アルフレード・グァリーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Alfredo Guarini
アルフレード・グァリーニ
アルフレード・グァリーニ
1951年撮影
生年月日 (1901-05-23) 1901年5月23日
没年月日 (1981-04-06) 1981年4月6日(79歳没)
出生地 イタリアの旗 イタリア リグーリア州ジェノヴァ県ジェノヴァ市セストリポネンテ
死没地 イタリアの旗 イタリア ラツィオ州ローマ県ローマ
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル ネオレアリズモイタリア式コメディソード&サンダル剣戟映画
活動期間 1935年 - 1963年
活動内容 1935年 製作
1940年 監督デビュー
テンプレートを表示

アルフレード・グァリーニAlfredo Guarini, 1901年5月23日 - 1981年4月6日)は、イタリア映画監督脚本家映画プロデューサーである[1][2]。日本ではアルフレッド・グワリーニ[3]アルフレード・グアリーニ[4]とも表記される。

来歴・人物[編集]

1901年(明治34年)5月23日リグーリア州ジェノヴァ県ジェノヴァ市セストリポネンテに生まれる[1]

1935年(昭和10年)、グイド・ブリニョーネ監督の映画『赤い旅券』のプロデューサーとしてクレジットされたのが、もっとも古い記録である[1]。1939年(昭和14年)7月1日、女優のイザ・ミランダと結婚する[1]。1940年(昭和15年)、妻イザ・ミランダを主演にした映画『空もなく』で、映画監督となる[1]

第二次世界大戦後は、1948年(昭和23年)に公開されたロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』の製作現場に参加し、ルネ・クレマンが監督した『鉄格子の彼方』の脚本を書き、プロデュースしている[1]。1953年(昭和28年)には、オムニバスわれら女性』をプロデュースし、ロッセリーニ、ルキノ・ヴィスコンティらとともに、そのうちの1篇を監督している[1]。創作以降は、監督業から撤退、プロデューサーに徹した[1]

1963年(昭和38年)、2作の剣戟映画を手がけて、映画製作の現場からは引退した[1]

1981年(昭和56年)4月6日ラツィオ州ローマ県ローマで死去した[1]。満79歳没。妻イザ・ミランダが満77歳で亡くなったのはその1年後、1982年(昭和57年)7月8日であった[5]

フィルモグラフィ[編集]

一部を除きインターネット・ムービー・データベースに掲載された一覧である[1]

参考文献[編集]

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k Alfredo Guarini, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2011年2月10日閲覧。
  2. ^ Alfredo Guarini, allmovie (英語), 2011年2月10日閲覧。
  3. ^ アルフレッド・グワリーニ、キネマ旬報映画データベース、2011年2月10日閲覧。
  4. ^ アルフレッド・グアリーニ、allcinema ONLINE, 2011年2月10日閲覧。
  5. ^ Isa Miranda - IMDb(英語), 2011年2月10日閲覧。

外部リンク[編集]