うらが (掃海母艦)
うらが | |
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横須賀・船越地区にて | |
基本情報 | |
建造所 | 日立造船 舞鶴造船所 |
運用者 |
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艦種 | 掃海母艦 |
級名 | うらが型 |
建造費 | 296億6,100万円 |
母港 | 横須賀 |
所属 | 掃海隊群第1掃海隊 |
艦歴 | |
計画 | 平成6年度計画 |
発注 | 1994年 |
起工 | 1995年5月19日 |
進水 | 1996年5月22日 |
就役 | 1997年3月19日 |
要目 | |
基準排水量 | 5,650トン |
満載排水量 | 6,850トン |
全長 | 141.0m |
最大幅 | 22.0m |
深さ | 14.0m |
吃水 | 5.4m |
機関 | 三井造船12V42M-Aディーゼル × 2基 |
出力 | 19,500PS |
推進器 | スクリュープロペラ × 2軸 |
速力 | 最大速 22ノット |
乗員 | 170名 |
兵装 |
・12.7mm重機関銃M2 ・機雷敷設装置3型 ・Mk105航空磁気掃海具 ・Mk104航空音響掃海具 |
搭載機 | 着艦スペースのみ |
レーダー |
・OPS-14C 対空 ・OPS-20 航海用 |
ソナー | 機雷探知用ソナー(後日装備) |
うらが(ローマ字:JS Uraga, MST-463)は、海上自衛隊の掃海母艦。艦名は浦賀水道に由来する。うらが型掃海母艦の1番艦。
艦歴[編集]

「うらが」は、中期防衛力整備計画に基づく平成6年度計画5,600トン型掃海母艦463号艦として、日立造船舞鶴造船所で1995年5月19日に起工され、1996年5月22日に進水、同年12月4日に公試開始、1997年3月19日に就役し、第2掃海隊群に直轄艦として編入され横須賀に配備された。
1999年11月7日、横須賀周辺および相模湾にて在外邦人等輸送訓練を行う。この訓練では他に「しらね(DDH-143)」、「むらさめ(DD-101)」、「あまぎり(DD-154)」、「とわだ(AOE-422)」の艦艇、陸上自衛隊からは第1空挺団で編成された誘導隊が参加した[1][2]。
2000年3月13日、掃海部隊の再編により掃海隊群が新編され、直轄艦として編入。
2001年11月25日、テロ対策特措法に基づく協力支援活動のためアラビア海に向け出港。12月12日、護衛艦「さわぎり」と共にパキスタンのカラチ港に入港し、2隻合わせてテント1025張、毛布18600枚、ビニールシート7925枚、スリーピングマット19980枚、給水容器19600個を難民高等弁務官事務所に引き渡した。12月13日にカラチ港を出港して日本に向かい、12月31日に帰港した。
2004年4月21日から5月7日までの間、シンガポール周辺海域において実施された第2回西太平洋掃海訓練に掃海艦「はちじょう」、掃海艇「うくしま」とともに参加した。
2005年8月4日、ロシア、ペトロパヴロフスク・カムチャツキー沖で浮上できなくなったロシア深海救難艇AS28の救助に潜水艦救難母艦「ちよだ」、掃海艇「ゆげしま」、「うわじま」とともに派遣される。空輸されたイギリス無人潜航艇が救出に成功したため同月7日に帰投する。海上自衛隊として初の国際救難任務である。
同年11月25日、国際連合難民高等弁務官事務所の要請を受け、アフガニスタンの難民向けにテント・毛布などの物資を運ぶため護衛艦「さわぎり」と共にパキスタンのカラチへ派遣された[3]。救援物資搬出後は「さわぎり」と別れ12月31日に帰国した。
2007年7月16日、発生した新潟県中越沖地震で災害派遣を実施した。
2011年3月11日、発生した東北地方太平洋沖地震による東日本大震災に対し、災害派遣される。地震発災時にはユニバーサル造船京浜事業所にて年次検査中であり、エンジンオーバーホールを行っていたためすぐには出動できなかったため完工後の4月18日から参加する。
同年9月、掃海艦「つしま」と共に海自艦艇としては初めて[4]ベトナム・ダナン港[5]およびインド洋アンダマン諸島のポートブレアに寄港した。その後は10月14日にバーレーン・ミナサルマンに寄港し、翌15日から30日までバーレーン沖ペルシャ湾にてアメリカ合衆国とイギリス共催による多国間掃海訓練に日本国として初参加し、12月1日に帰国した[4]。
2012年9月16日から27日までの間にアラビア湾で実施された「米主催国際掃海訓練」に掃海艦「はちじょう」とともに参加した[6]。
2016年4月4日から26日までの間、アラビア半島周辺海域で実施される「米国主催第4回国際掃海訓練」に掃海艇「たかしま」とともに参加した[7]。
2016年7月1日、掃海隊群の改編により群直轄艦が廃止となり、第1掃海隊に編入。
