パトゥーサイ

パトゥーサイ(英語:Patuxai Monument 、ラーオ語: ປະຕູໄຊ)は、ラオス人民民主共和国の首都ヴィエンチャンの中心部、ラーンサーン通りに位置するラオスとフランスの芸術を融合した様式の記念碑である。その名称は「勝利の門」を意味する。高さ49m(7階建て)、幅24m、奥行き24mである。ビエンチャンの重要なランドマークとなっている[1]。

パトゥーサイは、上部まで登ることができ、ヴィエンチャン市内を見渡せることから、観光客スポットとして、ラオスの国内外から観光客が訪れている。
1953年のフランス植民地支配からの独立を記念し、外国支配に対して戦い命を落とした無名戦士(英雄的戦士たち)を追悼するための「無名戦士の記念碑(アヌサワリー・ナックホップカオ)(ラーオ語:ອານຸສາວະຣີ ນັກຮົບເກົ່າ)」として建設が計画された[2]。設計を担当した建築家は、フランス・パリのエトワール凱旋門(フランス語: Arc de triomphe de l'Étoile)からインスピレーションを受け、そこにラオスの建築と装飾美術を融合させたと説明している。設計段階では内部の中心部には、名もなき英雄たちの魂を追悼するための炎を灯す場所が設けられていた[2]。
建設は1957年から開始されたがクーデターなどが起こり混乱し、1968年の時点で90%の完成度で中断し今に至る[1]。
正式名称は、1995年5月22日付情報文化省告示637号により、形状が「勝利の門」であることからパトゥーサイ(ラーオ語: ປະຕູໄຊ)と変更された[3][2]。しかしながら、現在でも一般にアヌサワリー(ラーオ語:ອານຸສາວະຣີ )とも呼称される。
営業時間
[編集]営業時間:8:00-17:00
入場料:外国人30,000キープ(2025年11月時点)
噴水ショーの時間:8:00-9:30、10:00-11:30、16:00-17:00、17:30-18:30、19:00-20:00

歴史
[編集]ラオス人研究者のチャンサモーン[4]はパトゥーサイを1)ラオス王国時代(1957年〜1975年)、2)ラオス人民民主共和国 初期(1975年〜1986年)、3)新思考時代(1986年〜現在)の3つの時代区分に分け論じている。
1.ラオス王国時代(1957~1975年):無名戦士の追悼
[編集]発議と設計コンペ
[編集]仏暦2500年(西暦1957年)に、ラオス王宮事務局はラオス王国政府に対し、1953年のフランス植民地支配からの独立を記念し、和解の象徴として特に外国の支配に抵抗してラオスで命を落とした無名戦士を追悼するための記念碑(アヌサワリー・ナックホップカオ)(ラーオ語:ອານຸສາວະຣີ ນັກຮົບເກົ່າ)の設計と建設について検討するよう求めた[2][1]。これを受けてデザインコンペティション委員会が設立されルアンパバーン王宮、土木局、住宅局、軍、一般の技術者など、王国全土の多くの機関から絵画や模型が提出された[2]。多数の応募の中からタム・サイニャシットセーナー中将(ラーオ語:ທຳ ໄຊຍະສິດເສນາ)の設計案が採用された。当時の賞金は3万キープであった。
設計段階では内部の中心部には、名もなき英雄たちの魂を追悼するための炎を灯す場所が設けられていた[2]。ただし建設には至らなかった。
建設と資金
[編集]建設資金は政府資金と国民の寄付が集められたが、当初はコン・レーのクーデターが勃発するなどの混乱し建設は遅々として進まなかった。本格的な建設は1966~1967年に実施された[3]。建設費は1967年時点で6,300万キープ(当時のレートで180万米ドル相当)と見積もられた[3]。しかしながら1968年には90%の完成度で建設は中断された[1]。
なお、建設に使用されたセメントなどの資材は、本来は空港の滑走路のためにアメリカからラオスへ寄付されたものを、ラオス当局が記念碑建設に流用したという噂がある。このため、アメリカの外交政策の失敗の象徴として「垂直滑走路(英語:Vertical Runway)」と揶揄された[4][5]。この話が真実であるかどうかにかかわらず、米国の援助が本来のプロジェクトから逸脱してると考えられていた当時の状況を示唆する[2]。ラオスは1960年代にアメリカの冷戦戦略の中で秘密戦争に巻き込まれていた[5]。
