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解説委員としての初仕事は同年[[4月20日]]の『[[NHKニュースおはよう日本]]』(「おはようコラム」コーナー)。解説委員に就任した頃は、[[2016年東京オリンピック構想]]が最終局面を迎えていたこともあり、出演した2回はいずれも五輪問題であった。同年[[10月2日]]深夜に放送された[[リオデジャネイロオリンピック|2016年夏季オリンピック]]開催都市決定特別番組にも出演した。
解説委員としての初仕事は同年[[4月20日]]の『[[NHKニュースおはよう日本]]』(「おはようコラム」コーナー)。解説委員に就任した頃は、[[2016年東京オリンピック構想]]が最終局面を迎えていたこともあり、出演した2回はいずれも五輪問題であった。同年[[10月2日]]深夜に放送された[[リオデジャネイロオリンピック|2016年夏季オリンピック]]開催都市決定特別番組にも出演した。

又、[[2013年]][[9月8日]]にオールナイトで放送した[[東京オリンピック|2020年夏季オリンピック]]の開催都市決定特番では見事に東京決定の瞬間に立ち会えた。実況は'''[[2020年]]、オリンピックと[[パラリンピック]]は東京で開催する事が決まりました!!'''であった。


2012年春の人事異動でG-Media出向(旧・情報ネットワーク時代に出向しているため通算2度目)となって解説委員の兼務からは退き、再びスポーツ番組専門アナウンサーとなった。現在のスポーツ担当解説委員は、同じくアナウンサー兼務の[[刈屋富士雄]]が務めている。<ref>解説委員は2011年6月の人事異動で就任しているため2012年春まではスポーツ担当解説委員が2人体制となっていた。</ref>
2012年春の人事異動でG-Media出向(旧・情報ネットワーク時代に出向しているため通算2度目)となって解説委員の兼務からは退き、再びスポーツ番組専門アナウンサーとなった。現在のスポーツ担当解説委員は、同じくアナウンサー兼務の[[刈屋富士雄]]が務めている。<ref>解説委員は2011年6月の人事異動で就任しているため2012年春まではスポーツ担当解説委員が2人体制となっていた。</ref>

2013年9月22日 (日) 21:49時点における版

うちやま としや
内山 俊哉
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 佐賀県佐賀市
生年月日 (1964-01-29) 1964年1月29日(60歳)
最終学歴 九州大学法学部卒業
勤務局 NHKグローバルメディアサービス
職歴 福岡佐賀名古屋→東京アナウンス室→松山旧情報ネットワーク出向→福岡→放送センター(解説委員とアナウンサーを兼務)→G-Media出向
活動期間 1986年
ジャンル スポーツ
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照
備考
出向扱い
解説委員は2009年から2012年3月まで兼任

内山 俊哉(うちやま としや)は、NHKチーフアナウンサーで一時期は解説委員も兼ねていた。

人物

佐賀県立佐賀西高等学校を経て九州大学卒業後、1986年入局。

入局以来長く国内外のサッカーを中心としたスポーツアナウンサーとして活躍してきたが、2007年2月に再び初任地の福岡局へ戻り、ニュースや地域報道に携わる場面も増えたが、2009年福岡局所属のままで解説委員(専門分野はスポーツ、山本浩の後任)に就任した。

解説委員としての初仕事は同年4月20日の『NHKニュースおはよう日本』(「おはようコラム」コーナー)。解説委員に就任した頃は、2016年東京オリンピック構想が最終局面を迎えていたこともあり、出演した2回はいずれも五輪問題であった。同年10月2日深夜に放送された2016年夏季オリンピック開催都市決定特別番組にも出演した。

又、2013年9月8日にオールナイトで放送した2020年夏季オリンピックの開催都市決定特番では見事に東京決定の瞬間に立ち会えた。実況は2020年、オリンピックとパラリンピックは東京で開催する事が決まりました!!であった。

2012年春の人事異動でG-Media出向(旧・情報ネットワーク時代に出向しているため通算2度目)となって解説委員の兼務からは退き、再びスポーツ番組専門アナウンサーとなった。現在のスポーツ担当解説委員は、同じくアナウンサー兼務の刈屋富士雄が務めている。[1]

現在の担当番組

過去の担当番組

脚注

  1. ^ 解説委員は2011年6月の人事異動で就任しているため2012年春まではスポーツ担当解説委員が2人体制となっていた。

外部リンク