アトック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
アトック

اٹک
アトックの位置(パキスタン内)
アトック
アトック
アトックの位置(西南アジア内)
アトック
アトック
北緯33度46分 東経72度22分 / 北緯33.767度 東経72.367度 / 33.767; 72.367座標: 北緯33度46分 東経72度22分 / 北緯33.767度 東経72.367度 / 33.767; 72.367
パキスタンの旗 パキスタン
パンジャーブ州
建設 1904年
基礎自治体創設 1978年
行政
 • Mayor: Malik Tahir Awan PMLN Sheikh Aftab Ahmed
等時帯 UTC+5 (パキスタン標準時)
郵便番号
0u09244 057
ウェブサイト www.attockonians.com

アトック(Attock、パンジャブ語/ウルドゥー語: اٹک‎)、旧称キャンベルプール(Campbellpur、کیمبل پور[1]は、パキスタン北部のパンジャーブ州にあり、首都イスラマバードからさほど遠くないところに位置する都市。アトック県英語版の県庁、アトック郡英語版(アトック・テシル)の郡庁が置かれている。この都市は、16世紀ムガル帝国の皇帝アクバルが建設させた都市であるアトック・クルド英語版[2]から南東に20キロメートルほど離れた場所に、1908年に建設され[3]、当初はサーコリン・キャンベル英語版の名に因んでキャンベルプールと名付けられた[4]

地名の由来[編集]

この都市は、サーコリン・キャンベル英語版)の名に因んで、1908年キャンベルボール (Campbellpore)、ないし、キャンベルプール (Campbellpur) と名付けられた[4]。その後、1978年アトック (Attock) と改称されたが、これは「山の麓」という意味である[2]

地理[編集]

アトックは、インダス川の支流であるハロ川英語版の近傍、ラーワルピンディーから80 km (50 mi)、ペシャーワルから100 km (62 mi)、カムラ英語版パキスタン航空コンプレックス英語版から10 km (6 mi)という位置にある。

歴史[編集]

背景[編集]

アトックは、歴史的に重要な地方に位置している。古代王国ガンダーラは、現在のパキスタンのスワット谷 (Swat valley) やパトワール高原英語版地方や、アフガニスタン北東部のジャラーラーバードにも広がっていた。インダス川中流域のこの一帯には、主だった都市としてタキシラペシャーワルも位置している。この場所は、カイバル峠を越えてアフガニスタンへと向かおうとする軍勢や隊商が、インダス川を渡るところであり、政治的にも商業的にも重要であった。アレクサンドロス大王も、ティムールも、ナーディル・シャーも、インドに侵攻する際にはこの辺りでインダス川を渡った[5]

アトック砦英語版が完成したのは1583年のことで、ムガル帝国の皇帝アクバルの大臣であったカワジャ・シャムスディン・カワフィ英語版が建設を指揮した[6]1758年4月28日には、アトック・クルドで、(1758年の)アトックの戦い英語版が、インド側のマラーター同盟と、ドゥッラーニー帝国の間で戦われた。マラーター王国宰相ペーシュワーラグナート・ラーオと、マハーラージャトゥコージー・ラーオ・ホールカルに率いられたマラーター軍が勝利し、アトックを奪取した[7]。同年5月8日には、ペシャーワルの戦い英語版でもマラーター軍がドゥッラーニー軍を破り、ペシャーワルを奪取した。マラーター軍は、さらに進んでアフガニスタンとの国境に迫った。しかし、このマラーターのインド北西部征服英語版は長続きせず、パンジャーブのアワド太守ナワーブ)がアトックを攻略し、先の敗北に危機感をもったアフマド・シャー・ドゥッラーニーが太守と条約を結んでアトックを再度占領した。この条約によって、アトックは、アフガニスタンと太守によって分有されることになった。ムガル帝国が衰退すると、シク教徒たちがアトック県に侵入し、当地を占領した。シク教徒たちは信仰の自由を保証し、地元のムスリムたちを尊重した。シク王国1801年 - 1849年)は、マハーラージャランジート・シング1780年1839年)の下で、1813年にパンジャブに置かれたアフガニスタン王国太守からアトック砦を奪取した。

1849年アトック・クルド(オールド・アトック、Old Attock)は、イギリス東インド会社に征服され、キャンベルプール地区 (Campbellpur District) が新設された。1857年インド大反乱の後、イギリス側はこの地方の戦略的な重要性を強く認識して、1857年から1858年にかけてキャンベルプール常駐地英語版を建設した[3]。キャンベルプール地区は1904年に再編され[3]ジェーラム県英語版タラガング郡英語版テシル)とラーワルピンディー県英語版ピンディゲブ英語版ファテ・ジャング英語版、アトックの諸郡によって、キャンベルプール県が編成された。

創設[編集]

