アデル・ド・フランドル

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アデル・ド・フランドル
Adèle de Flandre
デンマーク王妃
出生 1064年
死去 1115年
配偶者 デンマーククヌーズ4世
  プッリャ公ルッジェーロ・ボルサ
子女 インゲリ
カエキリア
シャルル1世
ルイージ
グリエルモ2世
グイスカルド
父親 フランドル伯ロベール1世
母親 ジェルトリュード・ド・サクス
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アデル・ド・フランドルAdèle de Flandre1064年頃 - 1115年)は、デンマーククヌーズ4世の妃、のちプッリャ公ルッジェーロ・ボルサの妃。エランダAilanda)の名前も伝えられている[1]

生涯[編集]

フランドル伯ロベール1世と妃ジェルトリュード・ド・サクスの娘として生まれた。1080年にクヌーズ4世と結婚し、双子の娘インゲリとカエキリア、息子のカール(後のフランドル伯シャルル1世)をもうけた。1086年に夫が暗殺されるとアデルはカールを連れてフランドルへ逃れた。2人の娘たちは夫の弟であるエーリク(のちのエーリク1世)が引き取って養育した。

彼女は父と兄が治めるフランドル宮廷に滞在し、1092年にプッリャ公ルッジェーロ・ボルサロベール・ギスカールの子)と結婚するためイタリアへ発った。アデルはルッジェーロとの間に3人の男子をもうけたが、成人したのはグリエルモ(1096年頃生)1人であった[2]。彼女はルッジェーロが死去した1111年以降、プッリャ公位を継いだ幼い息子の摂政となり、1114年にグリエルモが成人するまで務めた。

脚注[編集]

  1. ^ Women in Power 1100–1150
  2. ^ 山辺規子 『ノルマン騎士の地中海興亡史』 白水社、1996年、p.172