ひびのおしえ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ひびのおしえ
ひゞのをしへ
著者 福澤諭吉
発行日 1871年(明治4年)10月14日から11月
ジャンル 教訓集
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 半紙を四つ折にした帳面
コード ISBN 978-4-7664-1203-1
ISBN 978-4-04-400163-6
ISBN 978-4-415-40077-8
ISBN 978-4-569-81840-5
Portal.svg ウィキポータル 文学
[ Wikidata-logo-en.svg ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示

ひびのおしえ』は福澤諭吉が子息一太郎捨次郎の兄弟のために、一日毎に書き与えた教訓集。正式名称は『ひゞのをしへ』。

成立[編集]

福澤諭吉は半紙を四つ折にした帳面を作り、1871年明治4年)10月14日から11月にかけて、毎日ひとつの教えを書いて、一太郎と捨次郎の兄弟に与えた。2人にはそれぞれ同じ教えを与えたが、一太郎に与えた教えには追加の補遺がある[1]

内容[編集]

以下、『福沢諭吉選集』〈第3巻〉(岩波書店)収録の「ひゞのをしへ」からの引用を含む[2]

キリスト教の影響[編集]

慶應義塾大学名誉教授の小泉仰は、1871年明治4年)10月27日のおしえにキリスト教の影響が見られると解釈して重視している。それは、1871年明治4年)にはキリスト教の布教は解禁されておらず、1873年明治6年)から解禁されたからである[3]

十月廿七日
なかに父母ほどよきものはなし。父母よりしんせつなるものはなし。父母のながくいきてじやうぶなるは、子供のねがふところなれども、けふはいきて、あすはしぬるもわからず。父母のいきしには、ごつどの心にあり。ごつどは父母をこしらえ、ごつどは父母をいかし、また父母をしなせることもあるべし。天地万物てんちばんぶつなにもかも、ごつどのつくらざるものなし。子供のときより、ごつどのありがたきをしり、ごつどのこゝろにしたがふべきものなり。

慶應義塾福澤研究センター顧問の桑原三郎は、福澤が「かみさま」という言葉を使わず、「ごつど」という言葉を使っていることに注目している。その理由として、「日本には八百万の神々が居た。だから、唯一絶対の、この世の造物者という意味でのゴッドを、日本の神様という言葉で表すわけにはいかなかった」と説明している[4]

「ひゞのをしへ 二へん」では「ごつど」という言葉の代わりに「てんとうさま」を使って説明している。

てんとうさまのおきてともうすは、むかしむかしそのむかしより、けふのいまにいたるまで、すこしもまちがひあることなし。むぎをまけばむぎがはえ、まめをまけばまめがはえ、きのふねはうき、つちのふねはしづむ。きまりきつたることなれば、ひともこれをふしぎとおもはず。されば、いま、よきことをすれば、よきことがむくひ、わろきことをすれば、わろきことがむくふも、これまたてんとうさまのおきてにて、むかしのよから、まちがひしことなし。しかるに、てんとうしらずのばかものが、めのまへのよくにまよふて、てんのおきてをおそれず、あくじをはたらいて、さいわいをもとめんとするものあり。こは、つちのふねにのりて、うみをわたらんとするにおなじ。こんなことで、てんとうさまがだまさるべきや。あくじをまけばあくじがはえるぞ。かべにみゝあり、ふすまにめあり。あくじをなして、つみをのがれんとするなかれ。

モーセの十戒の影響[編集]

慶應義塾大学名誉教授の小泉仰は、「ひゞのをしへ 二へん」の「おさだめのおきて」に、プロテスタントの区別における、モーセの十戒の第一戒、第五戒、第六戒、第八戒、第九戒、第十戒にほぼ相当するものがあると解釈して重視している[3]

