どうだん亭
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| どうだん亭 (旧浅井家住宅離れ) | |
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| 情報 | |
| 構造形式 | 木造、切妻造、桟瓦葺 |
| 建築面積 | 89 m² |
| 階数 | 2階建 |
| 竣工 |
1723年(竣工) 1942年(移築) |
| 所在地 | 愛知県尾張旭市霞ヶ丘町南298他[WEB 1] |
| 座標 | 北緯35度12分40.7秒 東経137度0分19.2秒 / 北緯35.211306度 東経137.005333度座標: 北緯35度12分40.7秒 東経137度0分19.2秒 / 北緯35.211306度 東経137.005333度 |
| 文化財 | 登録有形文化財 |
| 指定・登録等日 | 2008年5月7日 |
どうだん亭(どうだんてい)は、愛知県尾張旭市霞ヶ丘町にある文化施設。母屋や庭園などからなる。「どうだん亭(旧浅井家住宅離れ)」として登録有形文化財。
特色
[編集]「どうだん亭」の名称は、庭に咲くドウダンツツジに由来する[1]。ドウダンツツジは「満天星躑躅」と漢字表記し、満天星亭とも表記される[1]。
歴史
[編集]享保8年(1723年)、飛騨国吉城郡坂下村(現・岐阜県飛騨市)に合掌造りの荒木家として建てられた。
1942年(昭和17年)、陶磁器輸出業を営んでいた浅井竹五郎によって、愛知県東春日井郡旭村(現・尾張旭市)の住居(「玄々荘」)の離れとして移築された[1]。浅井が経営していた浅井産業株式会社は、第二次世界大戦ごろには陶磁器の取扱高で日本一を誇ったこともあるとされる[1]。移築の際、3階建てだったものを移築時に2階建てに減じている[WEB 2]。併せて、山荘風の近代数寄屋建築として再構築されているという[WEB 2]。
1967年(昭和42年)には、大岩憲正が自身の住居として使用するために入手し、併せて西側にあった建物を曳家により台所および2階建て離れを増築している[2]。
1997年(平成9年)に当時の所有者が尾張旭市に寄付[2]。同市の管理下となり、1999年(平成11年)より同市の教育文化施設として広く使われている[2]。
2008年(平成20年)5月7日、登録有形文化財として登録された[WEB 1]。
建築
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正門
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西門
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ドウダンツツジの紅葉
現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
- 名鉄瀬戸線印場駅下車後、徒歩15分[2]
- 愛知県道61号名古屋瀬戸線(瀬戸街道)から北へ5分[1]
脚注
[編集]WEB
[編集]書籍
[編集]参考文献
[編集]- 原眞佐実 著「029 どうだん(満天星)亭(旧浅井家住宅離れ)」、日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会「保存情報Ⅲ」出版編集委員会 編『保存情報Ⅲ 東海四県ふるさとの歴史環境を訪ねて』日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会、2015年10月31日。ISBN 978-4-9902849-3-0。