アラン・メリル

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アラン・メリル
Allan Merrill
出生名 Allan P. Sachs
別名 Allan Sachs
生誕 (1951-02-19) 1951年2月19日(65歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
学歴 上智大学 中退
ジャンル ロック
職業 作曲家
作詞家
歌手
ギタリスト
担当楽器 ギター
ベース
ピアノ
キーボード
ハーモニカ
活動期間 1966年 -
事務所 渡辺プロダクション
共同作業者 近田春夫
大口広司
かまやつひろし
公式サイト alanmerrill.com

アラン・メリル(Alan Merrill、1951年2月19日 - )[[:en:Alan_Merrill]は、日本英国でも活躍したアメリカ合衆国の現役ロック・ミュージシャン、作詞作曲家シンガー・ソングライターである。世界的に有名な大ヒット曲『Love Rock 'n' Roll|I Love Rock 'n' Roll]』は1975年ジ・アローズThe Arrows時代の彼の代表曲(作詞作曲、パフォーマンス)であり、それ以前は日本在住時にファッション・モデルを経、自作・作詞作曲アルバム制作、グラム・ロックの発祥者となり、日本初の外人ポップスターとして全国ツアーも行った。 '80年代はリック・デレンジャーやミート・ローフのギタリストとしてツアーをこなし、'90年代はウォッカ・コリンズを再結成し、かまやつひろしなど著名ミュージシャンと日本でしばし再活動。 現在はニューヨーク市を基に、ロンドン、東京など国際的にアコースティック・ソロやアラン・メリル・バンドとしてライヴ・コンサートを行っている。

人物・来歴[編集]

初期[編集]

1951年(昭和26年)2月19日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれる。出生名はアラン・P・サクス (Allan P. Sachs)、日本でも著名なジャズ・シンガーのヘレン・メリルを母に、サキソフォン/クラリネット奏者のアーロン・サクス [:en]を父に、と二人のジャズ・ミュージシャンの息子として生まれた。

アランは、セミプロとしてのキャリアをミドル・ティーンの頃に開始、グリニッジ・ヴィレッジの伝説的カフェ「カフェ・ワッ?Cafe Wha?で、ザ・カレイドスコープ(The Kaleidoscope)、ザ・レイン(The Rayne)、 ウォータータワー・ウェストといったバンドと共に演奏をし始めた。1966年 (昭和41年) - 1968年 (昭和43年) の話である。

日本でのキャリア[編集]

1968年(昭和43年)、ニューヨークの著名バンドであったザ・レフト・バンク(1966年全米トップ5「愛しのレネ」で知られる)のオーディションを受け、アランは合格するも、ザ・レフト・バンクは解散した。この当時は、本名のアラン・サクスで活動していた。

その後、アランは来日し、東京を基盤とした活動を行うザ・リードという外人バンドでRCAレコードからデビューした。アランもカヴァーした『悪魔がくれた青いバラ』というヒット・シングルがあるが、2人のメンバーが大麻不法所持で強制送還された為、バンドはすぐに解散となった。同バンド・メンバー、アラン・ヒルとの同名で混乱を避けるために(当時大ファンだったポール・マッカートニーにちなんで)ポールという芸名を使っていた。

1969年(昭和44年)、渡辺プロダクションとのソロ・マネジメント契約を調印し、同プロフダクションはアトランティック・レコードと契約、芸名をアラン・サクスからアラン・メリルに変名。ソロ・シンガーとしてのデビューだが、ロック・パイロットとの共同活動も多く、日劇ウエスタン・カーニバル日本武道館帝国劇場日比谷公園日本万国博覧会のステージ等にも出演した。1971年(昭和46年)2月、ソロ・アルバム『ひとりぼっちの東京』(Alone In Tokyo[1]を全曲日本語でレコーディングし、『涙』(かまやつひろし作曲/安井かずみ作詞) がシングル・カットされ、ヒットした。アランは日本のグループ・サウンズ界における初の外人実力派ポップスターとなった。

アランは、TBSテレビの朝の若者番組『ヤング720』(1966年10月31日 - 1971年4月3日)にコーナーを持ってレギュラー出演した。さらには、日産自動車JUN主婦の友an・annon-no、GTジーンズの広告の主演モデルとしても活躍した。又このころ迄には、かまやつひろし大口広司安井かずみらと共にレストラン『キャンティ』常連組の一人であったり、GSブーム真っ只中の著名バンド、ミュージシャンらと親睦を深めている。

