アマデウス弦楽四重奏団

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アマデウス弦楽四重奏団
Amadeus String Quartet
AmadeusQuartet1969.jpg
アマデウス弦楽四重奏団 (1969)
基本情報
出身地 イギリスの旗 イギリス
ジャンル 弦楽四重奏
活動期間 1948年 - 1987年
レーベル ドイツ・グラモフォン
メンバー ノーバート・ブレイニン (第1ヴァイオリン)
ジークムント・ニッセル (第2ヴァイオリン)
ペーター・シドロフ (ヴィオラ)
マーティン・ロヴェット (チェロ)

アマデウス弦楽四重奏団 (Amadeus String Quartet) は、1950年代から1970年代を代表する弦楽四重奏団であった。

メンバー[編集]

アマデウス弦楽四重奏団のメンバーは

  • 第1ヴァイオリン - ノーバート・ブレイニン Norbert Brainin (1923年3月12日ウィーン; † 2005年4月10日ロンドン)
  • 第2ヴァイオリン - ジークムント・ニッセル Siegmund Nissel(1922年1月3日ミュンヘン; † 2008年5月21日ロンドン)
  • ヴィオラ - ペーター・シドロフ Peter Schidlof(1922年7月9日ウィーン; † 1987年8月16日ロンドン)
  • チェロ - マーティン・ロヴェット Martin Lovett(1927年2月3日ロンドン; )

であり、終始変わらなかった。39年間という長きにわたり完全同一メンバーで活動を行った団体であった。

略歴[編集]

ウィーン生れのユダヤ人であるブレイニンとシドロフや、ウィーンからミュンヘンに移住したユダヤ人の両親のもとに生れ、9歳の時にウィーンに戻っていたニッセルは、1938年のオーストリア併合の影響で英国へ逃れた。しかし1939年9月に第二次世界大戦が開戦すると、敵性外国人としてマン島にあるOnchan Campへ収容された。そこで、彼らは3人は初めて出会うこととなった。

収容所から解放された3人は、同じようにイギリスに亡命していたポーランド生まれで独墺流派の高名なヴァイオリニスト、マックス・ロスタルに師事した。さらにロスタルを通じて、イギリス人のロヴェットと出会い、1948年に弦楽四重奏団としてデビューした。1987年のシドロフの死によって活動が停止した。ブレイニンとニッセルもそれぞれ2005年2008年に死去している。

芸風はウィーン的であり、ドイツオーストリア風とみなされていた。 ドイツの伝統に根ざしつつ、交響曲的な響きを持つ温かく重厚な音色と、適度なルバートによって生み出される緊張感、第1ヴァイオリンのブレイニンのロマンティックな表現に特徴がある。そのため、ドイツのロマンティックな楽団に共通することだが、彼らの解釈と曲が合っているときにはきわめて緊張感と迫力のある演奏をするが、ややマイナーな曲などの場合は凡庸な演奏をしてしまうこともある、という性格も持っていた。

芸風[編集]

1950 - 60年代は世界をリードする団体だったが、1970年代以降、聴衆や評論家の嗜好が彼らから離れていったきらいもあった。1970年代以降、アルバン・ベルク弦楽四重奏団のように機械的で鋭いテクニックを聴かせる演奏、あるいはわざと細身の演奏をする事によって意図的に繊細さ、優雅さを作り出す「室内楽的に抑制された」演奏が好まれたからである。アマデウス四重奏団の演奏スタイルは、このどちらからも遠いものだった。彼らは活動の後期において、時代の嗜好との乖離に戸惑っているようであった。したがって、今では評論家の口から彼らの名前が聞かれることも減少した。現代作品すらほとんど手がけない、といった取り口もハリウッド弦楽四重奏団のようにウォルトンやヒンデミットとの相性で攻めた後続に抜かれる要素があった。

しかしながら彼らの演奏の激しい高揚感や、アダージョにおける深い表現は、ブッシュ弦楽四重奏団などのドイツの先達から受け継がれたものであった。また、彼らが発するフォルテの輝きは他のカルテットに類を見ないものでもあった。彼らはドイツの楽団の理想であった「ベートーヴェンの弦楽四重奏のフォルティッシモはマーラーブルックナーの交響曲のそれに劣るものではない」という言葉を体現した、歴史的に最後の楽団であったといえる。

ディスコグラフィー[編集]

業績としては1950年代から60年代に録音されたモーツァルトベートーヴェンブラームス全集やシューベルトドヴォルザークの録音などがあり、スタンダードの一つとして高い評価を受けている。

参考文献[編集]