アデール・ド・モー

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アデール・ド・モー
Adèle de Meaux
AdelaVermandois.jpg
アデール・ド・モーの墓像

称号 アンジュー伯妃
出生 935年ごろ
死去 982年ごろ
配偶者 アンジュー伯ジョフロワ1世
子女 エルマンガルド=ジェルベルジュ
フルク3世
ジョフロワ
家名 ヴェルマンドワ家
父親 ロベール・ド・ヴェルマンドワ
母親 アデライード・ド・シャロン
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アデール・ド・モーフランス語:Adèle de Meaux, 935年ごろ - 982年ごろ)もしくはアデール・ド・ヴェルマンドワ(Adèle de Vermandois)は、アンジュー伯ジョフロワ1世の妃。

生涯[編集]

アデールはモー伯・トロワロベール・ド・ヴェルマンドワと、ブルゴーニュ公ジルベール・ド・シャロンの娘でトロワ伯領女子相続人のアデライード(もしくはウェラ)の娘であった[1][注釈 1]

アデールは982年に死去した[3]

ジョフロワ1世が後妻に迎えたアデライード・ド・シャロンは一説ではアデールの実母アデライードの同名の姉妹とされる。

家族[編集]

アンジュー伯ジョフロワ1世(938/940年頃 - 987年7月21日)と結婚し[1]、以下3子に恵まれた。

注釈[編集]

  1. ^ バッハラッハによれば、アデールの父親はヴェルマンドワ伯エルベール2世であるという[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Bouchard 2001, p. 19.
  2. ^ Bachrach 1993, pp. 9, 273.
  3. ^ Bachrach 1993, p. 11.

参考文献[編集]

  • Bachrach, Bernard S. (1993). Fulk Nerra the Neo-Roman Consul, 987-1040. University of California Press 
  • Bouchard, Constance Brittain (2001). Those of My Blood: Creating Noble Families in Medieval Francia. University of Pennsylvania Press