アメリカ合衆国ドル

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アメリカ合衆国ドル
United States Dollar(英語)
米ドル紙幣
ISO 4217
コード
USD
中央銀行連邦準備制度
 ウェブサイトwww.federalreserve.gov
公式
使用国・地域
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
非公式使用
国・地域
インフレ率1.8%(2019年)
 情報源The World Factbook,2020年
ペッグしている
通貨
補助単位
 1/10ダイム
 1/100セント
 1/1000ミル
通貨記号$ もしくは US$
ダイムd
セント¢ もしくは c
ミル
硬貨
 広く流通1, 5, 10, 25セント
 流通は稀50セント, 1ドル
紙幣
 広く流通1, 5, 10, 20, 50, 100ドル
 流通は稀2ドル
紙幣製造製版印刷局
 ウェブサイトwww.moneyfactory.gov
硬貨鋳造合衆国造幣局
 ウェブサイトwww.usmint.gov

アメリカ合衆国ドル(アメリカがっしゅうこくドル、英語: United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式通貨である。通称としてUSドル米ドルアメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ合衆国ドルは、その信頼性から国際決済通貨や基軸通貨として、世界で最も多く利用されている通貨である。

概要[編集]

アメリカ合衆国ドルは、その信頼性からしばしばアメリカ合衆国の国外でも使われ、特に輸出入など国際的な商取引の決済に多く使用されている基軸通貨である。

アメリカ合衆国ドルの記号は、ドル記号 ($) である。ISO 4217では、アメリカ合衆国ドルのコードはUSDである。補助通貨は、セント(記号は、¢またはc)で、1ドル = 100セント である。

1792年の貨幣法(Coinage Act of 1792)以来金銀複本位制であったが、1873年(Coinage Act of 1873)には完全に金銀複本位制が破棄され金本位制となり、1900年には法令で金本位制として1ドル=20.67グラムが規定された。ただし兌換比率は歴史的に大きく変動している。第二次世界大戦後しばらくは、主要通貨で唯一の金本位制を維持していた通貨であり、各国の通貨は米ドルとの固定レートにより、35ドル=金1トロイオンスとして間接的に金との兌換性を維持していた(ブレトン・ウッズ体制)。1971年のニクソン・ショックまでは金本位制が続けられていた。その当時に形成された米ドルを基軸通貨とする体制は、金本位制停止および変動相場制導入の後も継続されている。現在は、貴金属などとの兌換制度は無く、中央銀行である連邦準備制度が発行を管理する管理通貨制度のもとにある。

発行と印刷[編集]

先述のとおりアメリカ合衆国ドル紙幣の発券管理は連邦準備制度が集中的に行っているが、法令上、個々の紙幣はアメリカ国内に12行ある連邦準備銀行が個々に発行している。

紙幣製造は製版印刷局合衆国造幣局によって行われ、1日あたり6億5000万ドル相当の紙幣と硬貨が製造されている。従業員数は合計で5000人を超える。印刷工場はアメリカ国内に2か所ある。

偽造を防ぐ目的で、1ドル紙幣と2ドル紙幣を除く全紙幣のデザインが2000年代 - 2010年代に刷新されている。2012年12月31日現在の連邦準備制度の統計によれば、1ドル紙幣の流通量は103億枚、100ドル紙幣は86億枚、20ドル紙幣は74億枚である。

発券銀行[編集]

紙幣を発券した銀行がどの連邦準備銀行であるかは、その紙幣に記されたアルファベット記号で判別することができる。アルファベット記号以外の部分はどの発券銀行も額面ごとにすべて同じデザインであり、また発券銀行にかかわらず同一額面ならどの紙幣も等価である。

肖像の小さい紙幣(1・2ドル紙幣と、5ドル以上かつシリーズ1994以前の紙幣)には、肖像の左にアルファベットの記載された丸い部分があり、法令上の発券銀行がこの文字で判るようになっている。

