さいたまんぞう

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さいた まんぞう
生誕 (1948-12-09) 1948年12月9日(70歳)
職業 歌手司会者コメディアンドラマー審判員 (野球)

さいた まんぞう1948年12月9日 - )は、岡山県久米郡柵原町(現美咲町)出身、東京都中野区在住の歌手タレント・野球審判。本名は牛房公夫(ごぼう きみお)[1]ボーイズバラエティ協会会員。

概要[編集]

1980年代「なぜか埼玉」など、埼玉県をモチーフにした奇妙な味のあるコミックソングで一躍有名となった。山陽放送で地元出身者が出演するラジオ番組『みんなどけぇいきょーん?!』が開始された際はパーソナリティの一人に抜擢され、「おかやまんぞう」名義を名乗ったことがある。現在は歌手、司会、コメディアン、野球の審判として活動中。散発的にラジオテレビに出演している。また、ボーイズバラエティ協会に加入し、同協会の浅草東洋館での定席にも出演している。

芸能活動以外では1979年昭和54年)から野球の審判を始め、現在でも草野球の審判を引き受けるなど活動を続けており、その経験を買われ、2011年平成23年)公開の映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」では決勝戦の主審を演じている。審判を始めたのは、ドラマーをやるのが夜であり、昼は暇だったからだと話している[2]

岡山県出身である。

所属事務所は(株)サブマリン

経歴[編集]

歌手デビュー[編集]

6人きょうだいの末っ子[3]。中学生時代から野球部に所属して野球をやっていた[4]。高校進学時には、地元岡山の関西高等学校野球部のセレクションを受け[2]、150人の中から最後の10人に選ばれるも[2]、兄や親族らから「野球では飯は食えん」(父が若くして亡くなっているため、兄が代わって家長を務めていた)などと説得されたことと、本人も下宿が嫌だったことで断念[2]、野球部の無い津山基督教図書館高等学校に進学[4][5]。そんな高校生時代に出会ったのが西郷輝彦の立身出世物語の自伝で、これに触発されるような形で西郷と同じようにバンドボーイを目指して[1]、高校卒業後の1967年(昭和42年)4月に上京、アマチュアバンドに入りドラムスを担当するようになる[6]

バンドボーイとして渡辺プロダクションに所属していたことがあり[2]アウト・キャストのボーヤ、浜畑賢吉の付き人[2]を経て、コーラス漫談グループのスリートーンズに加入し、1979年に解散。

1980年(昭和55年)年末にコミックソングなぜか埼玉を自主制作でつくる。この時点では県内ローカルの曲でしかなかったが、翌年1981年(昭和56年)2月にニッポン放送の人気番組『タモリのオールナイトニッポン』で紹介されたことにより一変、「埼玉」というご当地ソングとあまり縁のない土地の歌だったこともあり、物珍しさから全国で話題となった。 この結果、4月にフォーライフ・レコード(現フォーライフミュージックエンタテイメント)から前述の自主制作盤が商業盤として発売されるに至った。そして、「なぜか埼玉」は自主制作盤と商業盤を合わせて12万枚[7]を売り上げるヒットになった。

これ以降、彼は歌手「さいたまんぞう」として活動を続けることになる。なお、当初の芸名は「なぜか埼玉」の自主盤を最初に作ったレーベル「ベガー・ミュージックK.K.」社長の菊池清明が名付けた「斎田萬蔵」と漢字表記だったが[6]、サインを書く際に大変ということで、「さいたまんぞう」とひらがな表記に変更した。

しかし、この曲が売れていても地方営業の仕事は1本も無く、話題にはなったがタレントとしては忙しくならなかったという[8]。一時「覆面歌手」とも言われ、「誰もその姿を見たことがない」とも言われたことで『芸能界のツチノコ』とも言われていた。さいたの正体が徐々に分かって来た頃にはテレビ、ラジオに出まくる時期があったが、それも2か月ほどで終わったという[8]。しかもフォーライフは、さいたの家の電話番号を知らなかったという[8]。この曲の歌唱印税は先述の「ベガー・ミュージックK.K.」の社長が全部、さいたに何の相談も無くフォーライフに売り渡したということで、渡されたのは月10万円の給料のみだった[8]

