けん子内親王

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本来の表記は「儇子内親王」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
儇子内親王

続柄 小一条院第二王女
称号 冷泉宮
全名 儇子(けんし)
身位 内親王
出生 寛仁2年12月9日1019年1月17日
死去 承徳元年12月28日1098年2月2日)(享年80)
配偶者 藤原信家
子女 (養女)麗子
父親 小一条院
母親 藤原寛子
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儇子内親王(けんしないしんのう、寛仁2年12月9日[1]1019年1月17日) - 承徳元年12月28日[2]1098年2月2日))は、平安中期の皇族。冷泉宮と号す。小一条院敦明親王の第二王女で、母は藤原道長の三女・高松殿女御寛子

生涯[編集]

祖父三条天皇の猶子として、寛仁3年(1019年)3月4日に異母兄敦貞とともに親王宣下[3]万寿2年(1025年)、8歳で母を亡くす。長暦元年(1037年)母方の従弟にあたる同い年の権大納言藤原信家(寛子の兄教通の長男)に降嫁した[4]。所生の子女はなし。源師房の四女麗子を養女として育て、のちに藤原師実(教通の兄頼通の男で信家・儇子両方の従弟にあたり、摂関家の嫡流を継いだ)に娶せた(麗子の生母尊子は儇子内親王の生母寛子の同母妹であるため、その縁によったものか。ちなみに師実の嫡母隆姫も師房の姉であるように、村上源氏師房流は摂関家と二重、三重の親族関係を有した)。

脚注[編集]

  1. ^ 御堂関白記』『小右記
  2. ^ 中右記
  3. ^ 御堂関白記』『小右記』『日本紀略
  4. ^ 『日本人名大辞典』(講談社)