肖像の大きい紙幣(5ドル以上かつシリーズ1996以降の紙幣)では、左端のアルファベット(「B2」など)がこれに相当する。また紙幣シリアルナンバー(記番号)11桁のうち左から2桁目のアルファベットも同じことを表している。

印刷工場[編集]

紙幣の印刷はアメリカ合衆国製版印刷局が直営する工場2か所で行われている。

すべてのドル紙幣には小さな字で原版番号(どの凹版原版を用いて印刷したかを表す記号番号)が2か所ずつ印刷されているが、うち1か所の原版番号で例えば「FWD63」のように、「FW」が付いていればフォートワース工場で印刷された紙幣(前出の画像では1・2・5・10・50ドル)である。「B57」のように「FW」が2か所とも原版番号に付いていなければワシントンD.C.工場で印刷された紙幣(前出の画像では20ドルと100ドル)である。

硬貨[編集]

流通硬貨[編集]

硬貨として発行されるのは1ドル(100セント)以下の通貨であり、アメリカ合衆国造幣局が製造している。

現在発行されている硬貨の金種は、

の6種類である。なお、シルバーダラーというのは1ドル銀貨の呼称で、現在の1ドル硬貨の呼称ではない。

セント硬貨については、主に25セント以下のものが多く使われており、特に公衆電話新聞などの自動販売機、パーキングメーター、バスの運賃箱、カジノ場のスロットマシン[注 1]、有料道路や駐車場の無人料金所などに25セント硬貨を複数枚投入するものが多いためか、とりわけ硬貨の中でも25セント硬貨の流通量が非常に多い。アメリカ合衆国で生活する際は、25セント硬貨の手持ちが少ないと不便を強いられる。

日本などのように10・50・100・500などを硬貨の区切りとする感覚からは、10セントの上の25セントは中途半端にも思えるが、10セントと25セントの組合せは、10セントと50セントの組合せよりも、多くの金額に対応可能である(45セントや55セント、1ドル25セントという額が出せる)。

かつてはハーフセント、2セント、3セント、20セントのコインが存在した。ダイム(ハーフダイム)以上は元々銀貨であった。現在は白銅張りの銅貨に変わっているが大きさは変更されておらず、このため、5セント(ニッケル)硬貨の方が10セント(ダイム)硬貨より大きくなっている。造幣局はフィラデルフィア、デンバー、サンフランシスコにあり、硬貨表面または裏面に製造所を表すP、D、Sの鋳造刻印(ミントマーク)が打たれている物が多い。

さらに、以前ではこのほかに本位金貨として、1ドル、2.5ドル(クオーターイーグル)、3ドル、5ドル(ハーフイーグル)、10ドル(イーグル)、20ドル(ダブルイーグル)の硬貨が流通していたほか、記念貨幣として8角形の50ドル金貨や、4ドル(試作-ステラ)なども鋳造された。また、モルガン図案やピース図案の1ドル銀貨(シルバーダラー)もマニアの間で世界的に広く知られている。現在でも、記念コインとして、5ドル金貨や1ドル銀貨が鋳造されることがあるが、これは収集型金貨や銀貨で流通用の物ではない。

本位金貨[編集]

金貨は1937年以降は金90%10%であり、1834年以降は金貨1ドルにつき23.22グレーン (1.5046g) の金が使用されている。1792年から1834年までは金貨1ドルにつき24.75グレーン (1.6038g) の金が使用されていた[1]

前述の通り現在は記念コインとして製造されている。

  • 20ドル, 33.436g(30.093g)1849年‐1933年
  • 10ドル, 16.718g(金15.046g)1795年‐1933年
  • 5ドル, 8.359g(金7.523g)1795年‐1929年
  • 3ドル, 5.015g(金4.514g)1854年‐1889年
  • 2.5ドル, 4.179g(金3.762g)1796年‐1929年
  • 1ドル, 1.672g(金1.505g)1849年‐1889年

1933年の20ドル金貨は759万ドル(約6億3600万円)で落札されたことがあり大変貴重である。

銀貨[編集]

