アイザック・ドーマン
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アイザック・ドーマン(アイザック・ドウマン、Isaac Dooman、1857年 - 1931年)は、明治時代に米国聖公会から日本に派遣されたアメリカ人宣教師、教育者。奈良英和学校や東京三一神学校(現・聖公会神学院)で教授を務めたほか、未開拓の地で教育、伝道活動を進め、新天地の開拓を行った[1][2]。
人物・経歴
[編集]1857年、アルメニア人として中東ペルシャに生まれる[1]。
1884年、27歳の時にアメリカに渡り、アメリカで帰化する[1][2]。
4年間、ニューヨーク神学院で学び、1888年(明治21年)に卒業すると[1][2]、同年、米国聖公会海外伝道本部から日本伝道の宣教師に任命され、夫人とともに来日する[1][2]。同年3月に聖公会の奈良英和学校に赴任する。当時の教え子には米田庄太郎(後の京都帝国大学教授)がいた[2]。
1891年(明治24年)、東京築地の東京三一神学校(現・聖公会神学院)の比較宗教学講師として嘱託され東京へ赴任する。その際、弟子の米田庄太郎も上京し、ドーマンの助手を務めた。
その後、群馬県前橋市に赴任し、J. アンブラー(J.Ambler)の後任として前橋聖公堂(現・前橋聖マッテア教会)で司牧し[3]、1897年(明治30年)には前橋市に英語夜学校(前橋聖マッテア教会英語夜学校の前身校)を開設する[4]。
1894年(明治27年)には和歌山聖救主教会で司牧しており、稲垣陽一郎(後の聖公会神学院校長、日本聖公会司祭)に洗礼をさずけた[5]。
そのほか、ドーマンは1923年(大正12年)まで日本で伝道活動を続けるが、先述の奈良や和歌山に加えて未開拓であった川越、金沢などの新天地も開拓するなど、35年間に渡って教育と伝道活動に尽力した[1]。