アリー・ラーリージャーニー
| アリー・アルダシール・ラーリージャーニー علی اردشیر لاریجانی | |
|---|---|
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アリー・ラーリージャーニー(2025年) | |
| 生年月日 | 1958年6月3日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 2026年3月16日(67歳没) |
| 死没地 | テヘラン郊外 |
| 出身校 |
シャリーフ工科大学 テヘラン大学 |
| 称号 | 西洋哲学博士 |
| 親族 |
モハンマド=ジャヴァード(兄)、 サーデグ(弟、元司法府長官) |
| サイン |
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| 公式サイト | دکتر علی لاریجانی |
| 在任期間 |
2005年8月15日-2007年10月20日 2025年8月5日 - 2026年3月16日 |
| 大統領 |
マフムード・アフマディーネジャード マスウード・ペゼシュキヤーン |
| 在任期間 | 1992年8月11日 - 1994年2月15日 |
| 大統領 | ハーシェミー・ラフサンジャーニー |
| 在任期間 | 2008年6月 - 2020年5月 |
| 最高指導者 | アリー・ハーメネイー |
| 選挙区 | ゴム |
| 当選回数 | 3 |
| 在任期間 | 2008年 - 2020年 |
アリー・アルダシール・ラーリージャーニー(ペルシア語: علی اردشیر آملی لاریجانی, ラテン文字転写: ʿAlī Ardashīr Lārījānī、1958年6月3日 - 2026年3月16日)は、イランの政治家。
イスラム革命防衛隊幹部やイラン・イスラーム議会議長、文化・イスラム指導相などの要職を歴任し、保守派の重鎮と目された[1]。イラン戦争中の2026年3月16日にイスラエル軍の空爆により死亡[2]。死亡時には最高国家安全保障会議(SNSC)事務局長だった[3]。
日本の外務省は「アリー・ラリジャニ」と表記しており[4]、読売新聞などでは「アリ・ラリジャニ」と表記される[5][3]。
経歴
[編集]1958年6月3日、アーヤトッラーであったミールザー・ハーシェム・アーモリーの息子としてイラク王国ナジャフに生まれる[6]。
1979年、シャリーフ工科大学(数学、計算機科学)卒業。テヘラン大学で1981年に西洋哲学修士号、1983年に西洋哲学博士号を取得した。専門はカント哲学[7]。
イラン革命後はイスラム革命防衛隊参謀本部次長などを務めた[7]ほか、1981年から1982年までイラン・イスラム共和国放送(IRIB)最高業務責任者となっている。
1991年から1993年まで文化・イスラム指導相、1994年から2004年までイラン・イスラム共和国放送(IRIB)総裁、2005年から2007年10月まで最高国家安全保障会議事務局長を務め、イラン核開発問題の対外交渉を率いるようになった。各国との調整の任務の中で現実主義者との評価を得るようになったが、保守強硬派のマフムード・アフマディーネジャード大統領としばしば対立するようになり、その衝突が激しくなると、ハーメネイーの仲裁を必要とする場面も起きた[2]。
2007年にSNSC事務局長を退任せざるを得なくなり、アフマディーネジャードは外交経験に乏しい強硬派を後釜に据えた。その後もアフマディーネジャード派の攻撃に晒され、2013年のイスラム革命記念日の演説中には野次が飛び、靴を投げ付けられ、演説を途中で切り上げる事態が発生している[2]。
この頃から「穏健派」と目されるようになり、2015年には、ハーメネイーとの関係や国家安全保障分野の経験、核問題に関する知識、国会議長の立場などを生かして、アメリカのオバマ政権との間で結ばれたイラン核合意の成立に尽力した[2]。
2008年3月に行われたイラン国会議員選挙にゴムの選挙区から出馬し当選、また同年6月国会議長となった。2012年の国会議員選挙でも当選し、議長に選出されている[8]。2016年2月に行われた第10期国会議員選挙でも同じくゴム(定数3)で立候補し当選した[9]。2020年の第11期国会議員選挙には出馬しなかった。同年5月29日最高指導者顧問に任命される[10]。
2021年6月18日の大統領選挙に立候補を届け出たが、監督者評議会(護憲評議会)による資格審査を通らず出馬できなかった[11]。
2024年5月19日にエブラーヒーム・ライースィー大統領がヘリコプター墜落事故で急死したことを受け6月28日に急きょ執行されることとなった大統領選挙に立候補することを5月31日に表明[12]。しかし前回と同様に監督者評議会による資格審査を通らず出馬できなかった[13]。
この二度の大統領選挙出馬不許可の決定は、強硬派が政治的発言力を強める中、ハーメネイーの意向が働いて「穏健派」を排除したものと見られている[2]。
12日間戦争後の2025年8月にSNSC事務局長に20年ぶりに再就任し、国防中枢に返り咲いた[14]。2026年1月、同月にイラン全土で起きた大規模抗議デモに対して治安部隊を投入して残忍な弾圧を行った人物としてアメリカ合衆国より制裁対象となる[2][14]。