1964年以前の銀貨は1851年から1853年の3セント銀貨を除き1837年以降はすべて銀90%銅10%である。

前述の通り現在は記念コインとして製造されている。

しかし銀貨の一部は現在でも稀に流通していることがある。

  • 1ドル, 412.5グレーン (26.7296g) (24.0566g) 1794年‐1935年、1971年‐1975年(Sミントマークのみ銀品位40%)
  • 50セント, 12.5g(銀11.25g)1794年‐1964年、1965年‐1970年(銀品位40%)
  • 25セント, 6.25g(銀5.625g)1796年‐1964年
  • 20セント, 5g(銀4.5g)1875年‐1878年
  • 10セント, 2.5g(銀2.25g)1796年‐1964年
  • 5セント, 1.24g(銀1.125g)1794年‐1873年、5.00g(銀1.75g)1942年‐1945年(銀品位35%)
  • 3セント, 0.8g(銀0.6g)1851年‐1853年(銀品位75%)、1854年‐1873年(銀品位90%)

1976年の1ドル硬貨、50セント硬貨、25セント硬貨の一部は40%の銀が使用されている。

卑金属貨幣[編集]

  • 1ドル, 1971年-1999年(白銅と銅のクラッド)、2000年‐(黄銅
  • 50セント, 1971年‐(白銅と銅のクラッド)
  • 25セント, 1965年‐(白銅と銅のクラッド)
  • 10セント, 1965年‐(白銅と銅のクラッド)
  • 5セント, 1866年‐1941年、1946年‐(白銅)
  • 3セント, 1865年‐1889年(白銅)
  • 2セント, 1864年‐1873年(銅)
  • 1セント, 1793年‐1942年、1943年(亜鉛鍍金スチール)、1944年‐1982年()、1982年‐(銅鍍金の亜鉛)
  • 1/2セント, 1793年‐1857年(銅)

呼称[編集]

語源[編集]

ドル(ダラー)という名前は、ドイツで使われた歴史的通貨のターラー (Thaler) から来ている。ターラーは、16世紀ボヘミアザンクト・ヨアヒムスタール(現在のチェコヤーヒモフ)というの鉱山で鋳造された『ヨアヒムスターラー (Joachimsthaler) 』という銀貨の名前が短縮されて「ターラー」と呼ばれるようになったものである。

この銀貨は大型で品位も良く、フローリン金貨と等価として扱われたので、絶対量の不足していたフローリン金貨に代わって広く流通した。この品質の高さで知られた、銀貨を指すターラーという言葉が『良貨』の含意で一般名詞化し広まり、その後ダラーに訛って、アメリカ合衆国他各地において、良貨の意味を込め自国通貨をDollarと呼ぶようになった。

世界にあるドル[編集]

アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されていることから、通貨単位の呼称としての「ドル」は、カナダドル香港ドルシンガポールドルオーストラリア・ドルニュージーランド・ドルRTGSドルなど、いくつかの国家や地域で用いられている呼称であるが、現代の日本では単に「ドル」と言った場合は、通常「アメリカ合衆国ドル」のことを指す。

口語表現[編集]

口語ではドルの代りにバック (buck) が使われることも多い。たとえば、"5 dollars"と言わずに、"5 bucks"と表現される。"buck"とは、かつてネイティブ・アメリカンが白人と取引する際に、貨幣の代わりに鹿の皮 (buck) を使ったことに由来する。

また、裏面が緑色であることからドル紙幣のことをグリーンバックス (greenbacks) というが、このバックスは「裏」のこと (back) であり、日本語訳では「緑背紙幣」と呼んでいる。2014年現在の米ドル紙幣は両面が緑色であるが、かつての緑背紙幣の慣わしから、このように呼ばれている。

他に、口語では"grand"は「1,000ドル」を意味し、たとえば「10,000ドル」を指して"ten grand"と言われる場合がある。

歴史[編集]

