アラン・ブルック (初代アランブルック子爵)

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初代アランブルック子爵
アラン・ブルック
Alan Brooke
1st Viscount Alanbrooke
1st Viscount Alanbrooke 1947.jpg
1943年のアランブルック子爵
生誕 1883年7月23日
フランスの旗 フランス共和国 バニェール=ド=ビゴール
死没 (1963-06-17) 1963年6月17日(79歳没)
イギリスの旗 イギリス ケントハートリー・ウィントニー英語版
所属組織 Flag of the British Army.svg イギリス陸軍
軍歴 1902年 - 1946年
最終階級 陸軍元帥英語版
除隊後 貴族院議員1945年-1963年
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初代アランブルック子爵アラン・フランシス・ブルック英語: Alan Francis Brooke, 1st Viscount Alanbrooke, KG, GCB, OM, GCVO, DSO& Bars1883年7月23日 - 1963年6月17日)は、イギリスの陸軍軍人、政治家、貴族。

経歴[編集]

1883年7月23日、第3代準男爵サー・ヴィクター・ブルック英語版とその妻アリス(第3代準男爵サー・アラン・ベリンガムの娘)の六男としてフランスバニェール=ド=ビゴールに生まれる[1][2][3]

フランス・ポーのイギリス人学校を経て、イギリス・ウーリッジ王立陸軍士官学校に入学した[3]1902年王立砲兵連隊英語版に少尉(second lieutenant)として入隊[3][4]1905年12月24日に中尉(lieutenant)に昇進し、1906年12月には英領インド帝国パンジャブの第30砲兵中隊に配属されたが、銃の暴発事故で帰国し、その間にキャンバリー参謀大学英語版に入学した。卒業後インドへ戻った[3]

第一次世界大戦にも砲兵士官として従軍し[5]第一次イーペルの戦い英語版ヌーヴ・シャペルの戦い英語版フェステュベールの戦い英語版ソンムの戦いヴィミー・リッジの戦い英語版第3次イーペルの戦い等に従軍した[6]。殊勲者公式報告書に6回名前が載る勇戦をした[1]。大戦中に臨時中佐(acting lieutenant colonel)まで昇進した[6]

戦後は砲術の権威として参謀大学の教官となり、将兵教育にあたった[5]1927年にはロンドンに新設された帝国防衛大学英語版の最初の生徒となっている[7]1928年には一時的な准将(temporary brigadier)に昇進して王立砲兵学校英語版の司令官となる[7]1929年には1923年に遡って大佐(colonel)に昇進した[7]。1932年に帝国防衛大学の教官に戻り、1934年4月にはプリマスの第8歩兵旅団の准将(brigadier)に昇進した。1935年11月8日には少将(major general)に昇進するとともに陸軍省の軍事教育部門の砲兵教官となり、ついで1936年8月には軍事教育部門の長となった[7]

1937年の終わりには自動車師団英語版の指揮を執ったが、1938年6月27日には中将(lieutenant general)に昇進するとともに防空軍団の司令官(GOC)に就任し、ついで1939年3月には防空司令部英語版の総司令官(GOC-in-C)に就任し、同年7月には南方司令部総司令官(GOC-in-C)英語版に就任した[8]

第二次世界大戦勃発後、第2軍団英語版の司令官(GOC)に就任し、第6代ゴート子爵ジョン・ヴェレカー指揮下の海外派遣軍に属してフランスへ送られたが、ドイツ軍に敗れてダンケルクの撤退を余儀なくされた[8]。撤退後の1940年6月19日に南方司令部総司令官(GOC-in-C)に就任し、さらに1940年7月19日には国内軍総司令官(GOC-in-C)に就任。ドイツ軍の上陸作戦に備えたサセックスからウェールズまでの防衛線の準備にあたった[8]

1941年12月に帝国参謀本部総長英語版に就任するとともに同年5月7日に遡って大将(General)に昇進[8]。以降戦時中を通じてその職にあり、英軍の再建と反攻作戦の全体的指揮にあたった。ウィンストン・チャーチルやアメリカ軍首脳にも臆することなく直言して強力な指導力を発揮したといわれる[5]1944年1月1日には元帥(field marshal)に昇進[9]。同年からはじまった大陸反攻作戦では一時期連合軍最高司令官に擬されている[5]

戦後の1945年9月18日には連合王国貴族爵位アランブルック男爵に叙せられ、貴族院議員に列した[10]。さらに1946年1月29日にはアランブルック子爵にも叙せられた[1]。同年6月25日に帝国参謀本部総長を辞し、退役した[5]