ひゞのをしへ 二へん
とうざい、とうざい。ひゞのをしへ二へんのはじまり。おさだめのおきては六かでう、みゝをさらへてこれをきゝ、はらにおさめてわするべからず。
だい一
てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこゝろにしたがふべし。たゞしこゝにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず、西洋のことばにてごつどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしやといふものなり。
だい二
ちゝはゝをうやまい、これをしたしみ、そのこゝろにしたがふべし。
だい三
ひとをころすべからず。けものをむごくとりあつかひ、むしけらをむゑきにころすべからず。
だい四
ぬすみすべからず。ひとのおとしたるものをひらふべからず。
だい五
いつはるべからず。うそをついて、ひとのじやまをすべからず。
だい六
むさぼるべからず。むやみによくばりて、ひとのものをほしがるべからず。

桃太郎盗人論[編集]

慶應義塾福澤研究センター顧問の桑原三郎は、『ひゞのをしへ』の中で、桃太郎が鬼が島へ宝を取りに行ったことが「けしからぬこと」であり、「もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり」とされていることを注目して、「桃太郎盗人論」と名づけて重視している。そして、福澤が桃太郎盗人論を述べた背景として、「ひゞのをしへ」は、言わば『学問のすゝめ』の幼年版とも見做すべきもの」であって、「一身の独立のためには、他人の独立も侵さないという考えが前提にあり、桃太郎盗人論になったのでありましょう」と説明している[5]

「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」

さらに、桑原三郎は、『福澤諭吉と桃太郎―明治の児童文化』(慶應義塾大学出版会)、1996年2月、ISBN 4-7664-0621-4 という本を著わしている。

特徴[編集]

『ひゞのをしへ』の特徴は、一般に公表する目的で書かれたのではなく、家庭内で読まれるために家訓として書かれたところにある。そのため、福澤の生前に出版された『福澤全集』(時事新報社)には収録されていない。慶應義塾編纂『福澤諭吉全集』(岩波書店)には第20巻に収録されている。

また、文章は、子供に分かるように、ほとんどひらがなを使って書かれていて、漢字は少しだけ使われている。もともとの文章には、句読点はなく、引用文の句読点は編集者がつけたものである。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 福沢 (1980, p. 34)。
  2. ^ 福沢 (1980, pp. 33-45)。
  3. ^ a b 小泉 (1981, pp. 309-310)。
  4. ^ 桑原 (1979, p. 67)。
  5. ^ 桑原 (1979, pp. 52-56)。

書誌情報[編集]

  • 『続 福澤全集』第7巻 諸文集、石河幹明 編、岩波書店、1934年7月5日、403-411頁。NDLJP:1078138/219 - 『日々のをしへ』の全文が旧字旧仮名で収録されている。
  • 『福澤諭吉全集』第20巻、岩波書店、1971年5月13日(原著1963年6月5日)、再版、67-77, 817-819。 - 『ひゞのをしへ』の全文が旧字旧仮名で収録されている。再版では817-819頁に追加がある。
  • 『福沢諭吉選集』第3巻、岩波書店、1980年12月18日、33-45頁。ISBN 4-00-100673-1 - 『ひゞのをしへ』の全文が新字旧仮名で収録されている。
  • 福澤諭吉『ひゞのをしへ 初編・二編』土橋俊一解説、財団法人 福澤旧邸保存会。 - 『ひゞのをしへ』を収録し解説を加えたパンフレット。現代的でない教訓は省略されている。

現代語訳[編集]

参考文献[編集]

  • 桑原三郎『諭吉 小波 未明――明治の児童文学――』慶應通信、1979年7月。
  • 小泉仰「解説」『福沢諭吉選集』第11巻、岩波書店、1981年7月27日。ISBN 4-00-100681-2
  • 清水義範『福沢諭吉は謎だらけ。 心訓小説』小学館、2006年10月10日。ISBN 4-09-386167-6 - 「四、福沢は教訓の名人だったことがわかる章」、103-113頁に「ひゞのをしへ」が紹介されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]