後にアメリカ合衆国を構成することとなる、北アメリカのイギリス領植民地においては、法定通貨は当然ながらイギリス帝国スターリング・ポンドを採用していたものの、17世紀以降スペイン・ドルが盛んに流通していた。1783年アメリカ独立戦争が終わり、アメリカ合衆国が成立すると、13植民地でばらばらだった貨幣を統一する動きが強まった。1787年9月17日に作成されたアメリカ合衆国憲法の第1条第8項には「貨幣を鋳造し、その価値及び外国貨幣の価値を定め、また度量衡の標準を定めること」との記載があり[2]、これが通貨発行の根拠とされた。

これをもとに、アメリカ合衆国財務長官であったアレクサンダー・ハミルトンなどが中央銀行の創設と貨幣の鋳造を訴えた。ただし、特に中央銀行の創設には、州権を重視する南部から反対の声が強くあがった。こうした中、1791年には最初の中央銀行として第一合衆国銀行フィラデルフィアで創設され、1792年にはアメリカ合衆国造幣局が設立された。新たな通貨の単位はポンドではなく、より植民地内において流通量が多くなじみもあったドルが選ばれた。また、ドルはポンドとは違い10進法で設計され、1ドル=100セントとされた。1794年1795年にはフローイング・ヘア・ダラーが鋳造された。

こうしてアメリカ合衆国ドルは発足したが、特に中央銀行の創設に関しては反対が強く、創設と失効を繰り返した。1791年に創設された第一合衆国銀行は1811年までの20年の免許制であったが、財務長官アルバート・ギャラティンの強い反対にもかかわらず銀行免許は更新されず、同年に消滅してしまった。

この結果、同時期に勃発した米英戦争における経済負担の増加にアメリカ合衆国連邦政府は耐えることができず、経済混乱が起こったので、ジェームズ・マディソン大統領とアレクサンダー・J・ダラス財務長官によって第二合衆国銀行1817年に創設された。しかしこれも20年の免許制であり、アンドリュー・ジャクソン大統領が存続に反対したことで、1836年には免許が失効してしまった。この第二合衆国銀行の縮小と消滅は1837年恐慌の一因となった。また、これ以後中央銀行の再建は長く行われず、個々の銀行や鉄道会社が、アメリカ国債や金準備を使って、各種各様のドル紙幣を発行する状態が長く続いた。

ドルは中央銀行なしで70年以上存続したが、このため通貨供給量の調節や偽札に不備が生じ、1907年恐慌を引き起こすこととなった。このため、再度中央銀行の創設が叫ばれるようになり、1913年には連邦準備制度が成立して、合衆国に近代的な中央銀行が成立することとなった。このときドルの発行は、各市中銀行による発券から、連邦準備制度による集中管理によって、各地の連邦準備銀行が発行する現在の形となった。

このときドルは金本位制を取っていたが、1914年第一次世界大戦が勃発したことにより経済混乱が起き、ドルもとの兌換を一時停止し、管理通貨制度へと移行した。しかし第一次世界大戦の終戦とともに、アメリカには再び金が流入するようになり、1919年には大国中で最も早く金本位制を復活させた。これはアメリカ経済の相対的な安定を示すものであり、豊かな経済力を背景に米ドルは、スターリング・ポンドと並ぶ基軸通貨の地位を徐々に得ていった。

このドルの地位の上昇は、第二次世界大戦によって決定的なものとなった。スターリング・ポンドを握るイギリスが激しい戦いに巻き込まれる一方、アメリカ本土は戦渦に巻き込まれることがなく、相対的な経済力が著しく向上したためである。この情勢を元に、1944年7月にニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議が開かれ、ここで締結されたブレトン・ウッズ協定によって1オンスを35アメリカ・ドルと定めて、各国がドルに対し固定相場制を取ることとなった。

つまり、金本位制を取るアメリカに各国の通貨がペッグすることで、世界的に間接的な金本位制を取ることとなったわけである。この制度は金・ドル本位制とも呼ばれ、これによってアメリカ合衆国ドルは、名実ともに唯一の基軸通貨となった。このブレトン・ウッズ体制の下で、世界経済は安定を取り戻し、急速な復興を遂げることとなった。

