さんふらわあ8

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さんふらわあ > さんふらわあ8
さんふらわあ8
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
フィリピン
所有者 日本高速フェリー
来島どっく
運用者 日本高速フェリー
ブルーハイウェイライン
建造所 来島どっく大西工場[1]
姉妹船 さんふらわあ5[1]
建造費 47億円
IMO番号 7313913
改名 さんふらわあ とさ
経歴
起工 1972年3月14日[1]
進水 1973年3月5日[1]
竣工 1973年6月25日[1]
就航 1973年7月4日
運航終了 1997年7月
要目
総トン数 12,759 t[1]
載貨重量  3,280 kt[1]
排水量 11,304 kt(満載時)[1]
全長 185.0 m[1]
垂線間長 170.0 m[1]
全幅 24.0 m[1]
型深さ 15.6 m[1]
満載喫水  16.4 m[1]
機関方式 ディーゼル
推進器 可変ピッチプロペラ 2軸[1]
最大速力 26.2ノット[1]
航海速力 24.0 ノット[1]
航続距離 6,000海里[1]
旅客定員 1,079名[1]
車両搭載数 トラック84台、乗用車81台
テンプレートを表示

さんふらわあ8は、日本高速フェリーが運航したフェリー。後に航路を継承したブルーハイウェイラインでも運航された。

概要[編集]

さんふらわあシリーズの4番船として、さんふらわあ5とともに来島どっく大西工場で建造され、東京 - 那智勝浦 - 高知航路に1973年7月4日に就航、本船の就航により毎日運航となり、那智勝浦港への寄港が開始された。親会社の照国海運倒産による運航体制の縮小により、1976年10月にさんふらわあ5が名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に転配された後も、本船は引き続き東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航した。

1982年7月、来島どっくで旅客設備の改装工事を実施、総トン数が増加した。

1984年2月、来島どっくに売却され、日本高速フェリーがチャーターバックして運航を継続した。

1990年には日本沿海フェリーへ譲渡され[2]、6月のドック入り時には同社のファンネルマークデザインが施された[3]

11月にブルーハイウェイラインへの社名変更後には、さんふらわあ とさと改名しファンネルマークもオレンジ一色となった。

1997年7月、さんふらわあ くろしおの就航により引退した。

その後は、海外売船され、フィリピンスルピシオ・ラインズ英語版PRINCESS OF NEW UNITYとして就航した。

設計[編集]

3番船「さんふらわあ5」と同型船である。就航時は日本最高速のフェリーだった。先に建造された2隻の設計を踏襲しているが、旅客設備の拡充により、操舵室が1層高い配置となり総トン数が増加、ラウンジを内側に配置することで、客室を海側に配置するなど、船内配置も見直されている。1等船室はバス・トイレ付きとなったが、隣室と共有する構造で乗客には不評だったため、さんふらわあ5では後に改装が行われたが、本船は引退までそのままであった。建造費は47億円と1番船、2番船と比較して増加した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 新造船写真集 自動車航送客船 さんふらわあ8 SUNFLOWER 8 日本高速フェリー株式会社 - 船の科学1973年7月号
  2. ^ 21世紀に向けて挑戦する日本沿海フェリー 高知航路の開設で積極的な営業戦略 - 海運1990年5月号(日本海運集会所)
  3. ^ ファンネル・マークを変えた「さんふらわあ8」 - 世界の艦船1990年10月号

外部リンク[編集]