アナトリー・ヴェデルニコフ

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アナトリー・イヴァノヴィチ・ヴェデルニコフロシア語: Анатолий Иванович ВедерниковAnatoly Ivanovich Vedernikov1920年5月5日-1993年7月29日)は、20世紀を代表するロシアピアニスト、音楽教育者。ロシア・ピアニズム、ネイガウス派の一人である。

略歴[編集]

生涯[編集]

十代なかばで、両親と引き離された。また、自身の信念に忠実に行動したため体制に迎合せず当局に睨まれ、海外での演奏活動が制限された。このことは、ヴェデルニコフの類稀なる能力が国外に広く発信できず、ロシア以外では存在すら殆ど知られないことの理由となった。ただし、当人が自分にはレコードがある、と発言したとおり音源資料が存在している。ヴェデルニコフの映像は殆ど現存しないが、2007年に演奏映像のDVDが公開された[2]。1980年代に入ると、ペレストロイカにより、ロシア(ソ連)以外での演奏活動もできるようになった。これは、ヴェデルニコフの人生における大きな変化となった。西側諸国での演奏会は好評を博した。しかし、時すでに遅く、西側から体系的に録音をする日は来なかった。

ヴェデルニコフの演奏のレパートリーはとても広い。バロックからロマン派、印象派、現代音楽にいたるまでの音楽に精通しており、ロシア人で、リゲティの練習曲を、リゲティより年上のピアニストが、初めてライブで弾いたという事実は西側を震え上がらせた。また、指の動きが速く、運指が優れ、ペダリングも清潔であったことから録音には都合がよかったことがわかる[3]。ペダルを上げてカットし、すぐに素早く後踏みする技術はネイガウス直伝のテクニックである。これは晩年のフランツ・リストのペダリングと言われており、ロシアまでこの奏法が伝達されていたことがうかがえる。

ガリーナ・ウストヴォーリスカヤのピアノソナタ第二番のもっとも初期の録音はヴェデルニコフのものである。ソ連当局や音楽院の圧力に屈せず現代音楽を可能な限り弾き残していたことは、彼の業績を前人未到のものにしたが、古典派の奇抜な解釈も忘れ難い。

参考文献[編集]

  • Ведерников, Анатолий Иванович // Энциклопедия «Москва» / Под ред. С. О. Шмидта. — М.: Большая Российская энциклопедия, 1997. — 976 с.
  • Ведерников, Анатолий Иванович — статья из энциклопедии «Кругосвет»
  • В потоке времени // Н.Андреева, «Иные берега», №1 (5), 2007
  • Ведерников А. И. // Музыкальная энциклопедия. — М.: Советская энциклопедия, Советский композитор. Под ред. Ю. В. Келдыша. 1973—1982.
  • Русский пианист Анатолий Ведерников. РИА Новости (3 мая 2010). Проверено 3 июня 2014.

脚注[編集]

  1. ^ a b 宇神幸男「悲劇の巨匠ヴェデルニコフ」テイチク株式会社、1994年CD「悲劇の巨匠ヴェデルニコフ/20世紀ロシアのピアノ音楽」ライナーノーツ所収
  2. ^ ビデオメーカー、2007年DVD「映像で見て聴くロシア・ピアニズムの黄金時代シリーズ Vol.4 アナトーリ・ヴェデルニコフの至芸」
  3. ^ 日本コロムビア株式会社、1995年CD「ヴェデルニコフの芸術-9 ドビュッシー・2」