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アブドゥル・ワーヒド1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アブドゥル・ワーヒド1世
ムワッヒド朝第6代アミールカリフ
在位 1224年

死去 1224年
王朝 ムワッヒド朝
父親 アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世
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アブドゥル・ワーヒド1世アラビア語:أبو محمد عبد الواحد بن يوسف, Abd al-Wahid I, ? - 1224年)は、ムワッヒド朝の第6代アミールカリフ、在位:1224年)。第2代カリフアブー=ヤアクーブ・ユースフ1世の子で兄弟にヤアクーブ・マンスールがいる。アル・マフルー(al-Makhlu)とも。

1224年、大甥のユースフ2世が子供の無いまま急死すると、マラケシュの有力族長(シャイフ)にカリフとして擁立された。ところが甥のムルシア総督アブドゥッラー・アーディルが即位に反対してカリフを名乗り、コルドバでもアーディルにセビリア総督の地位を奪われたアブー・ムハンマド・アル・バイヤーシースペイン語版がカリフを宣言(バイヤーシーの弟のバレンシア総督アブー・ザイド英語版はアブドゥル・ワーヒド1世を支持)、3人もカリフ候補者が乱立して内乱が始まった[1][2][3][4]

同年にアブドゥル・ワーヒド1世はシャイフたちに暗殺されアーディルが次のカリフになったが、バイヤーシーと争いコルドバなどを奪取、バイヤーシーとザイド兄弟はカスティーリャフェルナンド3世に臣従、キリスト教国の介入を招きムワッヒド朝のアンダルス支配を崩壊させた[5][6][7][8]

脚注

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参考文献

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  • 余部福三『アラブとしてのスペイン』第三書館、1992年。
  • D・T・ニアヌ編、宮本正興責任編集『ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻上 12世紀から16世紀までのアフリカ同朋舎出版、1992年。
  • D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動刀水書房、1996年。
  • 芝修身『真説レコンキスタ <イスラームVSキリスト教>史観をこえて書肆心水、2007年。
先代
ユースフ2世
ムワッヒド朝第6代アミール
1224年
次代
アブドゥッラー・アーディル