市街地の基礎は、1908年英印軍総司令官だったサーコリン・キャンベルによって敷かれ、彼に因んで命名された[3]。16世紀頃に建設された旧市街は、南アジア中央アジアを結ぶ主要経路を守るアトック砦の近くに建設されたものであった。1915年には、カウル英語版に、アトックで最初の油井が掘削され[8]、アトック石油会社 (Attock Oil Company) が設立された[9]。ジャンド (Jand) に近いダッキニー (Dakhini) やファテ・ジャングには、油田ガス田がある。

現代[編集]

1947年インド・パキスタン分離独立の後、少数派であるヒンドゥー教徒シク教徒は、インドへと移り住み、代わってインドから逃れてきた難民がアトックに定着した。パキスタン政府英語版1978年にキャンベルプールをアトックと改称した[2]。この都市と周辺は、パキスタン軍の展開が目立つ地域としても知られている[10]

教育[編集]

パキスタンの教育事情に関する書籍である『Alif Ailaan Pakistan District Education Rankings』の2014年版によれば、アトックは調査対象とされた146県のパキスタンの県英語版のうち教育の質が第3位であるという。諸施設やインフラストラクチャーの整備については、146県中17位とされた[11]。県内の教育についての詳しい情報はオンラインでも入手可能である[12]。Army Public School(陸軍の公設学校、高等教育機関)[13]Government College of Technology(政府が設ける国立の工科系高等教育機関)[14]ビーコン・ライト・イングリッシュ・モデル中等学校英語版COMSATS大学イスラマバード英語版[15]、Punjab College Attock[16]などが、アトックにおける重要な教育機関である。

脚注[編集]

  1. ^ Shackle, Christopher (1980). “Hindko in Kohat and Peshawar”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies 43 (3): 482. doi:10.1017/S0041977X00137401. ISSN 0041-977X. http://www.journals.cambridge.org/abstract_S0041977X00137401. 
  2. ^ a b c Everett-Heath, John (2017-12-07) (英語). The Concise Dictionary of World Place Names. Oxford University Press. ISBN 9780192556462. https://books.google.com/books?id=qgJCDwAAQBAJ&pg=PT332&dq=campbellpur+name+change&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwi3kpfW-97ZAhVS8GMKHbsnCLkQ6AEINTAC#v=onepage&q=campbellpur%20name%20change&f=false 
  3. ^ a b c d Pike, John. “city.htm Attock City Cantonment” (英語). www.globalsecurity.org. 2018年3月9日閲覧。
  4. ^ a b Everett-Heath, John (2017-12-07) (英語). city%20campbell&f=false The Concise Dictionary of World Place Names. Oxford University Press. ISBN 9780192556462. https://books.google.com/books?id=qgJCDwAAQBAJ&pg=PT332&dq=attock+campbell&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjC9aOFr9HZAhUY02MKHeB5D5cQ6AEILjAB#v=onepage&q=attock city%20campbell&f=false 
  5. ^  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Attock" . Encyclopædia Britannica (英語). 2 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 886.
  6. ^ Hasan, Shaikh Khurshid (2005). Historical forts in Pakistan. National Institute of Historical & Cultural Research Centre of Excellence, Quaid-i-Azam University. p. 37. ISBN 978-969-415-069-7. https://books.google.com/books?id=HH_fAAAAMAAJ 2011年7月17日閲覧。 
  7. ^ “Attock to Cuttack, PM Narendra Modi causes a stir”. The Economic Times. (2017年6月27日). https://economictimes.indiatimes.com/news/politics-and-nation/attock-to-cuttack-pm-narendra-modi-causes-a-stir/articleshow/59332065.cms 
  8. ^ World oil. Gulf Publishing Company.. (March 1947). p. 12. https://books.google.com/books?id=CXVAAQAAIAAJ 2011年7月17日閲覧。 
  9. ^ (India), Punjab (1932) (英語). Punjab District Gazetteers: Attock district, 1930. Superintendent, Government Printing. https://books.google.com/books?id=3MNFAQAAIAAJ&q=%22campbellpur+attock&dq=%22campbellpur+attock&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwisvpG4gd_ZAhXqrFQKHcKRCGMQ6AEIMDAC 
  10. ^ Jaffrelot, Christophe (2015-08-15) (英語). The Pakistan Paradox: Instability and Resilience. Oxford University Press. ISBN 9780190613303. https://books.google.com/books?id=_XdeCwAAQBAJ&pg=PT152&dq=campbellpur+name+change&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjSoY3m_N7ZAhVKrVQKHecrDWg4FBDoAQgqMAE#v=onepage&q=campbellpur%20&f=false 
  11. ^ Alif Ailaan Pakistan District Education Rankings, 2014”. Alif Ailaan. 2014年5月6日閲覧。
  12. ^ Individual district profile link, 2014”. Alif Ailaan. 2014年5月6日閲覧。
  13. ^ Army Public College Attock - Facebook
  14. ^ About GCT Attock”. Government College of Technology. 2018年11月17日閲覧。
  15. ^ COMSATS University Islamabad Attock Campus”. COMSATS University Islamabad. 2018年11月17日閲覧。
  16. ^ Punjab College Attock Official - Facebook

関連項目[編集]