soeren (2018). “The Business of State Capture and the Rise of Authoritarianism in Kosovo, Macedonia, Montenegro and Serbia”. Southeastern Europe 42 (1): 59–82. doi:10.1163/18763332-04201004. 
    • Voltmer, Katrin (2019). Media, Communication and the Struggle for Democratic Change: Case Studies on Contested Transitions. Springer Nature. ISBN 978-3-030-16747-9 
    • The Road Not Yet Taken: An Assessment Of Aleksandar Vucic”. Harvard Political Review. 2019年11月18日閲覧。
  11. ^
  12. ^ Jovanović, Srđan Mladenov (2019). “'You're Simply the Best': Communicating Power and Victimhood in Support of President Aleksandar Vučić in the Serbian Dailies Alo! and Informer”. Journal of Media Research 11 (2): 22–42. doi:10.24193/jmr.31.2. 
  13. ^ Hungary no longer a democracy, Freedom House says”. Politico (2020年5月6日). 2021年1月4日閲覧。 “'Years of ... strongman tactics employed by Aleksandar Vučić in Serbia and Milo Đukanović in Montenegro have tipped those countries over the edge,' it says. 'For the first time since 2003, they are no longer categorized as democracies.'”
  14. ^ “Serbian President's Brother Met With Infamous Criminal”. Organized crime and corruption reporting project. https://www.krik.rs/en/serbian-presidents-brother-met-infamous-criminal/ 2021年1月5日閲覧。 
  15. ^ a b c d Poreklo.
  16. ^ a b “Aleksandar Vučić: Hrvati se rugaju mojim ubijenim precima!”. Novosti. http://www.novosti.rs/vesti/naslovna/politika/aktuelno.289.html:571605-Aleksandar-Vucic-Hrvati-se-rugaju-mojim-ubijenim-precima 
  17. ^ a b Isailović & 6 September 2010.
  18. ^ Index.hr & 13 May 2015.
  19. ^ Mardell, Mark (2007年1月26日). “Europe diary: Serbian Radicals”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6296601.stm 2010年5月23日閲覧。 
  20. ^ “Seselj, Greater Serbia and Hoolbroke's shoes”. SENSE Tribunal. (2005年8月19日). http://www.sense-agency.com/icty/seselj-greater-serbia-and-hoolbrokes-shoes.29.html?cat_id=1&news_id=9230 2011年4月25日閲覧。 
  21. ^ Zašto Vučić ćuti o presudi Šešelju?”. Balkan Insight (2018年4月18日). 2020年6月14日閲覧。
  22. ^ Šta si radio devedesetih, Vučiću”. Vreme (2019年10月3日). 2020年6月14日閲覧。
  23. ^ Narod koji ima najkraće pamćenje na svetu” (セルビア語). Preko ramena (2012年5月10日). 2013年4月20日閲覧。
  24. ^ a b c d e Jovanović, Srđan Mladenov (2019). “Confronting Recent History: Media in Serbia during Aleksandar Vučić's Ministry of Information in the Milošević Era (1998–1999 )”. Hiperboreea 6 (1): 61–74. doi:10.3406/hiper.2019.969. 
  25. ^ Guy De Launey (2014年1月20日). “Serbia transforming from pariah to EU partner”. BBC News. https://www.bbc.co.uk/news/world-europe-25808463 2014年1月22日閲覧。 
  26. ^ Tanjug (2016年6月7日). “Vucic says he was bad information minister in late 90s”. B92. 2021年1月8日閲覧。
  27. ^ Judah (2009). The Serbs. Yale University Press. ISBN 978-0-300-15826-7 
  28. ^ EXPERT REPORT OF RENAUD DE LA BROSSE "Political Propaganda and the Plan to Create 'A State For All Serbs:' Consequences of using media for ultra-nationalist ends" in five parts 1 2 3 4 5
  29. ^ a b “Deepening authoritarianism in serbia: The purge of the universities; Background”. Human Rights Watch. (1999年1月). https://www.hrw.org/reports/1999/serbia/Serbia99-02.htm 2018年12月12日閲覧。 
  30. ^ Nikolić: I Vučić napustio radikale” (セルビア語). Mondo (2008年9月14日). 2021年1月9日閲覧。
  31. ^ Vučić napušta politiku (za sada)” (セルビア語). Mondo (2008年9月15日). 2021年1月9日閲覧。
  32. ^ Aleksandar Vucic: from nationalist hawk to devout Europeanist Archived 22 March 2014 at the Wayback Machine., GlobalPost.com, 13 March 2014.
  33. ^ 13 world leaders ranked by how tall they are”. Business Insider (2019年8月22日). 2021年1月4日閲覧。
  34. ^ Bojović, B. (2014年8月12日). “Šta je Dačić savetovao Vučićevoj supruzi”. Blic. http://www.blic.rs/Zabava/Vesti/487092/Sta-je-Dacic-savetovao-Vucicevoj-supruzi 2015年7月11日閲覧。 
  35. ^ “Vučić: Moraću da prekinem obaveze, dobili smo sina” (Serbian). b92.net. http://www.b92.net/info/vesti/index.php?yyyy=2017&mm=06&dd=09&nav_category=11&nav_id=1270347 2017年6月9日閲覧。 
  36. ^ a b c Biografija iz varikine”. Vreme (2017年6月8日). 2021年1月4日閲覧。
  37. ^ Skandalozna 'Piramida'”. Blic (2006年1月17日). 2021年1月4日閲覧。
  38. ^ Aleksandar Vučić: Prvi političar u "Plesu do snova"!”. svet.rs (2009年2月4日). 2021年1月4日閲覧。[リンク切れ]
  39. ^ U ovoj zemlji ništa nije kako treba”. Vreme (2019年1月17日). 2021年1月4日閲覧。
  40. ^ Vučić: Ivica je veseljak, Dačić: Bravo za Cecu”. Blic (2013年2月9日). 2021年1月4日閲覧。
  41. ^ Serbia's Vucic Leaves Hospital After Heart Problem 'Caused' By 'Inappropriate' Media Questions”. RadioFreeEurope/RadioLiberty. 2019年11月23日閲覧。
  42. ^ I suffer from chronic illness, journalists have nothing to do with it”. B92.net. 2019年11月23日閲覧。
  43. ^ Öztürk, Mustafa Talha (2020年4月8日). “Serbian president's son contracts coronavirus”. www.aa.com.tr. https://www.aa.com.tr/en/europe/serbian-presidents-son-contracts-coronavirus/1797903 2020年4月10日閲覧。 
  44. ^ Serbia, RTS, Radio televizija Srbije, Radio Television of. “Председник Вучић уписао струковне студије за кошаркашке тренере”. www.rts.rs. 2020年7月18日閲覧。
  45. ^ Hoću da završavam za košarkaškog trenera” (セルビア語). Mondo Portal. 2020年7月18日閲覧。
  46. ^ Nedoumica: Da li je nestao uslov za upis u Vučićevu školu” (英語). NOVA portal. 2020年7月22日閲覧。

外部リンク[編集]