観兵式
[編集]完成後は、国王(シーサワーン・ワッタナー国王)が主宰するラオス王国軍隊記念日(1950年3月23日)の観兵式(パレード)などの国家的なイベントの会場として使用された。参加者は局長級以上の公務員や閣僚、軍人、警察官、ヴィエンチャン駐在の少尉以上の将校、そして村長、区長から知事に至るまでが含まれ、全員が正装し勲章を着用した。また、外国の外交官も参加した[2]。
2.ラオス人民民主共和国 初期(1975年〜1986年):忘却と勝利の再定義
[編集]1975年にパテート・ラオが政権を掌握した後、旧体制の象徴であったパトゥーサイは、社会主義政府とは相反する意味を持つため、10年以上にわたり放置され、多くの文化遺産と同様に手入れがされなかった[4]。新政権は徐々に、1975年8月23日に市民が権力奪取のためにタート・ルアン広場へ行進する際に通過した「門」(ゲートウェイ)であり、社会主義体制の勝利を象徴するものとして再定義しはじめた[4]。
3.新思考時代(1986年〜現在):国際的ランドマーク
[編集]1986年以降、ラオスが「新思考(チンタナカーン・マイ)(ラーオ語:ຈິນຕະນາການໃໝ່、英語:New Economic Mechanism)」政策により国を開放し、国際社会との連携と観光振興を重視する時代となった。パトゥーサイは、首都および国家の重要なランドマークとして積極的に活用されるようになった。
パトゥーサイへの名称変更
[編集]1995年5月22日付情報文化省告示637号により、形状が「勝利の門」であることからパトゥーサイ(ラーオ語: ປະຕູໄຊ)と定められた。告示では、パトゥーサイへの名称変更は、建造物の形状が世界中で作られてきた凱旋門に似ていること、特に1975年8月23日に権力奪取のためにタート・ルアン広場へ行進するデモ隊が集結し通過した門であることを理由に挙げた[2]。
切妻部分のデザイン変更
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1995年、パトゥーサイへの名称変更に加え、記念碑のアーチ上部のラオス王国軍の紋章を刻印した彫刻を「テープパノム(神)(ラーオ語:ເທບພະນົມ)」へと変更した[2]。
近年の整備や利用
[編集]- 2006年には中華人民共和国政府の支援を受けてパトゥーサイの庭園が修復された[6]。。
- ビエンチャン遷都450年に合わせ2020年には照明や音響がアップグレードされ、『ドーク・チャムパー』(プルメリアの花)や『バーン・メー・ハオ(母なる故郷)』といった楽曲に合わせて演出されている[2]。
- ラオス建国45周年を記念した中国政府からの3億人民元の援助の一部を使用してパトゥサイ公園の街頭や噴水の整備を実施。
- コロナ禍により閉鎖されたパトゥーサイは、2023年6~8月に整備し、2023年12月2日から入場を再開した[7]。
- 2024年5月~9月には中国雲南省商務局からの30万ドルの援助により司法省官舎跡地1.5ヘクタールの公園建設第1フェーズとして、店舗やトイレ、駐車場整備を行った[8]。
外交の象徴
[編集]パトゥーサイは国際協力のシンボルとしても使われている。
- 公園の完成後の2008年には世界平和評議会の提案を採用し、パトゥーサイ記念碑の敷地内に「世界平和の鐘(英語:World Peace Gong)」を設置した[4]
- 2015年には国連創設70周年を記念し、青色にライトアップされた。
- 2023年11月にはUNICEF設立50周年を記念して、3日間青色にライトアップされた[9]。
- 2025年11月17日には、日本の愛子内親王殿下のラオス公式訪問の最初の視察先としてパトゥーサイを訪問した[10]。
建築様式と設計思想
[編集]パトゥーサイの設計は、植民地様式(フランス)と地域的な建築様式の融合を示す事例とされている[5]。設計者であるタム・サイヤシットセーナー(ラーオ語:ທຳ ໄຊຍະສິດເສນາ)は、ヨーロッパの凱旋門に影響を受けつつ、ラオスの伝統芸術を融合させた。
設計寸法と宇宙観
