すとれちあ丸

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すとれちあ丸
Sutoretia-maru.jpg
八丈島・底土港に停泊中のすとれちあ丸
基本情報
船種 貨客船
船籍 日本の旗 日本
所有者 船舶整備公団
東海汽船
運用者 東海汽船
建造所 三菱重工業下関造船所
経歴
起工 1977年10月4日
進水 1977年12月24日
竣工 1978年4月10日
就航 1978年
退役 2002年
最後 2012年
要目
総トン数 3,700トン
載貨重量 974トン
全長 110.95 m
垂線間長 110.95m
型幅 15.2m
型深さ 6.2m
喫水 4.75m
機関方式 ディーゼル×2基
主機関 神戸発動機 8UET45/80D型2サイクル単動トランクピストン非逆転式ディーゼル
推進器 可変ピッチプロペラ×2軸
最大出力 11,600馬力
定格出力 9,860馬力
航海速力 20.3ノット
旅客定員 1,320名(近海・非国際)
1,717名(近海1.5時間未満)
2,044名(沿海24時間未満)
2,250名(沿海6時間未満)
乗組員 58名
積載能力 コンテナ26個、乗用車10台
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すとれちあ丸(すとれちあまる)は、かつて日本の東海汽船で就航していた貨客船。姉妹船におがさわら丸(初代)がある。

概要[編集]

1978年より、ふりいじあ丸に代わり東京 - 三宅島 - 八丈島を結ぶ八丈島航路に就航。また、従来はふりいじあ丸が就航していた小笠原航路のおがさわら丸のドック期間中の代船も1986年1月28日から就航した[1]。前部と後部にトムソン式デリッククレーンを1基ずつ装備しているのが外観の大きな特徴である。また臨機応変に配船を変える東海汽船では珍しく引退するまで八丈島航路のみを務めた。

東海汽船フリートでは初めて可変ピッチプロペラとフィンスタビライザーを導入。また1981年に東大工学部乾 宗夫名誉教授と川崎重工の共同開発した川崎式船尾端バルブ(stern end bulb)の装備船第1号になる。新造時と比較して20.3ノットの航海速力で約5%の馬力節約が認められ、逆に同じ馬力で走らせると0.25ノット速力が向上した。[2][3][4]

2002年5月15日の航海をもって退役後に大規模な改装を経て、船体ブロック運搬船「常秀丸」として、日本中華人民共和国を結ぶ航路に就航[5]。 その後、2012年に解体された模様。[6]

航路[編集]

  • 東京 - 八丈島航路(1978年 - 2002年)
    • 東京 - 三宅島 - 御蔵島 - 八丈島

出来事[編集]

  • 1982年11月15日、昭和天皇が八丈島と三宅島を訪れたさい、八丈島から三宅島間で乗船した[7]
  • 1995年2月25日、三宅島沖で乗り揚げ事故を起こした[8]
  • 2000年、三宅島が噴火したさい、全島避難に使用された[9]

脚注[編集]

  1. ^ 世界の艦船(1986年5月号,p135)
  2. ^ ニュース・フラッシュ p.33 世界の艦船(海人社、1981年5月号)
  3. ^ "すとれちあ丸"(船舶整備公団共有船)の省エネ対策及びその成果 船の科学 35(4), p58-60, 1982-04 船舶技術協会
  4. ^ 日本船舶海洋工学会関西支部造船資料保存委員会第2回展示会関連歴史年表[リンク切れ] (pdf)
  5. ^ JOSHU MARUについての情報 Digital Seas
  6. ^ Vessel data FleetMon
  7. ^ 昭和天皇・皇后両陛下八丈島に行幸啓 Archived 2013年3月13日, at the Wayback Machine. 東京都八丈支庁・行政特記事項
  8. ^ 海難件数と曳航実績 船舶の総合的安全評価手法による安全性向上策の策定に関する調査研究(平成16年度報告書)
  9. ^ 三宅村役場の機能移転[リンク切れ] 内閣府・防災情報

参考文献[編集]

  • 船舶技術協会『船の科学』1978年6月号 第31巻第6号
  • 船舶技術協会『船の科学』1978年7月号 第31巻第7号

外部リンク[編集]

関連項目[編集]