「ブラインドセーリング」プロジェクト

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「ブラインドセーリング」プロジェクト
開始年 2013年
企画 プロジェクトD2製作委員会
結果 太平洋上で不明物と衝突、浸水し、ヨットを放棄、ライフラフトに避難。海上自衛隊により救助される。
サイト ブラインドセーリング
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「ブラインドセーリング」プロジェクトは、岩本光弘辛坊治郎ヨット太平洋を横断するプロジェクトである[1]。企画主体はプロジェクトD2製作委員会(大阪・読売テレビ内)[2]

概要[編集]

「ブラインドセーリング」プロジェクトとは、ブラインドセーラーの岩本光弘[注 1]とニュースキャスターの辛坊治郎が、日本国福島県いわき市小名浜港からアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴまで、およそ5100マイル(約8200km)、間寛平アースマラソンの時に使ったヨット・エオラス号で帆走する企画であった。

企画
このプロジェクトの企画・発案はアースマラソンのサポートスタッフでもあった比企啓之によるものであった[3][4]。辛坊は2012年6月にこの話を受けたという[3]。岩本はもともと世界ブラインドセーリング大会日本代表などとして活躍した人物で、若い時からヨットで太平洋を横断することを夢としており、同じ夢を持つ辛坊と意気投合してパートナーになったという[5]
全盲者と健常者のダブルハンド(=2人)での太平洋横断挑戦は世界初とされた[3]
出発前に辛坊は「主役はHIROさん(=岩本)。私は海の盲導犬。故障が起きた時に治すのが私の仕事」と自分の位置づけを語り、「全部の機器が正常に動けば、HIROさんのシングルハンド(=単独での航海)でもできる。ただ、故障が起きた時に一人だと難しい」と、自分が同行する理由を説明した[3]
東日本大震災での被災から復興へ向かっている福島県を元気づけるべく、小名浜港を出港地に選んだという[5]
実行
2013年(平成25年)6月8日大阪府大阪市此花区大阪港(北港)を出港し、福島へ向かった[6]。出港に先立って、辛坊と岩本は震災の津波で大きな被害を受けた、いわき海星高ヨット部といわきジュニアヨットクラブに練習用のヨットを1艇ずつ贈った[5]6月16日に市民からの声援を受けつつ、福島・小名浜港から太平洋横断に向けて出港[7]。(この時点では)同年8月10日にサンディエゴへ到着予定だった[5]
しかし、6月21日7時45分頃に宮城県金華山の南東約1,200km沖合にてマッコウクジラと衝突して船体へ浸水し、人手およびポンプによる緊急排水を行っても浸水に追いつかない状況で、プロジェクト事務局を通じて第二管区海上保安本部に救助を要請した直後にヨットを放棄し、救命ボートへ避難した[8]。海保からの救助派遣要請により、海上自衛隊の救難飛行艇US-2と哨戒機P-3C計4機の航空機が相次いで出動。1機目の飛行艇は着水できずに引き返し、2機目が18時14分頃に現場海域で2人を救助した[9]。救助時、現場は波高3〜4m風速16〜18mという状況であった[9]。その後、救助機は22時30分頃に海上自衛隊厚木基地に到着した[10][11]。なお、この時の模様は、2017年3月30日放送の日テレ・ytv系「体感!奇跡のリアルタイム」で、再現の形で放送された。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]