アイフェラント・E21

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アイフェラント・E21
アイフェラント・E21、2011年撮影
アイフェラント・E21、2011年撮影
カテゴリー F1
コンストラクター アイフェラント
デザイナー ルイジ・コラーニ
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
エンジン フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in)
450 ch a 10 800 tr/min 90° V8,
トランスミッション ヒューランド FG 400 5
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム ドイツの旗 アイフェラント・キャラバン
ドライバー ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1972年南アフリカグランプリ
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
8 0 0 0
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アイフェラント・E21 (Eifelland E21) は、アイフェラント1972年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーマーチ・721を基にスイス人デザイナーのルイジ・コラーニが改造を施したもので、ドイツ人ドライバーのロルフ・シュトメレンがドライブした。その特徴ある外見は、バックミラーがドライバーの正面に配置され、コクピット前方にエアインテークが設置されていた[1]

レース戦歴[編集]

E21のデビューは1972年シーズン第2戦の南アフリカグランプリであった。予選でシュトメレンは25番手となり、これはポールシッターのジャッキー・スチュワートから3.7秒遅れであった。決勝では2周遅れの13位で完走となった[2] · [3]

チームは続いてブランズ・ハッチで行われたノンタイトル戦のレース・オブ・チャンピオンズに参戦した。シュトメレンはフォーミュラ5000マシンをドライブするアラン・ロビンソン英語版に次ぐ11位となった[4]

マシンの性能は改善され、シーズン第3戦のスペイングランプリではポールシッターのジャッキー・イクスから2.7秒遅れの予選17番手となる。決勝では15周目にアクシデントのためリタイアとなった[5] · [6] · [7]

モナコではポールシッターのエマーソン・フィッティパルディから8秒遅れ、24番手のホセ・カルロス・パーチェから3秒遅れの予選最下位となる。決勝は優勝したジャン=ピエール・ベルトワーズから3周遅れの10位で完走した[8] · [9]

ベルギーではポールシッターのフィッティパルディから2秒遅れの予選20番手となり、決勝では2周遅れの11位で完走した[10] · [11]フランスではポールシッターのクリス・エイモンから6.2秒遅れの16番手であったが、アンリ・ペスカロロが決勝から撤退したため15番手スタートとなった。決勝では1周遅れの16位で完走となった[12] · [13]

第7戦イギリスグランプリではポールシッターのイクスから4秒遅れの予選25番手となったが、決勝は多くのリタイヤに助けられ、優勝したフィッティパルディから5周遅れの10位で完走した[14] · [15]

ドイツでシュトメレンは予選14番手となり、それまでの最高の成績を出した。これはポールシッターのイクスから10秒遅れであった。このパフォーマンスは決勝で発揮できず、12位で数周走った後最下位まで転落し、6周目に電気系トラブルでリタイアとなった[16] · [17] · [18]

オーストリアではフィッティパルディから2.65秒遅れの予選17番手となり、決勝は6周遅れの15位で完走扱いとなった[19] · [20]。アイフェラントにとってこのグランプリが最後のレースとなった。チームは資金不足のためF1から撤退した。

シュトメレンは結局ポイントを獲得することはできなかった[21]

E21はその後通常のマーチ・721に復元され、ジョン・ワトソンがノンタイトル戦で使用した。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1972年 アイフェラント・E21 フォード コスワースDFV 3.0 V8 G ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ARG RSA
13
ESP
Ret
MON
10
BEL
11
FRA
16
GBR
10
GER
Ret
AUT
15
ITA CAN USA NC 0

参照[編集]

外部リンク[編集]