「なぜか埼玉」以降[編集]

「なぜか埼玉」で話題を博した さいた は、同年12月にやはりコミックソングの「埼玉オリンピック音頭」「なぜか埼玉海がない」を出す。

1987年(昭和62年)に川島恵とのデュエットで出した「東京カントリーナイト」が、意外な結果をもたらすことになる。

「歌う駅員さん」からタレントへ[編集]

元々のきっかけは、TBSの情報番組『そこが知りたい』(関東ローカル)の一企画「通勤線途中下車の旅」において京浜東北線を特集するからと、「なぜか埼玉」で一躍有名となった さいた に「首からラジカセをぶら下げて『なぜか埼玉』を歌ってほしい」とオファーがあったことに始まる。 この企画は流れてしまったが、この打ち合わせの際にマネージャーが持参した「東京カントリーナイト」が番組スタッフに好評で、番組エンディングでの使用が決定[2]。 しかも折りに触れて駅員の扮装をして首からラジカセをぶら下げ、「東京カントリーナイト」を通勤路線をネタに替え歌にして歌ってもらいたいとの話にもなった。この趣向は不定期出演ながら「歌う駅員さん」として大好評となり、1996年(平成8年)まで出演回数28回を数えた(翌年には「ああ東京カントリーナイト」の題名で一部CD化されている)。

歌手としての活動は前述の「ああ東京カントリーナイト」を除くと、1994年(平成6年)発売の「はくつる号は故郷へ」「小雨降る夜」、2002年(平成14年)には自らの曲全曲を集めたCD「生存証明」を発売している。CDアルバム「生存証明」の収録曲には代表曲「なぜか埼玉」のユーロビートバージョンも収められている(ただし曲調は最近のパラパラ系ユーロビートではなく1980年代後半に人気のあったミドルテンポ哀愁系ユーロビートに近い)。

2001年12月8日には、「さいたまんぞうデビュー20周年を祝う会」をTBSホールで開催した。

「原発・アウト!」以降[編集]

2011年に、同年3月11日に発生した東日本大震災の影響による原発事故における被害と原発廃止を訴える事をテーマとした新曲「原発・アウト!」を発表。新曲を発表するのは実に17年ぶりである。国会前にもたびたび歌いに出掛ける。

2011年9月までJCN中野(シティテレビ中野)で『ゆっくり歩こう なかの散歩道』のレポーターを行っていた。

2012年6月21日より、インターネット動画共有サービスUstream「まんCHANねる」を開設、隔週で22時からトーク番組を生放送している。

2013年4月から岩手放送(火曜日21時~22時)、茨城放送(日曜日16時15分~16時50分)で、パ・リーグから米国3Aの審判、現在日本プロ野球審判技術指導員の平林岳と『平林アンパイアのプロ野球・ウの目タカの目』に出演中。放送は9月まで。

2013年に、にゃんぷりーとLAWGUNSとのユニット「まんにゃんろう」で、「なぜか宇田川」を発売。

2015年に、「原発・アウト!」の歌詞だけを変えた「安保法案・アウト!」を発表。

2016年には、紅理子と「Romantique Waikiki」を発売、雨本ふみと「人生ナメたら苦かった」を発表している。

近年は歌手と司会のみならず、寄席や演芸場、若手お笑いライブなどにピン芸人として出演している。ネタは野球の審判の衣装で、時事ネタを「アウト」「セーフ」と判定するもので、ジャズオーケストラをバックに演じたこともある。

2015年にボーイズバラエティ協会に入会し、浅草東洋館の舞台や新宿末廣亭の高座にも立つ。

また、ビートたけしの番組でしばしばギャグとして名前が出たり、明石家サンタに電話で不幸話を披露したり、中野で買い物をしているところを吉田照美のラジオ番組のインタビューを受けたりと、自らが名乗る「芸能界のツチノコ」の異名通り、お茶の間に予告なくその存在を知らしめることがある。