しかし、戦火によって荒廃していたヨーロッパ日本の復興は、アメリカ合衆国の経済的優位を揺るがし、1960年代に入ると、これら各国へのドルの流出による、米ドルの地位低下が深刻なものとなった。こうした情勢を受け、アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンは、1971年8月15日にアメリカ合衆国ドルととの兌換停止を電撃的に発表し、アメリカ合衆国ドルは金本位制を放棄し、管理通貨制度へと移行した。これは第二次ニクソン・ショック、またはドル・ショックと呼ばれ、ブレトン・ウッズ体制は、これにより崩壊した。

これを受けて、新たな国際通貨体制が模索され、1971年12月18日には、ドルと各国通貨との交換レート改定を柱とするスミソニアン協定が、国際通貨基金の10か国グループ (G10) の間で結ばれ、固定相場制の維持が図られたが、ドルの価値減少は止まらず、各国は相次いで変動相場制に移行し、1973年にはスミソニアン体制は完全に崩壊した(変動相場制は1976年1月ジャマイカのキングストンで開催されたIMF暫定委員会で承認された)。ただし、こののちもアメリカ・ドルの基軸通貨としての地位は変わらず、世界で最も流通する基軸通貨の地位を保っている。

2023年11月に行われたアルゼンチン大統領選挙において、米ドルをアルゼンチンの通貨に制定させることを公約に掲げるハビエル・ミレイ候補が当選したことにより、近い未来に米ドルの法定通貨国に新たにアルゼンチンが加わることが予想されている。

有事のドル買い[編集]

為替相場では「有事のドル買い」と呼ばれ、有事(戦争や紛争)が起こった場合「国際通貨であるアメリカ合衆国ドルを買っておけば安心である」という経験則がある。

一方で、アメリカ本土が攻撃を受けた2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件では、「アメリカと言えど安全ではない、超大国ではなくなった」ということで米ドルは下落した。また、それ以降は有事はアメリカの対テロ戦争に繋がっていることが多いため、戦費支出による財政悪化が嫌気され、逆に「有事のドル売り」(ユーロスイス・フラン地金の高騰)となることがしばしばある。

なおアメリカ合衆国連邦政府は、緊急事態に備えて40億ドル分の紙幣を核シェルターに退蔵させていることが、1976年、ある上院議員により暴露されている[3]

通貨の一覧[編集]

現用貨幣[編集]

硬貨の一覧
画像 額(¢) 硬貨 愛称
幅(mm) 重量(g) 材質
1 19.05 mm 2.50 g 亜鉛メッキ エイブラハム・リンカーン アメリカ合衆国の盾 ペニー
5 21.21 mm 5.00 g 白銅 トーマス・ジェファーソン
IN GOD WE TRUST
モンティチェロ[注 2] ニッケル
10 17.91 mm 2.268 g 白銅及び銅のクラッド貨幣 フランクリン・ルーズベルト たいまつオークの枝、
オリーブの枝
ダイム
25 24.26 mm 5.67 g ジョージ・ワシントン ハクトウワシ[注 3] クウォータ
50 30.61 mm 11.34 g ジョン・F・ケネディ アメリカ大統領の紋章 ハーフダラー
100 26.50 mm 8.10 g マンガン青銅及び銅のクラッド貨幣 ジョージ・ワシントン[注 4] 自由の女神像 ダラーコイン
発行中の紙幣の一覧
種類 ($) 肖像 裏のデザイン
1 ジョージ・ワシントン アメリカ合衆国の国章
プロビデンスの目
IN GOD WE TRUST
2 トーマス・ジェファーソン 独立宣言署名の図
5 エイブラハム・リンカーン リンカーン・メモリアル
10 アレクサンダー・ハミルトン 財務省建物
20 アンドリュー・ジャクソン ホワイトハウス
50 ユリシーズ・S・グラント 連邦議会議事堂
100 ベンジャミン・フランクリン 独立記念館

