コンテンツにスキップ

アナ・アスラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アナ・アスラン
1970年の写真
生誕 (1897-01-01) 1897年1月1日
ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 ブライラ
死没

1988年5月20日(1988-05-20)(91歳没)


ルーマニアの旗 ルーマニア社会主義共和国 ブカレスト
墓地  ルーマニア ブカレスト w:Bellu Cemetery
市民権  ルーマニア
国籍 アルメニア人
研究分野 老年学
研究機関 National Institute of Gerontology and Geriatrics(創設者)
出身校 Faculty of Medicine, Bucharest (1915–1922)
主な業績 ジェロビタール
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
2016年のルーマニアの切手に描かれたアスラン
1996年のルーマニアの切手に描かれたアスラン

アナ・アスラン(Ana Aslan、1897年1月 - 1988年5月20日)は、アルメニア系ルーマニア人生物学者医師である。ブライラで生まれ、ブカレストで死去した。老年学が専門で、この分野で国際的に著名である。国立老人医学研究所の所長を務め、ジェロビタールの発明者として知られる。1971年ドイツ連邦共和国功労勲章受章。

生い立ち

[編集]

アナは、Mkrtitch AslanyansとSofia Aslanyansの間の4人の子供(2人兄弟2人姉妹)の末子として生まれた。非常に理知的な子供だったと言われ、4歳で既に読み書きを学んだ。13歳の時に父親が死去し、一家はブカレストに移住した。アナはブカレストで学校に通い始め、1915年にCentral School of Bucharestを卒業した。彼女が医師になろうとしたきっかけは、仲の良かった父が若くして亡くなったためだと言われている。医学分野は、女性にとって望ましい環境ではなかったが、アナはこれが自身の進むべき道だと決意し、1915年から1922年まで医学部に通った。彼女の母は、経済的な理由から、医師になるという彼女の決意を支持しなかったため、アナは母が認めるまで、ハンガーストライキを行った。学部在席時代に、看護師として第一次世界大戦に従軍した。

研究

[編集]

1922年に医学部を卒業すると、博士論文の指導を行ったダニエル・ダニエロポルの下で研究を行い、1924年に心血管生理学のM.D.を取得した。彼女は、加齢の過程と生理学に興味を持ち、プロカイン関節炎に与える影響について実験を行った。またアスランは、プロカインが持つ別の効能も発見した。この発見を元に3年間の研究を行い、老化の影響に対して処方されるジェロビタールという薬剤の発明につながった。ジェロビタールが「若返りの泉」であることに同僚科学者が疑義を呈する中、アナは、その結果を証明するための研究を開始した。2年間の研究で、ジェロビタールまたはプラセボのどちらかを投与された1.5万人分の血液サンプルを得た。ジェロビタールを投与された人の40%は病気休暇日数が減り、インフルエンザの流行による死亡率は、プラセボを投与された患者で13%だったのに対し、この薬を投与された患者では、わずか2.7%だった。1976年には、薬剤師のElena Polovrăgeanuと共同で、皮膚の老化を遅らせることを目的としたジェロビタールの類似薬アスラビタールを発明した。

化粧品

[編集]

アナ・アスランは、2種類の化粧品(ヘアローションとクリーム)の特許を取得し、Farmec社とMiraj社に製造委託した。両社はそれ以来、品揃えを多様化し、伝統的な塩酸プロカインは配合に用いられなくなった[1]

出典

[編集]
  1. ^ TV, NatGeo. “National Geographic pentru toți oriunde” (ルーマニア語). www.natgeotv.com. 2022年12月17日閲覧。

外部リンク

[編集]