2018年7月18日~7月30日、陸奥湾にて機雷戦訓練及び日米印共同掃海特別訓練を実施する[8]。
歴代艦長[編集]
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
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1 | 藤田民雄 | 1997.3.19 - 1998.8.2 | 防大14期 | うらが艤装員長 | 海洋業務群付 →1998.12.8 むろと艦長 |
1等海佐 |
2 | 髙森一徳 | 1998.8.3. - 2000.8.17 | 防大16期 | 運用開発隊運用開発第4科長 | 佐世保地方総監部監察官 | 1999.1.1 1等海佐昇任 |
3 | 新城 恵 | 2000.8.18 - 2002.9.19 | 海上自衛隊幹部学校 | 自衛艦隊司令部 | ||
4 | 峰岡偉津夫 | 2002.9.20 - 2004.5.23 | 防大15期 | 舞鶴地方総監部監察官 | 横須賀地方総監部付 →2004.7.4 退職 |
1等海佐 |
5 | 高橋史克 | 2004.5.24 - 2007.3.27 | 掃海業務支援隊付 | 横須賀基地業務隊司令 | ||
6 | 高島 一 | 2007.3.28 - 2008.8.19 | 防大21期 | 横須賀教育隊教育第1部長 | 船越基地業務分遣隊長 | |
7 | 中澤信一 | 2008.8.20 - 2009.12.14 | 防大28期 | 掃海業務支援隊副長 | 舞鶴地方総監部管理部総務課長 | |
8 | 藤田 毅 | 2009.12.15 - 2011.6.30 | 防大24期 | 海上自衛隊第1術科学校 教育第3部長 |
舞鶴警備隊司令 | 1等海佐 |
9 | 田口慶明 | 2011.7.1 - 2012.7.24 | 防大25期 | 横須賀地方総監部監察官 | 掃海業務支援隊司令 | 1等海佐 |
10 | 触井園淳 | 2012.7.25 - 2014.3.23 | 防大29期 | 横須賀地方総監部監察官 | 海上自衛隊幹部候補生学校 主任教官 |
|
11 | 高木征教 | 2014.3.24 - 2015.8.20 | おうみ副長 | 海上自衛隊幹部学校勤務 | ||
12 | 可知俊一郎 | 2015.8.21 - 2016.8.7 | 横須賀海上訓練指導隊教育科長 兼 指導部対潜戦術科長 |
護衛艦隊司令部勤務 | ||
13 | 雄山誠司 | 2016.8.8 - 2017.6.26 | 防大35期 | 掃海隊群司令部 | 横須賀地方総監部付 →2017.7.2 父島基地分遣隊長 |
|
14 | 五味康司 | 2017.6.27 -2018.8.9 | 防大34期 | 掃海隊群司令部 | しもきた艦長 | 2018.7.1 1等海佐昇任 |
15 | 加藤寛和 | 2018.8.10 - | 防大36期 | 指揮通信開発隊システム第1科長 |
兵装[編集]
前甲板に62口径76mm単装速射砲1基が備えられるスペースがあり、後日装備ということになっている。かつて退役する護衛艦「むらくも」から転用する計画があったが状態が思わしくないために断念しており、その後は搭載の目途が立っていない。
小型船舶対処用としては12.7mm重機関銃M2が数挺装備されている。これらは普段は武器庫に格納されており、必要に応じて銃架に装備する。
脚注[編集]
- ^ 月刊『コミューン』 9月号 - 前進
- ^ 防衛白書 平成12年版 在外邦人を自衛隊の船舶、航空機で ~在外邦人等輸送訓練~
- ^ "Japan: Donation of relief materials for Afghan refugees based on the anti-terrorism special measures law", reliefweb.int, 12 Dec 2001
- ^ a b 朝雲新聞 「海自「うらが」と「つしま」、20年ぶりのペルシャ湾で掃海訓練」 2012年1月12日
- ^ "Japan self-defence ships visit Da Nang", Da Nang City, 21 Sep. 2011
- ^ 米主催国際掃海訓練について(PDF文書)
- ^ 米国主催第4回国際掃海訓練への参加について
- ^ 平成30年度機雷戦訓練(陸奥湾)及び掃海特別訓練(日米印共同訓練)の実施について(PDF文書)
参考文献[編集]
- 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
- 『世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 掃海母艦うらが - 掃海隊群
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