[編集]タムは、パトゥーサイを神聖かつ美しく見せるために、仏教的な意味合いを持つ3、7、8の数字を寸法の算出基準として採用した[3]。また、その構造は、「基部・主要胴部」「頂部」「内部」の3部分に分けることができる[1]。
- 3:仏教の三宝(仏、法、僧)を意味
- 7:一週間の7日の終わりのない循環、永遠性を象徴
- 8:八方角の守護者と八方への威光、および仏教の八斎戒を意味
これに基づき高さは49メートル(7×7メートル)、各側面の幅は24メートル(3×8メートル)、入り口(アーチ)の幅は8メートルとした。
基部・主要胴部
[編集]設計者のタムは、パトゥーサイの平面図はラーンサーン様式の仏塔と同じ正方形であり、建築様式はエトワール凱旋門からインスピレーションを得たと述べている[1]。基部はラーンサーン様式の仏塔の基壇を応用し「ブア・クワム・ブア・ガイ(下向きと上向きの蓮弁)」という、蓮の花が咲く様子を取り入れた形状が特徴である[1]。
頂部
[編集]頂部は、仏教宇宙観である三界(トライプーム)に基づいており、中央の尖塔は帝釈天が住む須弥山の三十三天を、四隅の尖塔は四天王を象徴していると考えられる[1]。同時に5つの尖塔は、仏教の五戒(パンチャシーラ)」または、政治家が国民の幸福をもたらすために従うべき「平和共存五原則」という政治的・宗教的な指針を象徴している[1]。尖塔の形状は、神々の住処である「ブッサボック」(尖塔状の宮殿型構造物)(ラーオ語:ບຸດສະບົກ)を模しており、またマンダラを模した配置とされる[1]。
内部
[編集]パトゥーサイの内部空間は、西洋の古典建築技術を応用しつつ、装飾でラオスらしさを加えている。中央の大ホールの天井は、ローマ建築の典型的な様式の一つである「クロイスター・ヴォールト(曲面天井)(英語:cloister vault )」である。 浅浮き彫り(レリーフ)と彩画で装飾されている[1]。大ホールの中央の床には、当初計画されていた、英雄の魂を象徴する聖火のためのスペースがあったが建設されなかった[1]。

装飾模様
[編集]パトゥーサイに施されている装飾文様は、寺院や仏塔に見られるラオスの伝統芸術に基づいており、宗教的、政治的、文化的意味が込められている。これらの文様は、設計者であるタム・サイヤシットセーナー(ラーオ語:ທຳ ໄຊຍະສິດເສນາ)の意図に基づき、「自然」「宗教的信仰」「君主制(ラオス王国)」の三つの主要なテーマに分類される[1]。
自然を象徴する装飾模様
[編集]自然の豊かさ、仏教的な崇拝対象である。パトゥーサイで最も多く見られるのは、上向きの蓮の花(ラーオ語:ດອກບົວກາຍ)、カニ爪模様(ラーオ語:ກາມປູ)、カピン(ラーオ語:ກະປິນ)、つる草の花(ラーオ語:ດອກວັນແລນ)の模様である。さらに、ヒマパーンの森(ラーオ語:ປ່າຫິນພະພານ)に住む伝説の生物であるキンナリー(ラーオ語:ກິນນະຣີ)や、ラーフ神(ラーオ語:ພຣະຣາຫູ)が月を飲み込む姿(日食・月食の象徴)も見られる[1]。
宗教的信仰を象徴する装飾模様
[編集]仏教、バラモン教、ヒンドゥー教の多様な信仰を示す装飾模様である。パトゥーサイの装飾で最も多く見られるのは、様々な姿勢の「天人」像で、内外の至る所にあり、単独または他の模様と組み合わせて配置されている。さらに、戦いと善、そして仏陀の教えに基づく徳を司るインドラ神(帝釈天)、万物の創造主であるブラフマー神(梵天)、そして万物を守護するヴィシュヌ神などである[1]。
君主制(ラオス王国)の統治を象徴する装飾模様
[編集]王権の正当性、王を神の化身と見立てる思想を示す装飾模様である。文学作品「プラ・ラック・プラ・ラーム」(ラオス版ラーマーヤナ)(ラーオ語:ພຣະລັກພຣະຣາມ)からナーラーヤナ神の武器であるチャクラとトリシューラ(国王の武器の例え)、インドラ神の乗り物である三つの頭を持つエラワン象(アイラーヴァタ)(ラオス王国の象徴の一つ)、ナーラーヤナ神の化身であるヴィシュヌカム(ヴィシュヴァカルマン)(工芸・技術の師の象徴)が施されている[1]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Chintalar Xeuaxok, Chaiboon Sirithanawat, Pancharat Suriyothin (2020). “The Architectural Elements of The Victory Arch of Vientiane, Lao PDR จินตะหลา เชื้อโชก ชัยบูรณ์ ศิริธนะวัฒน์พรรณชลัท สุริโยธิน ภาควิชาสถาปัตยกรรมศาสตร์ คณะสถาปัตยกรรมศาสตร์ จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย”. สาระศาสตร์ (Faculty of Architecture Chulalongkorn University) ฉบับที่ 2/2563.
- ^ a b c d e f g h i j k Chansamone Keomoungkhoune『[http://202.28.34.124/dspace/handle/123456789/1550 Patuxay, Vientiane Capital : Signifier and Signify in the process of Lao’s Historical and Socio – Cultural Development อนุสาวรีย์ประตูชัย นครหลวงเวียงจันทน์ : ตัวหมายและความหมายทางประวัติศาสตร์และสังคมวัฒนธรรมลาว]』Mahasarakham University、2021年。
- ^ a b c d 『ປະຕູໄຊ ການກໍ່ສ້າງ, ຄວາມໝາຍ, ກິຕິສັກ』1995年。
- ^ a b c d e Chansamon Keomoungkoun. “The Patuxai Monument: Signifier and Signified in Laotian History, Society, and Culture”. The International Journal of Architectonic Spatial and Environmental Design 17 (2): 99-108.
- ^ a b c 『Phnom Penh's Independence Monument and Vientiane's Patuxai: Complex Symbols of Postcolonial Nationhood in Cold War-Era Southeast Asia(Monument Culture: International Perspectives on the Future of Monuments in a Changing World)』Rowman & Littlefield、2019年、35-48頁。
- ^ Chansamone Keomoungkhoune『[http://202.28.34.124/dspace/handle/123456789/1550 Patuxay, Vientiane Capital : Signifier and Signify in the process of Lao’s Historical and Socio – Cultural Development อนุสาวรีย์ประตูชัย นครหลวงเวียงจันทน์ : ตัวหมายและความหมายทางประวัติศาสตร์และสังคมวัฒนธรรมลาว]』Mahasarakham University、2021年。
- ^ ໄຊຍາ (2023年11月14日). “ນະຄອນຫຼວງວຽງຈັນ ກະຕຣຽມບູຣະນະ ປະຕູໄຊ” (ラーオ語). ຂ່າວລາວ ວິທຍຸເອເຊັຽເສຣີ ພາສາລາວ. 2025年11月22日閲覧。
- ^ “Asean 2024”. kpl.gov.la. 2025年11月22日閲覧。
- ^ “ປະຕູໄຊ ປ່ຽນເປັນສີຟ້າ”. UNICEF Laos. UNICEF Laos (2023年11月20日). 2025年11月22日閲覧。
- ^ “MSN”. www.msn.com. 2025年11月22日閲覧。