2026年2月28日にイスラエルとアメリカによるイラン攻撃により、最高指導者であるアリー・ハーメネイーらが殺害され政治的空白が生じたのを受けて、3月1日に臨時指導部を設置することを表明した[14]。米紙ニューヨーク・タイムズなどの報道によれば、ハーメネイーは開戦前、自身が殺害された場合でも体制が存続できるよう、事前に側近であるラーリージャーニーに権限を大幅に委譲していたという[15]。
ハーメネイー死亡後のイラン体制において、実務面の「支柱」として、防衛戦略などを実質的に取り仕切っていた人物と見られる[16][17]。
2026年3月17日、イスラエルのカッツ国防相が、ラーリージャーニーが16日の夜に死亡したと発表[18][19]。イランのメディアも米・イスラエル軍の空爆により死亡したことを確認した[20]。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はラーリージャーニーの殺害について「ラーリージャーニーは、イランを事実上支配しているギャングの頭だ。我々はイランの体制を揺るがしている。」「イラン国民に体制を打倒する機会を与えている」と述べてイラン国民蜂起を促した[21][22]。
アメリカのトランプ大統領はラーリージャーニーの死亡の報道を称賛し、名前こそ出さなかったものの、ラーリージャーニーの抗議デモ弾圧を絡めて次のように述べた。「彼らの指導者はいなくなった。それは邪悪な集団だ。彼らは3万2000人以上も殺害した。そしてその責任者は昨日殺された。」[23]。
イラン最高安全保障委員会の声明によれば、息子モルテザや側近、護衛なども一緒に死亡したという[24]。
アメリカのウォールストリートジャーナルの報道によれば、イスラエルの情報当局がラリジャニが他のイラン当局者と一緒にテヘラン郊外の隠れ家に潜伏しているとの情報を得、そこをミサイル攻撃して殺害に成功したという[25]。またイスラエルの民放「チャンネル12」の報道によれば、ラリジャニは16日夜、テヘラン郊外の隠れ家にいたところ、イスラエル軍の戦闘機が複数の1トン爆弾を投下して殺害したという[22]。
- 2017年2月11日、イランを訪問したスウェーデン首相ステファン・ロベーンと。
- 2020年1月6日、アメリカ軍の無人機の攻撃で死亡した革命防衛隊ゴドス軍司令官ガーセム・ソレイマーニーら6名の「殉教者」の追悼式典。中央は最高指導者アリー・ハーメネイー。その右隣はエブラーヒーム・ライースィー、左隣はハサン・ロウハーニー大統領。その左隣がラーリージャーニー。その左隣は革命防衛隊総司令官フセイン・サラミ。
人物
[編集]- 保守派だが、同じく保守派のマフムード・アフマディーネジャード元大統領とは対立関係にあるとされていた一方、改革派のハサン・ロウハーニー政権が進めた欧米諸国との核合意については支持を与えてきた[11]。当初はイスラム革命イデオロギーを堅持する「保守強硬派」と目されることが多かったが、近年はマフムード・アフマディーネジャードら強硬派との対立が増えたことにより[2]、「保守穏健派」[24]「抜け目のない現実主義者」[2]と評されることも少なくない。
- マーザンダラーン州のアーモルを拠点とする多くの宗教指導者を輩出してきたシーア派名家のラーリージャーニー家の出身。
- 兄モハンマド=ジャヴァードは、司法権人権本部書記、最高指導者最高顧問、弟のサーデグは専門家会議議員、前司法府長官である。岳父は宗教指導者、学者のモルタザー・モタッハリー。
- 何度か訪日している。広島や長崎に訪問しているほか、東京を訪れた際には明治神宮を訪問している[26]。2010年の長崎来訪の際は、長崎原爆資料館を見学、同資料館について「米国が起こした戦争犯罪を世界に知らしめるという意味で意義深く価値がある」と指摘、「世界に一つでも核爆弾が存在すれば全人類の脅威。あらゆる大量破壊兵器は禁止されるべきだ」と述べた。また田上富久市長に対して、イランが核兵器製造を行わないことを伝えた[27]。
脚注
[編集]- ↑ “イラン指導部のラリジャニ氏を殺害 イスラエル 国防・外交を統括、ハメネイ師の最側近”. 産経新聞 (2026年3月17日). 2026年3月18日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “イラン指導部の中核、ラリジャニ氏の死は何を意味するか-イスラエルの空爆で死亡確認”. bloomberg (2026年3月17日). 2026年3月18日閲覧。
- 1 2 「イラン安全保障当局トップのアリ・ラリジャニ氏、イスラエルの空爆で死亡」『BBCニュース』2026年3月18日。2026年3月18日閲覧。
- ↑ “ラリジャニ・イラン国会議長による安倍総理大臣表敬”. 外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan (2019年2月13日). 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “イスラエル、ラリジャニ氏の殺害を発表…ハメネイ師死後のイランで防衛戦略など取り仕切っていた人物か”. 読売新聞 (2026年3月17日). 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “Ali Larijani”. Who is Log. 2014年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- 1 2 佐藤秀信. “用語解説” (PDF). 日本国際問題研究所. 2012年11月4日閲覧.
