アズマハンター

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アズマハンター
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1979年2月11日
死没 生死不明
ダストコマンダー
ハンティングボックス
生国 日本の旗 日本千葉県成田市
生産 東牧場
馬主 (株)東牧場
調教師 仲住芳雄美浦
競走成績
生涯成績 14戦4勝
獲得賞金 1億2986万6200円
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アズマハンターとは日本競走馬である。おもな勝鞍に1982年皐月賞がある。

経歴[編集]

1982年のクラシック競走は有力馬が次々に故障するという史上稀に見る大混迷の中、トライアル三冠競走の全てに出走した。東西の3歳(現在でいう2歳)王者、ホクトフラッグリードエーティは前哨戦に出走することなく故障し、弥生賞を勝ったサルノキングスプリングステークスで故障した。本馬はこのスプリングステークスで3着に入り、クラシック第一弾の皐月賞では三番人気に支持された。スプリングステークスを勝った良血の逃げ馬ハギノカムイオーが一番人気に推されたが、同じ逃げ馬のゲイルスポートに競り潰される形で惨敗。この皐月賞を本馬が制した。

皐月賞で本馬に騎乗した中島啓之は、次走のダービートライアルNHK杯以後は自厩舎のトウショウペガサスに騎乗するため、小島太に乗り替わりとなった。NHK杯2着を挟んで出走した東京優駿(日本ダービー)では、単枠指定とされ、圧倒的1番人気に支持されたが、発走トラブル[1]もあって、スタートで大きく出遅れ、日本ダービーレコードより速いタイムで走破するもバンブーアトラスの3着と敗れている。

秋はセントライト記念からの始動で、騎手は中島に戻ったが、地方からの転厩緒戦のホスピタリテイに完敗の2着、続く京都新聞杯からは武邦彦に乗り替わるが8着と惨敗し、ラストランとなった菊花賞では故障もあり13着に惨敗、引退となった。

アメリカに輸出されたダストコマンダーの後継種牡馬として期待されたが、活躍馬を出す事が出来ず1992年に種牡馬を引退するが、皮肉にもその直後にユーセイフェアリー(皐月賞馬・ナリタタイシンの半姉)が阪神牝馬特別を制している。

種牡馬引退後は静岡県掛川市にあるつま恋乗馬倶楽部で乗馬として供用されていたが、2001年以降、そこを出されたようでその後の行方は不明である。

年度別競走成績[編集]

1981年(3戦1勝)

1982年(11戦3勝)

代表産駒[編集]

血統表[編集]

アズマハンター血統ボールドルーラー系/Blenheim5×5=6.25%) (血統表の出典)

*ダストコマンダー
Dust Commander
1967 栗毛
父の父
Bold Commander
1960 鹿毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
High Voltage Ambiorix
Dynamo
父の母
Dust Storm
1956 栗毛
Windy City Wyndham
Staunton
Challure Challedon
Captivation

*ハンティングボックス
Hunting Box
1970 鹿毛
Quadrangle
1961 鹿毛
Cohoes Mahmoud
Belle of Troy
Tap Day Bull Lea
Scurry
母の母
Abermaid
1946 芦毛
Abernant Owen Tudor
Rustom Mahal
Dairymaid Denturius
Laitron F-No.12-g


※従兄(母の半姉の子)に1985年共同通信杯4歳ステークスで3着に入り同年クラシックの有力候補と目されるもスプリングステークスレース映像)で故障し予後不良となったことで知られるサザンフィーバーなどを送りだした種牡馬ベストブラッドがいる。

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ スタートが切られる前に三番人気に支持されていたロングヒエンがゲートを開けてしまい、ロングヒエンを大外枠に回した上で、枠入りからやり直すこととなった。