アイバル

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アイバル
Ajvar (10844189665).jpg
手作りのアイバルを乗せたオープンサンドイッチ
地域 バルカン半島
主な材料 パプリカナスニンニク唐辛子
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アイバル (: Ajvar; セルビア語キリル・アルファベット: ajвар; ブルガリア語: aйвар; マケドニア語: aјвар)は、主に赤パプリカから作る調味料の一種である。他にニンニクナス唐辛子等が含まれることもある。アイバルはバルカン諸国(アルバニアボスニアブルガリアクロアチアマケドニアセルビアスロヴェニア(特にコチェーヴィエ))の食文化で用いられる。セルビアでは古くから「セルビアのサラダ」[1]や「セルビアの野菜キャビア」[2]と呼ばれてきた。第二次世界大戦後には旧ユーゴスラビア全域で人気のある副菜となり、現在は東南ヨーロッパ全体でよく食べられている。

家庭では、ローストなどで火を通したパプリカから作る。パプリカに含まれるカプサイシンの量や加える唐辛子の量に応じ、伝統的な甘いものから最も一般的なピリ辛のもの、また非常に辛いもの (ルーテニッツァ英語版) まで様々なものがある。パン用のスプレッドや副菜として食べられる。トマトを加えたものはピンジュル英語版と呼ばれる。

語源と起源[編集]

ajvarという名前は、トルコ語で「塩漬けの魚卵」を意味するhavyarに由来し、キャビア (caviar) と同じ語源である[3]。20世紀までは、チョウザメ黒海からベルグラードまで遡上しており、ドナウ川でかなりの量のキャビアが生産されていた[4]。アイバルはかつて「キャビア」を意味しており、ベルグラードの家庭やレストランで国内産のものがよく食べられていた[5]。しかし、1890年代に労働争議のためにキャビアの生産が不安定になり始め、ベルグラードのレストランでは、代用品としてパプリカのサラダが「赤アイバル」(crveni ajvar) や「セルビアのアイバル」(srpski ajvar) という名前で提供されるようになった[6]

作り方[編集]

家庭の食品庫に収められたアイバル。その他のピクルスも見られる。

家庭ではローストしたパプリカから作るが、工場ではほかの方法で調理したパプリカを用いるため、質が低くなる。アイバルの生産には、ローストしたパプリカの皮むき等、手作業の工程が多く含まれるため、難易度は高くなる。伝統的には、パプリカが最も手に入りやすい秋の半ばに作られ、ガラス瓶で保存して一年中消費された。しかし多くの家庭では新鮮なサラダが手に入るようになる春までに消費されたため、冬の食べ物として楽しまれた。しばしば、家族全員や近隣住民が集まってパプリカを焼き、皮をむき、調理した。大きくて赤く角のような形で、果肉は厚く比較的皮が向きやすいRogaという品種が主に用いられた。この品種は普通9月末頃に熟す。

アイバルを作る時には、パプリカとナスを丸ごと鉄板に載せて直火にかけたり、オーブンを使ってローストする[7]。焼けたパプリカはしばらく休ませ、冷やすとともに果肉と果皮を分離させる。次に果皮を注意深くむき、種を取り除く。これを挽くかみじん切りにして小片にし(後者の方法で作ったものはピンジュルと呼ばれることが多い)、大きな鍋で数時間煮る。濃度を増して水気をなくすため、また保存性をよくするため、ひまわり油ニンニクを加える。最後にを加えて熱いまま直接ガラス瓶に移し、すぐに密閉する。を入れる場合もある。

製造[編集]

市販のアイバル。

アイバルは、ボスニア、クロアチア、セルビアとマケドニアを含む様々な国で作られている。2004年現在、セルビアではアイバル用の加工パプリカが年間640トン生産されている[8]

アイバルは、トウガラシの酢漬け、トマトの酢漬け等とともに、冬到来前にガラス瓶で保存するのに適しており、いわゆるzimnica(冬期間の食物)の1つである。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Joseph Slabey, ed (1949). Slavonic Encyclopaedia. p. 338. ; Lovett Fielding Edwards (1954). Introducing Yugoslavia. p. 79. ; The World and it's peoples. (1965). p. 45. ; Pavla Zakonjsek (1966) (Slovenian). Praktična kuharica (Slovenian cookbook). p. 123. ; Joseph Wechsberg (1960). The Cooking of Vienna's Empire. p. 164. ; Thelma Barer-Stein (1979). You eat what you are: a study of ethnic food traditions. p. 576. ; John Masson (1977). Lets go to Yugoslavia. p. 70. ; Vera Lévai. Culinary delights. pp. 62, 169. ; Malcolm Burr (1935). Slouch hat. p. 165. 
  2. ^ Joseph Wechsberg (1960). The Cooking of Vienna's Empire. p. 164. ; Thelma Barer-Stein (1979). You eat what you are: a study of ethnic food traditions. p. 576. ; James Hillman; Charles Boer (1985). Freud's Own Cookbook. Harper & Row. p. 134. ISBN 978-0-06-091159-1. https://books.google.com/books?id=fpHyAAAAMAAJ. 
  3. ^ Etimološki rečnik srpskog jezika I, 2003, s.v. ajvar
  4. ^ Josip Pančić (1860). Pisces Serbiae. p. 33. ; Mihailo Petrović (1941). Đerdapski ribolov. 
  5. ^ Belgrade through the ages. 7. (1960). pp. 61, 64. ; Dušan J. Popović (1964). Beograd kroz vekove. pp. 93, 215, 241. 
  6. ^ Malcolm Burr (1935). Slouch hat. p. 165. ; Lovett Fielding Edwards (1954). Introducing Yugoslavia. p. 79. 
  7. ^ アーカイブされたコピー”. 2011年7月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年12月15日閲覧。
  8. ^ “[usz.gov.rs/files/publikacije/VegetableIndustryInSerbia.pdf Vegetable Industry in Serbia]”. Serbia Investment and Export Promotion Agency. 2018年3月17日閲覧。

外部リンク[編集]