- ↑ “Larijani elected new parliament speaker”. Tehran Times. 2012年6月5日. 2012年11月4日閲覧.
- ↑ “Final results of Parl. elections released”. Mehr News. 2016年3月1日. 2016年3月17日閲覧.
- ↑ “Ali Larijani named Leader advisor”. Tehran Times. 2020年5月29日. 2020年6月1日閲覧.
- 1 2 “イラン大統領選挙 立候補認められた候補者7人発表”. NHK NEWSWEB. NHK. 2021年5月25日. 2021年5月26日閲覧.
- ↑ “イラン国会議長が立候補 保守強硬派、ライシ氏死亡に伴う大統領選”. 産経ニュース. 2024年6月3日. 2024年6月4日閲覧.
- ↑ “保守強硬派軸、6人の争いに 改革派も出馬容認、実力者は排除―イラン大統領選”. 時事ドットコム. 時事通信社. 2024年6月9日. 2024年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2024年6月9日閲覧.
- 1 2 3 “アングル:ハメネイ師後継、現実派ラリジャニ氏が有力か”. ロイター (2026年3月1日). 2026年3月1日閲覧。
- ↑ “殺害されたラリジャニ氏とは デモ鎮圧を指揮 現実主義者の面も”. 毎日新聞 (2026年3月18日). 2026年3月19日閲覧。
- ↑ “実務面の「支柱」殺害 イラン、混乱生じる可能性”. 朝日新聞 (2026年3月18日). 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “イスラエル、ラリジャニ氏の殺害を発表…ハメネイ師死後のイランで防衛戦略など取り仕切っていた人物か”. 朝日新聞 (2026年3月18日). 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “【速報】イランSNSCのラリジャニ事務局長が死亡か アルジャジーラなどが報道”. TBS NEWS DIG (2026年3月17日). 2026年3月17日閲覧。
- ↑ “イスラエル、イラン最高安全保障委ラリジャニ氏殺害と発表”. AFPBB News (2026年3月17日). 2026年3月17日閲覧。
- ↑ 「イラン、政権幹部ラリジャニ氏の死亡確認=メディア」『Reuters』2026年3月17日。2026年3月17日閲覧。
- ↑ “ハメネイ師最側近の死亡を確認 イランメディア”. ABEMA TIMES (2026年3月18日). 2026年3月17日閲覧。
- 1 2 “ラリジャニ氏殺害、ネタニヤフ首相「政権打倒の機会与えている」とイラン国民に蜂起促す”. 読売新聞 (2026年3月18日). 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “Iran’s national security council confirms death of its chief, Ali Larijani”. The Guardian (2026年3月17日). 2026年3月22日閲覧。
- 1 2 “イラン安全保障当局トップのアリ・ラリジャニ氏、イスラエルの空爆で死亡”. 読売新聞 (2026年3月18日). 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “潜伏するイラン要人、追い詰めるイスラエルの作戦 高官2人の殺害でイラン政権打倒に向けた作戦は重要な節目を迎えた”. THE WALL STREET JOURNAL (2026年3月18日). 2026年3月18日閲覧。
- ↑ http://www.meijijingu.or.jp/news/100301.html[名無しリンク]
- ↑ “イランのラリジャニ議長が来崎 核兵器製造を否定”. 長崎新聞. 2012年2月28日. 2012年12月20日閲覧.
外部リンク
[編集]- دکتر علی لاریجانی
- Biographyイラン議会のウェブサイトに掲載されているプロフィール。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 モハンマド=アリー・シャヒーディー |
副革命防衛隊相 (法務及び議会担当) 1986年–1989年 |
国防省に統合 |
| 先代 サイード・マーレクザーデ (法務及び議会担当)として |
副国防相 (議会担当) 1989年 |
次代 ホセイン・ネジャート |
| 先代 モハンマド・ハータミー |
文化・イスラム指導相 1992年–1994年 |
次代 モスタファー・ミールサリーム |
| 空位 最後の在位者 アフマド・ホメイニー |
イラン最高安全保障委員会最高指導者代理 1996年–2008年 同職:ハサン・ロウハーニー |
次代 サイード・ジャリーリー |
| 先代 ハサン・ロウハーニー |
最高国家安全保障会議事務局長 2005年–2007年 |
次代 サイード・ジャリーリー |
| 先代 アリー・アクバル・アフマディヤーン |
最高国家安全保障会議事務局長 2025年–2026年 |
次代 モハンマド・バーゲル・ゾルガドル |
| 外交職 | ||
| 先代 ハサン・ロウハーニー |
イラン核交渉担当者 2005年–2007年 |
次代 サイード・ジャリーリー |
| 議会 | ||
| 先代 ゴラームアリー・ハッダード=アーデル |
イラン・イスラーム議会議長 2008年–2020年 |
次代 モハンマド・バーゲル・ガーリーバーフ |