2014年時点で、支払いがなされている紙幣は以上である。いわゆる「グリーンバック」と呼ばれる紙幣で、このうち、2ドル紙幣以外は多数流通している。1ドルおよび2ドル紙幣は、2世代前のデザインである。全ての紙幣には「IN GOD WE TRUST」と書かれている。

100ドル紙幣の紙幣流通総量に占める割合は80%(2018年末現在)、流通金額は1.3兆アメリカ合衆国ドルで約144兆円である(2019年5月7日現在)[4]

1ドル紙幣のジョージ・ワシントンの肖像部分に加工をした紙幣もある。これは1967年以降アメリカ合衆国財務省が法的に認めているもので、認定許可された業者により加工される。対象になっているものは、有名人・キャラクター・動物など多岐である。

合衆国国章の図柄は、USドルの紙幣や25¢の裏面に描かれた図柄の元となっている。

2016年4月20日に財務省が発表したデザイン改定決定では、新たな20ドル紙幣の表側肖像を奴隷解放に尽力した黒人女性のハリエット・タブマンとし、ジャクソンの肖像は裏側にまわすこと、5ドル紙幣の裏側にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを、10ドル紙幣の裏側には女性参政権獲得運動に尽力したルクレシア・モットら5人の女性の肖像を描くこととされた。具体的な新デザインは2020年に公表するとした[5]。これにより、肖像の人物が全て白人男性で占められていた状況が解消されることになる。

デザイン改定に関する一連の方針はジェイコブ・ルー財務長官によって発表された。しかし、後任のスティーヴン・マヌーチン財務長官は2017年8月のインタビューにて、いずれ議論する必要があると前置きをしつつも、現時点では偽造防止技術の向上などに焦点を当てていると語り、肖像の変更に関する検討が後回しにされていることを示唆した[6]

発行の終了した高額紙幣
種類 ($) 肖像 裏のデザイン
500 ウィリアム・マッキンリー 装飾した500
1,000 グロバー・クリーブランド United States of America の文字
5,000 ジェームズ・マディソン ワシントン辞任の図[注 5]
10,000 サーモン・P・チェース 装飾した10,000

以上に現在発行されていない額の高額面紙幣を示す。

金貨証券[編集]

 
100,000ドル金貨証券。肖像はウッドロウ・ウィルソン

金貨と兌換出来る金貨証券英語版は1928年まで発行されていた。1933年の大統領令(大統領令6102号英語版)による金の私有禁止にともない、金との兌換ができなくなったのはもちろんのこと、金貨証券の所持も禁止された。1964年の金所持解禁にともない、金貨証券の所持も合法化された。現在では古銭として収集家のコレクションとなっている。

最後の発行シリーズにおける額面は10ドル、20ドル、50ドル、100ドル、500ドル、1,000ドル、5,000ドル、10,000ドル、100,000ドル。このうち100,000ドル証券は連邦準備銀行間の取引にのみ用いられ、一般には流通しなかった[7]

銀貨証券[編集]

1899年から発行された5ドル銀貨証券。アメリカの紙幣や通貨証券でインディアンの肖像が用いられることは稀である。

銀貨と兌換出来る銀貨証券英語版は1957年まで発行されていた。1964年に銀貨ではなく銀地金との兌換となり、1968年に兌換停止。現在では金貨証券同様に収集品である。

最後の発行シリーズにおける額面は1ドル、5ドル、10ドル、の3種類だが、古くは1,000ドル証券まで存在した。

アメリカ合衆国以外の流通地域[編集]

地域としての流通[編集]