1971年1月24日、日本武道館で行われた『ザ・タイガース、ビューティフル・コンサート』(解散公演)に於いて冒頭アナウンスを担当した。同年、DENONレーベルから、自作によるアルバム『Merrill 1』(アラン・メリル全作詞作曲パフォーマンス)をリリースした。1972年(昭和47年)春、ロック・パイロット時代にゲスト参加していた元エモーション近田春夫、同じく元エモーションの金沢ジュンと共に、ゴジラというスリー・ピース・バンドを結成、セッション等に参加した[1]。 ガロのベーシストとして録音に参加したこともある。

又、アランは日本でのグラム・ロック発祥者であり、その頃結成したバンドがウォッカ・コリンズ (Vodka Collins)で、大口広司かまやつひろし、横内タケ[[:en:Take_Yokouchi](1990年代再結成には参加せず、加部正義が加入となっている)をメンバーとした。ウォッカ・コリンズは、1972年|- 1973年](昭和48年)にアルバム『東京 - ニューヨーク』(en:Tokyo-New York)をレコーディングし、東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)から1974年(昭和49年)にリリースされた。本作は、1997年9月9日に米国でもCD再発売された。又、2016年にアルバム『Pink Soup』が再リリースされ、米国では初めてのCD発売となっている。 帝国劇場や武道館での演奏で活躍し、ザ・タイガースジャクソン5のオープニングも務めた [2]ウォッカ・コリンズの歌(唯一2曲の日本語版歌詞を省いて)は全て英語で、全作詞作曲はアランによって手掛けられおり、彼自身のリード・ヴォーカルで、ギター、キーボード、ピアノ、ハーモニカ演奏と多才である。同アルバムに挿入された1972年ヒット曲『Sands of Time [:en]』(ドラマーの大口広司が日本語翻訳詞をしたヴァージョン)は人気のTVドラマ・シリーズ「前略おふくろ様」の挿入歌として使用されており(1975年)、アランの流暢な日本語の歌唱をお茶の間でも伺えた[3]

1973年に人気テレビドラマシリーズ『時間ですよ』第66回 - 第95回(1973年2月14日 - 1973年9月5日TBSテレビ)にロック・バンドのギタリスト役で、堺正章研ナオコかまやつひろし鈴木ヒロミツらと共演した[4]

渡辺プロダクションとの金銭的契約不都合を期に、1974年には渡英し、ロンドンへキャリアを移した。同年、自身のバンドであるThe Arrowsを結成。1975年にリリースされたシングル『I Love Rock 'n' Roll』(アラン・メリル作詞作曲、ヴォーカル、ベース)は、その後1982年に、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツによるカヴァーが全米ビルボード、ナンバー1を記録する大ヒットとなる。その後もブリトニー・スピアーズを始め、マイリー・サイラスや、最近では Superfly スーパーフライ(アランがギターで参加)[5] など、数多くのアーティストがカヴァーしている。 それらのカヴァーの内日本のCMで使用されたのもあるI Love Rock'n Roll (L'Arc〜en〜Cielの曲)[6]

現在[編集]

近年では、ソロアルバム『Never Pet A Burning Dog』(1998年)、『Cupid Deranged』(2002年)、『A Merrilly Christmas』(2001年)、ソングライターのオーティス・ブラックウェルアーサー・アレクサンダーへのトリビュート『Double Shot Rocks』(2003年)、をリリースしており、『Aleecat』(2004年)、『At The Candy Shop』(2006年)、ザ・レフト・バンクへのトリビュート『Rive Gauche』(2007年)等をリリースしている。『Alien In Tokyo』の再発売や、EP『Hard Road』、ライヴ盤『The Aleecat, Live In Japan』が2008年にリリースされた。 かまやつひろしとは出会い当時60年代後期以来のまぶだちであり、ウォッカ・コリンズ後の近年(2015)もアランの来日ライヴに参加している。又、2007年のニューヨーク市のアラン宅での大変カジュアルな共同セッションが伺える[7]

アラン・メリルは、国際的にソロ・コンサートを行っており、バンド付きであったり、ソロのアコースティック・ライヴであったり両方行なっている。現在、ニューヨーク市在住である。

関連事項[編集]

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  1. ^ #外部リンクのファン・サイトでのアラン・メリル インタヴューの記述を参照。

外部リンク[編集]