アシェール (イヴリーヌ県)

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Achères
Blason ville fr Achères (Yvelines).svg
Achères 78 Église2.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) サン=ジェルマン=アン=レー郡
小郡 (canton) サン=ジェルマン=アン=レー=ノール小郡
INSEEコード 78005
郵便番号 78260
市長任期 アラン・ウトルマン
2008年-2014年
人口動態
人口 19 626人
2010年
人口密度 2 079人/km2
住民の呼称 Achérois
地理
座標 北緯48度54分11秒 東経2度04分10秒 / 北緯48.903056度 東経2.069444度 / 48.903056; 2.069444座標: 北緯48度54分11秒 東経2度04分10秒 / 北緯48.903056度 東経2.069444度 / 48.903056; 2.069444
標高 最低:18 m
最高:32 m
面積 9.44km2
Achèresの位置(フランス内)
Achères
Achères
公式サイト site officiel
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アシェール (Achères)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

地理[編集]

まちは県の北東部にあり、ヴァル=ドワーズ県と接している。サン=ジェルマン=アン=レーの北西6km、ポワシーの北東4kmのところにある。

セーヌ川左岸の湾曲部にある水辺のまちであり、オワーズ川との合流地点に面する。サン=ジェルマン=アン=レーの森の北部に沿っている。コミューンの領域はわずかに角状の、セーヌ川に沿って伸びる湾曲部を共有しており、この湾曲部は人口が集中する西側に行くほど膨らむ。しかし人口の集中が川沿いにあるわけではなく、右岸にコミューン領域のあるいくつかの主要コミューンは縁飾りのように存在する。縁飾りはかつて川に浮かぶ島であったところであり、現在こういった島は左岸と一体化している。

由来[編集]

Achèresは古いフランス語のaschierに由来する。語源はラテン語のapiariumで、「養蜂を行うこと」を意味する[1]。まちは10世紀の古い文書にVillam Apiarias(「養蜂のまち」)と記された。その後Acheriis、Aschere、Aschieresとつづりが変化した。Achèresのつづりは1617年に初めて記された[2]

交通[編集]

  • 道路 - 北のコンフラン=サントノリーヌへ向かう国道184号線、南のサン=ジェルマン=アン=レーへ向かう県道30号線がまちを通る幹線道路である。
  • 鉄道 - アシェール=ヴィル駅はRER A線トランジリアンL線が通る。
  • 水上交通 - セーヌ川とオワーズ川の合流地点に近いという戦略的位置を生かして、2020年にアシェール港が開港する予定である。すなわちヨーロッパの水上交通の交差点となって、イヴリーヌはグラン・パリ大都市圏の重要な経済軸となる[3]

歴史[編集]

アシェールの地には先史時代から人が定住していた。ガロ=ローマ時代の定住跡もある。ルイ聖王はアシェールの領域で誕生したので、現在もアシェールはグランジュ・サン=ルイ(Grange Saint-Louis、聖王ルイの穀物蔵)として知られている。

中世、アシェールの領域は2つの荘園に分かれていた。アシェール、そしてガレンヌと呼ばれた2つの領地は1525年に統合された。1553年、モルレ・デュ・ミュゾー家がこれら荘園を所有するようになった。これは1720年代にジャン・ド・マソルの領地となった。1736年、アシェールの高級・中級・初級裁判所が王領と、サン=ジェルマンの憲兵隊に統合された。1749年、アシェールの荘園はジャン・バティスト・ダルヌーヴィル(fr)に売却された。村はその後1751年に王領となった。

1847年から1855年にかけて、アシェールの農民たちはセーヌ川氾濫に備えて堤防を築いた。この堤防は6kmの長さがあり当時としては大きく、その後コンフランの橋とポワシー間まで伸びた。1882年、鉄道の操車場がサン=ジェルマン=アン=レーの森の端のコルニエという場所に設置された。この動きが恒久的にまちと鉄道を結びつけることになった。現在、この操車場は閉鎖されている。1889年、農地が買収されたあとに、パリの下水を集める浄水場が設置された。

19世紀末、カミーユ・ジェナツィが乗った電気自動車、ラ・ジャメ・コンタント号(fr)がアシェールにて自動車で初めて毎時100kmの速度を記録した。この記録は具体的には毎時105,882 kmであった。ラ・ジャメ・コンタント号の名は教会裏の広場の名として残っている。

1940年、サンタヴァル下水処理場fr、運営管理は行政的公施設法人のパリ都市圏清掃自治体間連合)がサン=ジェルマンとアシェールにまたがって設置された。この下水処理場はヨーロッパ最大で、シカゴの下水処理場に次いで世界第2位の規模である。処理場はオー=ド=セーヌ県セーヌ=サン=ドニ県ヴァル=ドワーズ県といった県そしてパリと約800万人分の下水を扱っている。それはイル=ド=フランス地域圏の180のコミューンからの下水であり、年間14万トンもの下水汚泥を扱う。

経済[編集]

住宅地が主体であるが、ポワシーにあるPSA・プジョーシトロエンポワシー工場の影響を受ける。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
5390 10444 15172 15351 15039 18929 19850

参照元:1962年までEHESS[4]、1968年以降INSEE [5] · [6]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Marianne Mulon, Noms de lieux d'Île-de-France, Bonneton,‎ (ISBN 2-86253-220-7), p. 174.
  2. ^ Roger Bélis, Achères au fil des siècles : de la préhistoire à l'automobile, Comité de jumelage d'Achères,‎ , p. 26-27.
  3. ^ Yvelines, le magazine du conseil général
  4. ^ « Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui », sur site de l'École des hautes études en sciences sociales (consulté le 4 mai 2011)
  5. ^ « Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007) », sur Insee (consulté le 4 mai 2011)
  6. ^ « Recensement de la population au 1 janvier 2008 », sur Insee (consulté le 4 mai 2011)