アルマズベク・アタンバエフ

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アルマズベク・アタンバエフ
Алмазбек Атамбаев
Almazbek Sharshenovich Atambayev
2012-03-20 Almazbek Atambayev.jpeg
アルマズベク・アタンバエフ(2012年3月)

任期 2011年12月1日
首相 オムルベク・ババノフ英語版
ジャントロ・サティバルディエフ英語版
ジョオマルト・オトルバエフ英語版
テミール・サリエフ
ソーロンバイ・ジェーンベコフ英語版

任期 2007年3月29日11月28日
元首 クルマンベク・バキエフ

任期 2010年12月17日2011年9月23日
元首 ローザ・オトゥンバエヴァ
任期 2011年11月14日12月1日
元首 ローザ・オトゥンバエヴァ

出生 (1956-09-17) 1956年9月17日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of Kyrgyz SSR.svg キルギス・ソビエト社会主義共和国チュイ州アラメジン地区英語版アラシャン
政党 キルギス社会民主党
出身校 モスクワ行政アカデミー
配偶者 ライザ・アタンバエヴァ

アルマズベク・シャルシェノヴィチ・アタムバエフキルギス語: Алмазбек Шаршенович Атамбаев1956年9月17日 - )は、キルギス共和国政治家。現在、同国大統領(第4代)。キルギス人

官職では経済発展・産業・貿易相、首相代行、2010年発足の暫定政府の副首相、首相などを、党職ではキルギスタン社会民主党党首、「統合国民運動」議長を歴任した。

経歴[編集]

ビシュケク近郊のアラメジン地区英語版アラシャン村出身。1980年、「経済技師、生産統制組織者」専攻でモスクワ統制アカデミーを卒業。

1980年~1983年、キルギス・ソビエト社会主義共和国通信省の技師、主任経済官、フルンゼ市 (現ビシュケク市) のDU-3の主任技師として働く。1983年、ソ連作家連盟に加入。1983年~1987年、キルギス・ソビエト社会主義共和国最高会議幹部会事務局で働き、最高会議議長の報告官となる。

1987年~1989年、フルンゼ市ピェルヴォマイスキー地区執行委員会第一副議長。1989年、キルギスで最初の民間会社を設立。

1993年、キルギスタン社会民主党を創設。1995年と2000年、議会代議員に選出。アスカル・アカエフの反対派であり、2000年に代議員資格を剥奪された後、同年の大統領選に出馬した。2005年まで「キルギスアフトマシュ」会長。

2005年3月24日の集会の組織者の1人。同年4月28日、大統領候補に推薦されたが、5月13日、クルマンベク・バキエフフェリックス・クロフの二頭体制確立のために出馬を取りやめた。

2005年9月13日~20日、経済発展・産業・貿易相代行。2005年9月30日から経済発展・産業・貿易相を務め、2006年4月24日、バキエフ大統領と対立して辞職した。

2006年から「キルギスアフトマシュ」社長。同年7月から閉鎖型株式会社「サルィ-ジャズ・エネルゴ」会長。同年4月24日から「キルギスタンの改革のための」運動共同議長。

2007年3月29日から首相代行。3月30日、ジョゴルク・ケネシ (キルギス議会英語版) により首相として承認。10月21日の新憲法採択の国民投票後、政府は総辞職したが、次期ジョゴルク・ケネシ選挙まで首相を代行した。11月27日、辞職。

2008年12月24日から「統合国民運動」政治局員。2009年9月9日から「統合国民運動」議長。

2010年キルギス騒乱後の2010年4月8日、ローザ・オトゥンバエヴァを首班とする暫定人民政府の副首相に就任し、経済問題を担当することとなった。同年7月13日、辞任。同年12月17日に再び首相に就任した[1]

2011年大統領選挙に出馬し当選[2][3]。12月1日に就任し[4]、同時に首相を退任した。

2013年2月に訪日。

2015年8月の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席し、天安門広場を行進するキルギス共和国軍を閲兵した[5]

2017年5月には中国の一帯一路をテーマとした一帯一路国際協力サミットフォーラム英語版に出席した[6]

パーソナル[編集]

趣味は観光旅行。料理は下手で、出世を捨てて夫に尽くす妻(再婚、医学科学準博士)の手料理を食するのを好んでいる。初婚で2女(ディアナ、ディナラ)、再婚で1男1女を儲けた。

2007年11月28日、「ダナケル」勲章を受章。

脚注[編集]