アエロワゴン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アエロワゴン
アエロワゴン
停車中のアエロワゴン
製造者 ヴァレリアン・アバコフスキー英語版
製造場所 ロシア
製造年 1917年
廃車年 1921年
製造両数 1両
仕様
最高速度 140km/h
主動力 航空用エンジン
テンプレートを表示

アエロワゴンまたはアエロモトワゴン (ロシア語: Аэроваго́н、аэродрези́на) は、ラトビア出身のソ連のエンジニア、ヴァレリアン・アバコフスキーによって発明された航空用エンジンとプロペラによる推進装置を備えた実験的な高速鉄道車両。最大で140km /hもの速度を出した。もともとはソ連の公務員を運ぶことを目的としていた。

脱線事故[編集]

1921年7月24日、フョードル・セルゲイエフ英語版が率いる第1回プロフェッテルン会議への代表団が、エアロワゴンでモスクワからトゥーラ炭鉱まで移動する試運転を行った[1]。この試運転にはアバコフスキーも同乗していた。彼らは首尾よくトゥーラに到着したが、モスクワへの帰り道、アエロワゴンはセルプホフの近くで高速で脱線し[1]、乗車していた22人のうち7人が死亡した[2]

犠牲者[編集]

事故の結果、次の人々が犠牲となった。

事故時に死亡した7人は、クレムリンの壁のネクロポリスに埋葬された[2][3]

影響[編集]

アエロワゴンはドイツのシーネンツェッペリン、アメリカのM-497、およびソ連のターボジェット・トレインの前身であり、これら3つはすべて鉄道車両と航空機エンジンの組み合わせを特徴とする試験車である。

脚注[編集]

  1. ^ a b The Communist International, organ of the Executive Committee of the Communist International, no.19, [1921]
  2. ^ a b Letters from Tom Mann to Elsie Mann, Moscow, 26 and 30 July 1921; archives of Tom Mann, Modern Records Centre, University of Warwick, document references: MSS.334/3/6/5-6.
  3. ^ КРАСНАЯ ПЛОЩАДЬ - это... Что такое КРАСНАЯ ПЛОЩАДЬ?”. academic.ru. 2017年11月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • Alexey Abramov / Алексей Абрамов, By the Kremlin Wall / У кремлёвской стены, Moscow / Москва́, Politizdat / Политиздат, 1978, pp./стр. 399 (ロシア語)