自国通貨を放棄して代わりにUSドルを使用すること、すなわちUSドルによる通貨代替英語版を「ドル化政策」(ドラリゼーション、: dollarization[8])と呼ぶ。ドル化を行う理由には様々なものがあり、アメリカの影響力が強く建国当初から独自通貨を持たないパナマのような国もある。また、インフレーションなどの自国における経済混乱に終止符を打つ最終手段としてそれまで発行されていた自国通貨の発行を停止し、世界で最も多く流通している通貨であるアメリカ・ドルを導入することで強引にインフレを終息させることもあり、特に2000年代以降、エクアドルエルサルバドルジンバブエがこの政策を取って自国通貨を廃止した。こうしたドル化には経済混乱の収束のほか、特に小国において過大な負担となりがちな通貨発行に対するコストを削減することができるメリットがあるものの、通貨発行益を失ううえ理論上中央銀行が不要となり、独自の金融政策が不可能となるデメリットがある。

アメリカ合衆国ドル(USドル)を公に通貨として利用するアメリカ合衆国(本土)以外の地域

より小規模な流通[編集]

在日米軍在韓米軍施設内などで使用が可能であり、沖縄県ほか米軍基地の存在する地域では、令和期になっても個人商店を主体に一般商店で使用可能なことが多い[11]。それ以外にも訪日外国人旅行向けに「ドル支払い受け付けます」としている店舗もある(ヨドバシカメラなど)が、広範囲の地域の経済通貨として使用されているわけではなく、同様の例は世界中に膨大に存在するため、個々の例示は割愛する。

特筆すべき非流通地域[編集]

為替レート[編集]

ドル対円 ユーロ対ドル
ドル対円
ユーロ対ドル
現在のUSDの為替レート
Google Finance: AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円
Yahoo! Finance: AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円
Yahoo! ファイナンス: AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円
XE: AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円
OANDA: AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY/円

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし近年は紙幣投入、レシート払い出しの仕様を持った機器が多いために直接コインを投入できる機器が非常に少ない点に留意が必要である。
  2. ^ 造幣局は、期間限定で5セントの裏のデザインを変更することを決定している。2004年3月より「ルイジアナ購入/平和のメダル」に変更。2004年秋より「キールボート」へ変更。2006年には、元の「モンティチェロ」へ戻す予定。
  3. ^ 1999年から毎年5種類ずつアメリカの各州にちなんだデザインの25¢コインが発行されている。50州25セント硬貨
  4. ^ 2007年2月15日から毎年4種類ずつ歴代大統領の肖像を就任順にデザインした1ドル硬貨が発行される。en:Presidential $1 Coin Program
  5. ^ 5,000ドル紙幣の裏面ワシントン辞任の図は、記念紙幣的なもので、通常の5,000ドル紙幣の裏面は装飾した5,000である。

出典[編集]

  1. ^ Chester L. Krause and Clofford Mishler, Colin R. Brucell, Standard catalog of WORLD COINS, Krause publications, 1989.
  2. ^ s:アメリカ合衆国憲法#第1条
  3. ^ 国家用の大金庫『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月4日朝刊、13版、7面
  4. ^ 新1万円札は使われるのか” (PDF). ARC WATCHING 2019年6月号. 2020年11月4日閲覧。
  5. ^ 新20ドル札に黒人女性 米紙幣120年ぶりの女性起用:朝日新聞デジタル (2016年4月21日)
  6. ^ Steven Mnuchin on Harriet Tubman's $20 bill: 'We will be looking at this issue'”. 2018年8月13日閲覧。
  7. ^ U.S. Bureau of Engraving and Printing - $100,000 Gold Certificate
  8. ^ dollarizationの意味・用例英辞郎 on the WEB:アルク
  9. ^ “ジンバブエ、RTGSを唯一の法定通貨に制定 政策金利50%へ”. ロイター. (2019年6月25日). https://jp.reuters.com/article/zimbabwe-economy-currency-idJPKCN1TQ06O 2019年7月23日閲覧。 
  10. ^ 工藤剛 (2007), カンボジア通信: 合気道事始めイン・カンボジア, 文芸社, pp. 102-104, ISBN 9784286032313 
  11. ^ 「平和について考える良い機会」「頑張ってる姿を」本土復帰50年で沖縄出身の力士が思い語る 日刊スポーツ 2022年5月15日20時38分 (2022年5月16日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]