現在は、ライブ出演や映画出演、新譜の発表など、着実な活動を続けながら、隔週のUstream放送「まんCHANねる」で現況をファンに伝えている。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  • なぜか埼玉」(1980年、自主制作)作詞・作曲:秋川鮎舟 [EP盤]
  • 「なぜか埼玉」(1981年4月、フォーライフ)作詞・作曲:秋川鮎舟 [EP盤]
  • 「埼玉オリンピック音頭」(1981年12月、フォーライフ)作詞:秋川鮎舟 作曲:柳刀太[EP盤]
  • 「ふしぎな計算の唄」(1985年、クラウン / さいたまんぞう&横山光佐)作詞:荒川太郎 作曲:海月花電磁、タケカワユキヒデ[EP盤]
  • 「東京カントリーナイト」(1987年3月、キング / さいたまんぞう・川島恵)作曲・作曲:ベートーベン鈴木[EP盤]
  • 「津軽海峡冬元気」(1988年10月、東芝EMI)作詞:Dr.南雲 作曲:野村豊[EP盤 / カセットテープ]
  • 「はくつる号は故郷へ」(1994年1月、ポリドール)作詞・作曲:吉幾三[8cmCD / カセットテープ]
  • 「ああ東京カントリーナイト(JR編・私鉄編)」(1997年6月、ポリドール)(TBSテレビ・そこが知りたい「通勤線途中下車の旅」エンディングテーマ)作詞:ミッチー土槁 作曲:ベートーベン鈴木[8cmCD / カセットテープ]
  • 「原発・アウト!」(2011年、ラブラムーン)作詞:さいたまんぞう 作曲:南雲修治[12cmCD / 配信]
  • 「なぜか宇田川」(2013年、ラブラムーン / まんにゃんろう)[配信]
  • 「安保法案・アウト!」(2015年)作詞:さいたまんぞう 作曲:南雲修治[YouTube]
  • 「讃岐うどん・ホームラン!」(2016年)作詞:さいたまんぞう 作曲:南雲修治[YouTube]
  • 「Romantique Waikiki」(2016年、cuentaworks / さいたまんぞう&紅理子)[12cmCD / 配信]
  • 「人生ナメたら苦かった」(2016年 / さいたまんぞう&雨本ふみ)[YouTube]

その他[編集]

  • 「ソーリトレイン」「上のヒト音頭」(1995年、フォーライフ / “愛の狩人” なぎら&まんぞう)(なぎら健壱のベストアルバム「中毒」に収録)作詞:伊藤アキラ 作曲:中村泰志[CD]
  • 「Come sta? メグロガワ」(2005年)(映画「タナカヒロシのすべて」サウンドトラックに収録)[CD]
  • 「岡部 埼玉 恋の町」(2015年9月、フォーライフ / さいたまんぞう率いる東京コンプレックス)(郷ひろし&友美の「お弁当箱の唄(レットミーゴー)」に収録)作詞・作曲:郷ひろし[CD]

アルバム[編集]

  • 「生存証明」(2001年、フリーボード)デビュー20周年記念全曲集[CD]

出演[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

インターネット配信映画[編集]

師匠[編集]

  • 浜畑賢吉(俳優)さいたまんぞうとしてのデビュー以前に付き人をしていた

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 東京歌物語(東京新聞編集局・著、2009年7月17日刊)p.72-75
  2. ^ a b c d e f g さいたまんぞう本人連絡なしもBGMに決定/その2”. 日刊スポーツ (2019年2月22日). 2019年3月21日閲覧。
  3. ^ 週刊平凡 1981年6月18日号 p.146-147「やっと現れたナゾの歌手さいた・まんぞう」
  4. ^ a b 週刊明星 1981年6月25日号 p.20-21「さいたまんぞうとはオレのこと」
  5. ^ 小説CLUB桃園書房)1989年9月号 p.95
  6. ^ a b 週刊読売 1981年6月14日号 p.152 - 153「へんな歌『なぜか埼玉』がバカ受けに受けてのバカ騒ぎ」
  7. ^ アポなし!なぜか…さいたまんぞう日刊スポーツ、2011年6月3日6時12分
  8. ^ a b c d 「翔んで埼玉」さいたまんぞうブレーク狙う/その1”. 日刊スポーツ (2019年2月22日). 2019年3月4日閲覧。

外部リンク[編集]