あるびれお

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あるびれお
Merdif 1時代(2006年)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
ギリシャの旗 ギリシャ
ヨルダンの旗 ヨルダン
所有者 太平洋沿海フェリー
太平洋フェリー
運用者 太平洋沿海フェリー
太平洋フェリー
建造所 内海造船瀬戸田工場
姉妹船 あるかす
IMO番号 7229980
経歴
起工 1972年
進水 1972年
竣工 1973年
就航 1973年2月
運航終了 1989年
最後 2010年インドで解体
要目
総トン数 9,750 トン
全長 167.2 m[1]
24 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 B&W 16U45HU×2[1]
出力 18,800馬力
最大速力 24ノット[1]
旅客定員 925名
車両搭載数 トラック95台・乗用車118台/乗用車のみ台[1]
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あるびれおは、太平洋沿海フェリーが運航していたフェリー

概要[編集]

1972年内海造船瀬戸田工場で建造され、1973年2月に就航した。

1978年に車両甲板の増設改造工事が行われた。

1987年 きそ就航により従来の白に赤ラインの塗装から白と青ラインの新塗装に変更された。

1989年、きたかみの就航により引退した。

その後、海外売船され、ギリシャen:Strintzis LinesIONIAN ISLANDとなり、クルーズフェリーに改造され1990年に再就航した。

2000年ブルースターフェリーに売却されBLUE ISLANDとなり、2001年にパトラ - ブリンディジ航路で運航された。 2001年トルコのMarmara Linesに傭船され、CESME 1となり、夏期にヴェネツィア - チェシュメ航路で運航された。 2003年アルジェリアen:Algerie Ferriesに傭船され、マルセイユ - アリカンテ航路で運航された。 2004年ドバイのMarco Shippingに売却され、MERDIF 1となり、ドバイイラクを結ぶ航路で運航された。

2010年にスクラップとして売却され、インドのアランに回航の後に解体された。

航路[編集]

太平洋沿海フェリー(→太平洋フェリー)

  • 名古屋港 - 大分港
仙台港の施設整備が間に合わず北海道航路の開設が遅れたため、暫定的に九州航路に就航した。
  • 名古屋港 - 仙台港 - 苫小牧港
本船、あるかすいしかり(初代)だいせつの4隻で1日1便を運航した。

Strintzis Lines

設計[編集]

あるかすの同型船である。1978年に車両甲板の増設工事を行っている。

船内[編集]

就航当初は、ステラ・コンパニオンという女性アテンダントが乗船していた[2]。また、供食サービスは銀座コックドールとの提携で提供されていた[2]

船室[編集]

  • 貴賓室(2名)
  • 特等(76名)
  • 一等(166名)
  • 特二等(201名)
  • 二等(410名)
  • ドライバー室(70名)

設備[編集]

Aデッキ[1]
  • 展望室「シーロンジ」(繁忙期はエコノミー室)
  • 浴室
  • 貴賓室(1室)
  • 特等室(22室)
  • 1等室(2室)
  • デッキ「星の広場」
  • 屋外ゴルフコーナー「パットパットゴルフ」
Bデッキ[1]
  • メインロビー
  • レストラン
  • ゲームコーナー
  • 案内所
  • 売店
  • 特2等室(4室)
  • 1等室(28室)
Cデッキ[1]
  • エントランスルーム
  • 大浴場
  • カードルーム
  • 特2等室(3室)
  • 2等/エコノミー(13区画)
  • ドライバー室
  • トラック・乗用車デッキ

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 「あるかす」に続き、第2船「あるびれお」をご紹介いたします! - 太平洋フェリー株式会社(Facebook)
  2. ^ a b 古坂典久「新造船「あるかす」の処女航海に乗って」『世界の艦船』第183号、海人社、1972年11月1日、103-105頁、2016年3月25日閲覧 

外部リンク[編集]