1963年6月17日心臓麻痺によりハンプシャーハートリー・ウィントニー英語版の自宅で死去した。同地のセント・メアリー教会英語版の墓地に葬られた[9]。爵位は長男トマス・ブルック英語版が継承した[1]

栄典[編集]

爵位[編集]

1945年9月18日に以下の爵位を新規に叙される[1][2]

  • ファーマナ州におけるブルックバラの初代アランブルック男爵 (1st Baron Alanbrooke, of Brookeborough in the County of Fermanagh)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

1946年1月29日に以下の爵位を新規に叙される[1][2]

  • ファーマナ州におけるブルックバラの初代アランブルック子爵 (1st Viscount Alanbrooke, of Brookebrough in the County of Fermanagh)
    (勅許状による連合王国貴族爵位)

勲章[編集]

家族[編集]

1914年にジョン・リチャードソン大佐の娘メアリー・リチャードソンと結婚し、彼女との間に以下の2子を儲けた[1][2]

  • 第1子(長女)ローズマリー・ブルック (1918-) ロナルド・マクドナルド陸軍大尉と結婚
  • 第2子(長男)トマス・ブルック英語版 (1920-1972) 第2代アランブルック子爵位を継承

1925年にメアリーと死別し、1929年に第4代準男爵英語版サー・ハロルド・ペリーの娘ベニタと結婚。彼女との間に以下の2子を儲けた[1][2]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Field Marshal Alan Francis Brooke, 1st Viscount Alanbrooke” (英語). thepeerage.com. 2016年6月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Alanbrooke, Viscount (UK, 1946)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年5月31日閲覧。
  3. ^ a b c d Heathcote 1999, p. 56.
  4. ^ The London Gazette: no. 27528. p. 1216. 1903年2月24日
  5. ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 11.
  6. ^ a b Heathcote 1999, p. 56-57.
  7. ^ a b c d Heathcote 1999, p. 57.
  8. ^ a b c d Heathcote 1999, p. 58.
  9. ^ a b Heathcote 1999, p. 59.
  10. ^ UK Parliament. “Mr Alan Brooke” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年6月2日閲覧。
  11. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 29886. p. 20. 1916年12月29日
  12. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 30563. p. 2973. 1918年3月5日2009年8月31日閲覧。
  13. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 34365. p. 690. 1937年1月29日2009年8月31日閲覧。
  14. ^ The London Gazette: no. 34873. p. 3608. 1940年6月14日2009年8月31日閲覧。
  15. ^ The London Gazette: no. 35793. p. 5057. 1942年11月20日2009年8月31日閲覧。
  16. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 37598. p. 2759. 1946年6月4日
  17. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 37807. p. 5945. 1946年12月3日
  18. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 39863. p. 2946. 1953年5月26日

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

軍職
新設 自動車師団英語版司令官(GOC)
1937年11月 – 1938年7月
次代:
ロジャー・エヴァンズ英語版
新設 防空司令部英語版総司令官(GOC-in-C)
1939年4月 – 1939年7月
次代:
サー・フレデリック・ピル英語版
先代:
サー・アーチボルド・ウェーヴェル
南方司令部総司令官(GOC-in-C)英語版
1939年7月 – 1939年8月
次代:
サー・バーティ・フィッシャー英語版
先代:
サー・アーチボルド・ウェーヴェル
第2軍団英語版司令官(GOC)
1939年9月 – 1940年6月
次代:
バーナード・モントゴメリー
先代:
サー・バーティ・フィッシャー英語版
南方司令部総司令官(GOC-in-C)
1940年6月 – 1940年7月
次代:
サー・クルード・オーキンレック
先代:
エドムンド・アイアンサイド
国内軍総司令官(GOC-in-C)
1940年7月 – 1941年12月
次代:
バーナード・パジェット英語版
先代:
サー・ジョン・ディル英語版
帝国参謀本部総長英語版
1941年1946年
次代:
初代モントゴメリー子爵
名誉職
先代:
初代ミルン男爵英語版
聖ジェイムズ公園のマスター・ガンナー英語版
1946年1956年
次代:
キャメロン・ニコルソン英語版
先代:
初代ウェーヴェル伯爵
ロンドン塔管理長官英語版
1950年1955年
次代:
ウィルソン卿英語版
先代:
初代ウェーヴェル伯爵
ロンドン統監英語版
1950年1956年
次代:
初代チュニスのアレグザンダー伯爵
学職
先代:
第7代ロンドンデリー侯爵英語版
クイーンズ大学ベルファスト学長英語版
1949年–1963年
次代:
ティロン・ガスリー英語版
イギリスの爵位
新設 初代アランブルック子爵
1946年–1963年
次代:
トマス・ブルック英語版
初代アランブルック男爵
1945年–1963年