あゝモンテンルパの夜は更けて

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あゝモンテンルパの夜は更けて
渡辺はま子宇都美清シングル
A面 あゝモンテンルパの夜は更けて
B面 この海越えて、雲越えて(草葉ひかる
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 流行歌歌謡曲
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 代田銀太郎伊藤正康
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あゝモンテンルパの夜は更けて(ああモンテンルパのよはふけて)は、渡辺はま子宇都美清が歌ってヒットした流行歌で、1952年昭和27年)9月、ビクターレコードから発売された。

作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康、歌唱:渡辺はま子、宇都美清

曲誕生まで[編集]

1952年(昭和27年)1月、歌手の渡辺はま子は、来日したフィリピンの国会議員ピオ・デュランから衝撃的な事実を知らされた。同国モンテンルパ市のニュービリビット刑務所には、多数の元日本軍兵士が収監されており、すでに14人が処刑されたと聞きかされた。第二次世界大戦後7年も経つのに、なお刑を受刑し続け、中には死刑を待つだけの人達も居ると聞いた彼女は、銀座鳩居堂からを同刑務所宛に送った[1]

1952年6月、当時鎌倉市にあった渡辺はま子の自宅に、一通の封書が届けられた。その封書の中には、楽譜と短い手紙が入っており、その楽譜の題名には「モンテンルパの歌」作詞代田銀太郎、作曲伊藤正康と書いてあった。二人はフィリピン・マニラ市郊外のモンテンルパ市の丘にあった「ニュービリビット刑務所」で、戦争犯罪者としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受けていた人物であった。

作詞の代田銀太郎は、元フィリピン憲兵隊少尉。作曲の伊藤正康は、元大日本帝国陸軍将校。「モンテンルパの歌」は、刑務所で収容されていた日本人111名の、日本への望郷の念を込めた曲であった[2]

封書を受け取った渡辺は、早速歌をビクターレコードに持ち込み、ほとんど修正無しで吹き込んだ。題名には色を付けられ『あゝモンテンルパの夜は更けて』と名付けられた[3]

渡辺と宇都美が歌った『あゝモンテンルパの夜は更けて』のレコードは、20万枚を売り上げたヒット曲となった[4]

『あゝモンテンルパの夜は更けて』が大ヒットしていた1952年(昭和27年)12月25日、渡辺がニュービリビット刑務所を訪れた。吹き込み以来、刑務所慰問の決意を固めていた渡辺が、国交が無いフィリピン政府に対し、戦犯慰問の渡航を嘆願し続けて半年後の事だった[5]

渡辺来訪時、作詞の代田銀太郎と作曲の伊藤正康は開演前に対面し、歌を作ってもらった事に対し礼を述べた。

慰問のステージは、ドレス姿の渡辺が「蘇州夜曲」などの往年のヒット曲を歌い、ステージ終盤に『あゝモンテンルパの夜は更けて』は披露された。この曲を聞いた108人の収容者は、死刑が執行された戦犯たちの事を想い、またある者は日本への望郷の想いを胸に、皆感極まって涙し、最後には全員で大合唱となった。作詞者の代田も、作曲者の伊藤も涙を流していた[6]

その後、この歌のヒットや渡辺はま子を始め、加賀尾秀忍ら関係者の努力が、当時のフィリピン当局を動かし、1953年(昭和28年)フィリピン共和国大統領エルピディオ・キリノ特赦によって、戦争犯罪者の日本への帰国が計られた。

シングル収録曲[編集]

オリジナル盤SPレコード(ビクター V-40901)
  1. あゝモンテンルパの夜は更けて
    作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康、編曲:加藤光男、歌:渡辺はま子宇都美清、伴奏:ビクター・オーケストラ
  2. この海越えて、雲越えて
    作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:加藤光男、歌:草葉ひかる、伴奏:ビクター・オーケストラ

脚注[編集]

  1. ^ 二木紘三のうた物語
  2. ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、40頁。ISBN 4390116010
  3. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』41-42頁。
  4. ^ 「メロディーとともに (18) ああモンテンルパの夜は更けて」『神戸新聞』1999年8月20日付夕刊、3面。
  5. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』42頁。
  6. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』43-44頁。

関連事項[編集]