アブル・ファラジュ・イスファハーニー

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アブル・ファラジュ著『歌の書』挿絵。13世紀に作成された写本。

アブル・ファラジュ・イスファハーニーアラビア語: أبو الفرج الأصفهاني‎, ラテン文字転写: Abū al-Faraj al-Iṣfahānī897年 - 967年)は、10世紀の西アジアで活動した文化人[1]、詩人[2]、学者[3]ハムダーン朝のアミール・サイフッダウラに献上した代表作『歌の書』で知られる[1][2][3]

生涯[編集]

ウマイヤ朝最後のカリフであるマルワーン2世から数えて8代目の子孫である[1]。先祖はアッバース家の攻撃を逃れてイラクのブワイフ家の保護を受け、アブル・ファラジュはイスファハーンに生まれた。

やがて、アッバース朝のカリフ・ラシード期の音楽家、イブラーヒーム・マウシリー英語版がまとめた100首の詩と楽譜などをもとにして、古代からアッバース朝にいたるアラブ人の詩歌の伝記集成を編纂する[1]。これが『歌の書』(Kitāb al-Aghānī)であり、アラブ音楽、詩人、音楽家を中心とした逸話や風俗が盛りこまれた百科全書的な内容で21巻の大部となった。

『歌の書』の執筆には50年を要し、完成した際には、ハムダーン朝サイフ・アッダウラに献上された[3]。サイフ・アッダウラは彼に金貨1000枚を与え、それでも足りないと考えて詫びた。アンダルスハカム2世もこれを欲し、金貨1000枚をアブル・ファラジュに贈って写本を入手しようとした。ブワイフ家の宰相だったイスマーイール・ビン・アッバードは、30頭のラクダで書物を運ぶのを常としていたが、『歌の書』を手に入れてからはこれのみですませたという。イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』において、この書を「アラブ人の文書庫」として賞賛している。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 中野, さやか「アブー・ファラジュ・イスファハーニー著『歌書』に見られる歌手達の分析:ウマイヤ朝・アッバース朝宮廷との関わりを中心に」『日本中東学会年報』第28巻第1号、2012年、59-98頁、doi:10.24498/ajames.28.1_59ISSN 2433-1872 
  2. ^ a b Sawa, S.G. (1985), “The Status and Roles of the Secular Musicians in the Kitāb al-Aghānī (Book of Songs) of Abu al-Faraj al-Iṣbahānī”, Asian Music (Asian Music, Vol. 17, No. 1) 17 (1): 68–82, doi:10.2307/833741, JSTOR 833741, https://jstor.org/stable/833741 
  3. ^ a b c  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Abulfaraj". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 1 (11th ed.). Cambridge University Press.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]