きらやか銀行硬式野球部
チーム名(通称) | きらやか銀行 |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム(2007年途中~2009年途中までクラブチーム) |
創部 | 1952年 |
チーム名の遍歴 |
|
本拠地自治体 |
|
練習グラウンド | 専用練習場(山形県東村山郡中山町) |
チームカラー | 赤色 |
監督 | 大向誠 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 2回 |
最近の出場 | 2017年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | なし |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
きらやか銀行硬式野球部(きらやかぎんこうこうしきやきゅうぶ)は、山形県山形市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球の企業チームである。
1952年創部で半世紀以上の歴史を有する。山形県山形市に本店を置く第二地方銀行のきらやか銀行が保有しており、山形県内の社会人野球チームでは唯一の企業チームである。
概要[編集]
1952年、山形市に本店を置く山形相互銀行が『山形相互銀行硬式野球部』として創部させる。
1989年、同行の普銀転換により商号が山形しあわせ銀行に変更となったことに伴い、チーム名を『山形しあわせ銀行硬式野球部』に改称した。
2007年5月、殖産銀行との合併できらやか銀行が発足したことに伴い、チーム名も『きらやか銀行硬式野球部』に改称した[1]。同年9月には企業チームからクラブチームに組織形態が変更となったため、チーム名も『きらやかベースボールクラブ』に改めた[1]。
2009年途中から、粟野学頭取の決断によって、企業登録に復したため、チーム名も『きらやか銀行硬式野球部』に戻った[2]。
2011年、都市対抗野球の東北予選において、山形県勢としては61年ぶりの代表決定戦に駒を進めたが、仙台市の2チーム(JR東日本東北、七十七銀行)に連敗して全国大会初出場を逃した。
2016年、都市対抗野球の東北予選において、第1代表決定戦で日本製紙石巻を破り、創部66年目にして本戦初出場を果たした[3]。山形県勢の本選出場は1950年大会の山形ハッピー以来66年ぶりのこと[4]。本戦では、1回戦でパナソニックを相手にタイブレークの接戦を制して初勝利を挙げた。
2017年、東北第2代表として2年連続で都市対抗野球に出場。1回戦でHonda鈴鹿硬式野球部と対戦するが、3-2で敗れ初戦敗退する[5][6]。
東村山郡中山町に専用のグランドを設け、部員は練習しやすいように山形市旅篭町の本店、あるいは村山地方の支店に配属されている。企業によっては採用時に「野球部特別枠」を設ける場合があるが、きらやか銀行にはその制度はなく、全員が4年制大学を卒業している[7]。
主要大会の出場歴[編集]
- 都市対抗野球大会:出場2回
主な出身プロ野球選手[編集]
- 青木重市(投手) - 1978年ドラフト4位で阪神タイガースから指名 ※山形相互銀行時代
- 松井宏次(内野手) - 退団後、NAGOYA23、長崎セインツを経て、2009年育成選手ドラフト1位で東北楽天ゴールデンイーグルスから指名
脚注[編集]
- ^ a b “チーム情報 登録・変更情報 2007年”. 日本野球連盟. 2016年6月13日閲覧。
- ^ “バンカーたちの東京ドーム きらやか銀行 都市対抗野球/上 企業のシンボルに /山形”. 毎日新聞. (2017年7月13日) 2017年9月10日閲覧。
- ^ チーム一丸、悲願成就 きらやか銀行、本大会出場へ Archived 2016年6月10日, at the Wayback Machine. 山形新聞2016年6月9日付、同日閲覧
- ^ きらやか銀が本大会出場へ、創部以来初 都市対抗野球、県勢66年ぶり Archived 2016年6月9日, at the Wayback Machine. 山形新聞2016年6月8日付、同日閲覧
- ^ “都市対抗野球 ホンダ鈴鹿、逆転勝ち きらやか銀行を降す”. 毎日新聞. (2017年7月15日) 2017年9月10日閲覧。
- ^ “きらやか銀、1点差で涙 都市対抗野球”. 山形新聞. (2017年7月16日) 2017年9月10日閲覧。
- ^ “バンカーたちの東京ドーム きらやか銀行 都市対抗野球/中 野球よりも仕事 /山形”. 毎日新聞. (2017年7月14日) 2017年9月10日閲覧。
参考文献[編集]
- 『日本野球連盟報』
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 野球部の紹介 - きらやか銀行