さこの方

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さこの方(さこのかた、生没年不詳)は、室町幕府15代将軍足利義昭及び関白二条昭実の側室。さごの方とも表記される。父は赤松政秀。養父は織田信長。信長の娘である三の丸殿と法名が同じなどの理由から同一人物の可能性があるという説があるが、定かではない。

生涯[編集]

龍野城主である赤松政秀の娘として生まれる。その後、織田信長の養女となる。室町幕府15代将軍足利義昭の側室となるが、義昭には正室がいなかったため、信長の養女であるさこの方が事実上の正室であったとする説もある[1]

1572年元亀3年)に足利義尋を出産。しかしさこの方が義尋を産んだころには、足利義昭と織田信長の関係は悪化しており、1573年(元亀4年)の槇島城の戦いで敗北した義昭によって、義尋は人質として織田信長に差し出されてしまう。その際に、さこの方も信長の元へ向かったとされる。また一説には、さこの方は1575年天正3年)頃に二条昭実と再婚したと言われているが定かではない[2]

脚注[編集]

  1. ^ 「流旅の人々」(水上勉実業之日本社2007年
  2. ^ 「足利義昭」(奥野高廣吉川弘文館1981年