ある機関助士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ある機関助士
監督 土本典昭
脚本 土本典昭
製作 岩波映画製作所
製作総指揮 土本典昭
出演者 中島鷹雄、小沼慶三
音楽 三木稔
撮影 根岸栄
配給 日本国有鉄道
公開 日本の旗 1963年
上映時間 37分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

ある機関助士』(あるきかんじょし)は1963年昭和38年)の日本国有鉄道(国鉄)企画、岩波映画製作所製作の日本映画

概要[編集]

1962年(昭和37年)5月3日、国鉄常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故、「三河島事故」の影響から、国鉄が安全性への取り組みを宣伝するため、国鉄によって企画され、岩波映画製作所によって制作された映画である。のちに水俣病ドキュメンタリー映画で大きな業績を残した土本典昭が、記録映画監督としてデビューした作品でもある。

当初は国鉄の安全性(新型保安装置「ATS」の普及)をアピールする一般的な宣伝映画を製作する予定で制作が進められていたが、土本監督の独断で、国鉄労働組合と話し合いや擦り合わせを行い協力を得た上で、世間から「事故の加害者」と糾弾されていた機関士機関助士を主演に採用し、乗務員職場の過酷な労働描写を主軸に置いた本格的なドキュメンタリードラマ映画に変更された。土本監督自身も乗務員の仕事の本質を理解するため、2日間ほど実際の機関助士の訓練を受けて事故を起こした常磐線の取材と体験乗務を行っている。撮影は常磐線のほか水戸機関区(現在のJR東日本水戸運輸区)や尾久機関区(現在のJR東日本・尾久車両センター)、中央鉄道学園青梅線東中神駅付近)でも行われ、1962年10月25日から1963年2月16日まで約4ヶ月間に渡って行われた。

その結果本作は俳優は一切使われず、現役の鉄道乗務員を主役にし、他の出演者もほぼ全員が現役の国鉄職員と言う異例の作品となった。また、現場のリアルな労働環境を撮影した公開鉄道映画は過去に例が無く、今までの鉄道映画には無かった斬新さと新鮮さで大きな話題性を呼び、数々の賞を受賞したほか、映画評論家の荻昌弘も週刊朝日のコラムで本作品を大絶賛している。

記録映画、宣伝映画として名高い当作品だが、乗務シーンは定期運行されている実際の旅客列車での撮影ではなく、撮影のために単機の蒸気機関車を臨時運行し、土本監督による台本セリフなど綿密な企画によって制作された作品である[1]。土本監督や根岸キャメラマンが残した資料は遺族の手で保存され、2009年平成21年)には東京国立近代美術館フィルムセンターでの展覧会「ドキュメンタリー作家 土本典昭」でも展示された。

本作品は制作依頼をした国鉄側の意向とは全く違う内容の映画になっていたことや部外者が見ることが出来ない職場内部や職員の過酷な労働環境の実態に多く触れた内容だったため、映画の出来具合を観た国鉄当局の幹部は、大事故の直後であったことや国鉄改革の低迷、職員のプライバシー、三河島事故遺族や世間の感情悪化などを憂慮して本作品の一般公開に難色を示し公開を見合わせていたが、土本監督が事前に組合から撮影許可を得ていて組合側も公開を容認していたことや世間から高い評価を受けて様々な賞を受賞したことなどから最終的に一般公開に踏み切っている。

あらすじ[編集]

ある機関士と機関助士の一日の勤務を追った内容となっている。舞台は電化の遅れていた常磐線取手以北。1962年(昭和37年)のある日、中島機関士と小沼機関助士はC62が牽引する急行みちのく」に乗務していた。この日は朝8時頃に職場となる尾久機関区に出勤し、上野 - 水戸間を急行「みちのく」で1往復運転して機関車を尾久の車庫にしまい、夜20時頃に退勤する日勤乗務である。午前中の下り急行「みちのく」青森行き11列車はダイヤ通り正確に走って定時に水戸に到着し、2人は夕方まで機関区内でゆっくり休息を摂ることができた。しかし、夕方の水戸17時27発の上り急行「みちのく」上野行き12列車が水戸に3分延着した。取手から上野までの電車(国電)区間(現在の常磐快速線区間)は既に夕方の帰宅ラッシュに入っていて過密ダイヤになっているゆえに遅延回復が不可能なため、取手到着前までに列車の遅れを回復して定時運行に戻さなくてはならず、一挙に緊迫した苦しい運転を強いられる事となった。水戸 - 上野間、許された最高速度は徐行区間を除いて95km/hまでであり、信号機の数は150、踏切の数も300ほどある。何が起こるかわからない緊張の1時間40分、一つのミスや誤りも許されない過酷な状況の中、2人は息の合った正確な作業で少しずつ遅れを取り戻していく。

その他に水戸駅での到着における引継ぎ、水戸機関区での他の機関士との休憩時間、国鉄労働医学研究室が中島機関士の乗務でテストした乗務中の身体調査に基づいた労働環境の資料作成の解説、小沼機関助士の鉄道研修所における3ヶ月半の訓練生生活の思い出や、蒸気機関車から電気機関車電車へと移り行く動力近代化と、廃止されることが確実な蒸気機関車とその過酷な勤務を追ったドキュメンタリー作品である。

また、三河島事故の事故車となり大破した状態で留置されているD51 364の姿も映画に収録されている。

キャスト[編集]

ナレーションは当時23歳だった小沼機関助士が担当している。小沼機関助士は1960年から水戸機関区で機関助士を勤め、この映画に出演した時は既に機関士職に内定していた。映画のクランクアップ後すぐに機関士訓練生(見習い)となり、翌年に機関士に昇格している。

その後[編集]

映画の公開から44年が経過した2007年、水戸機関区跡に建てられたホテルで記録映画の同窓会が開催された。この同窓会は4月14日NHK-BSで「記録映画同窓会 鉄路の誇りは今も 〜映画「ある機関助士」〜」として放送され、この番組に土本監督や68歳になった小沼元機関助士などが出演した。この同窓会の開催にあたり、もう一人の出演者だった中島元機関士にも知らせるためスタッフや国鉄OBなどが中島元機関士の家族や親族に連絡を取るなどして消息を調べたものの、本人は既に他界していた事が判明し、参加や番組共演は叶わなかった。

スタッフ[編集]

  • 監督土本典昭
  • 脚本: 土本典昭
  • 製作: 小口禎三
  • 撮影: 根岸栄
  • 録音: 安田哲男 
  • 照明: 松橋仁之、山本茂樹 
  • 演出助手: 泉田昌慶、岩佐寿弥
  • 撮影助手: 西山東男、奥村義博 
  • 録音助手: 岡本光司 
  • 照明助手: 重田清三
  • 製作係: 深井一二 
  • 進行: 山崎耕一郎
  • 音楽: 三木稔 
  • 解説: 大田正孝

受賞歴[編集]

  • 第18回芸術祭文部大臣賞
  • 教育映画祭一般教養映画最高賞
  • 日本紹介映画コンクール銀賞
  • キネマ旬報短編ベストテン第1位
  • 第14回(1963年)日本映画ブルーリボン賞教育文化映画賞
  • 第18回(1963年)毎日映画コンクール教育文化映画賞
  • ベルリン映画青年文化賞
  • 日本産業映画コンクール奨励賞

脚注[編集]

  1. ^ 鉄道ホビダス「編集長敬白」2008年08月22日

関連項目[編集]

参考文献[編集]