アルバート・スワード

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アルバート・スワード
生誕 (1863-10-09) 1863年10月9日
イギリスの旗 イギリス ランカシャー
死没 (1941-04-11) 1941年4月11日(77歳没)
研究分野 植物学古生物学
出身校 ケンブリッジ大学セントジョン・カレッジ
主な受賞歴 ウォラストン・メダル (1930年)
ダーウィン・メダル(1934年)
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アルバート・チャールズ・スワード(Albert Charles Seward、1863年10月9日 - 1941年4月11日)は、イギリス植物学者地質学者地球科学者

略歴[編集]

ランカシャーで生まれた。ケンブリッジ大学セントジョン・カレッジ (St John's College) で学んだ。ウィリアム・クローフォード・ウィリアムソン講義に感銘をうけて、少年時代に興味のあった生物学に進んだ。1890年にケンブリッジ大学の植物学講師になり、1906年に植物学の教授となった。1898年に王立協会のフェローに選出された。

古植物学の研究の他、フランシス・ダーウィン (Francis Darwin) と共著の "More letters of Charles Darwin" (1903) などダーウィンに関する著作も行った。1922年にロンドン地質学会の会長、1931年に国際生物科学連合 (International Union of Biological Sciences) の会長、1939年にイギリス科学振興協会 (British Association for the Advancement of Science) の会長を務めた。

スワードの愚挙[編集]

1931年に出版された『地質時代の植物』のなかで、先カンブリア時代の生物化石かどうかで論争されていた、シアノバクテリアの死骸と泥粒の層状化石のストロマトライト(クリプトゾオン)について生物起源であることを強く否定した。スワードが先カンブリア時代の化石の存在を否定したことが、先カンブリア時代の化石記録の探求を遅らせ、「スワードの愚挙」と呼ばれることになった[1](ロシアからアラスカを購入した国務長官、ウィリアム・スワードの行為を非難した言葉が転用された)。

受賞歴[編集]

著書[編集]

  • "The Wealden Flora", 2 vols (1894-95)
  • "Fossil Plants", 4 vols (1898-1919)
  • "The Jurassic Flora", 2 vols (1900-1904)
  • "Darwin and Modern Science" (1909)
  • "Plant Life Through the Ages" (1931)

出典[編集]

  1. ^ J.ウィリアム・ショップ 著、阿部勝巳 訳『失われた化石記録 : 光合成の謎を解く』松井孝典監修、講談社講談社現代新書〉、1998年、54-59頁頁。ISBN 4-06-149344-2 この本では Albert Charles Seward をA.C.スーアードと表記している。

関連項目[編集]