「小山桂司」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: en:Kenji Oyama
編集の要約なし
2行目: 2行目:
|選手名 = 小山 桂司
|選手名 = 小山 桂司
|所属球団 = 東北楽天ゴールデンイーグルス
|所属球団 = 東北楽天ゴールデンイーグルス
|背番号 =
|背番号 = 65
|選手写真ファイル名 = CD-Keiji-Oyama.jpg
|選手写真ファイル名 = CD-Keiji-Oyama.jpg
|写真のコメント = 中日時代(2009年7月16日)
|写真のコメント = 中日時代(2009年7月16日)
56行目: 56行目:


{{by|2012年}}1月23日、金銭トレードで[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]へ移籍することが発表された<ref>{{Cite web|date=2012-01-23|url=http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/1861.html|title=金銭トレードに関して|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト|accessdate=2012-01-23}}</ref>。
{{by|2012年}}1月23日、金銭トレードで[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]へ移籍することが発表された<ref>{{Cite web|date=2012-01-23|url=http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/1861.html|title=金銭トレードに関して|publisher=東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト|accessdate=2012-01-23}}</ref>。

=== 楽天時代 ===
1月30日に入団会見を行い、背番号は中日時代と同じ'''65'''に決定<ref>{{Cite web|date=2012-01-30|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/01/30/0004779500.shtml|title=楽天・小山、移籍会見で震災で亡くした祖父に全力プレー誓う|publisher=デイリースポーツ|accessdate=2012-01-30}}</ref>。


== プレースタイル・人物 ==
== プレースタイル・人物 ==
95行目: 98行目:
=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''37''' (2006年 - 2008年)
* '''37''' (2006年 - 2008年)
* '''65''' (2009年 - 2011年
* '''65''' (2009年 - )


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2012年1月30日 (月) 09:01時点における版

小山 桂司
東北楽天ゴールデンイーグルス #65
中日時代(2009年7月16日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市太白区
生年月日 (1980-11-19) 1980年11月19日(43歳)
身長
体重
175 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2008年4月23日
年俸 2,300万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小山 桂司(おやま けいじ、1980年11月19日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手捕手)。宮城県仙台市太白区出身。

経歴

プロ入り前

小学3年生時に野球チームに入ってから一貫して捕手を務める。ただし大学時代に一時抑え投手として登板することもあった[1]

高校・大学時代には目立った活躍はできなかった。秋田経済法科大学を中退し、2003年に当時野村克也監督を務めていた社会人野球シダックスに入社した。その後、野村の厳しい指導のもと素質が開花。遠投110m以上の強肩で、送球が二塁に到達するまでの時間は約1.8秒[要出典]

2005年のドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で北海道日本ハムファイターズから5巡目で指名され、入団。

日本ハム時代

2006年、即戦力として期待されたが、寝坊や課せられた練習に不参加、チーム規律を破るなど野球に取組む姿勢を問題視され、オフには素行不良を理由に25%の減俸を科せられた。二軍では捕手としてチームトップの52試合に出場したが、打率.226に終わった。また、オフには三塁手へのコンバート案が出た。

2007年は一軍出場はなかったが、二軍で49試合に出場して打率.400の高打率を記録。守備では三塁手を中心に一塁手、捕手、外野手とさまざまなポジションで起用された。

2008年はオープン戦から一軍で出場し、4月23日オリックス戦でプロ初出場、5月1日ロッテ戦で初先発出場を果たした。

しかし、10月2日に球団から戦力外通告を受ける。その後、12球団合同トライアウトに参加し、視察に訪れていた中日ドラゴンズ落合博満監督の目に留まり、中日の秋季練習に参加。12月4日に中日と正式契約した。

中日時代

2009年、移籍後初の春季キャンプは一軍スタートとなり、そのまま完走してオープン戦でも起用されると、打撃、強肩でアピールして谷繁元信の控え捕手争いで一歩リード。そして、新天地で初の開幕一軍入りを果たす。

その後、谷繁が怪我で離脱。代役として先発マスクを被る機会も増え、打撃でもヒットを打つようになり、4月21日阪神戦(ナゴヤドーム)では、新天地で初のお立ち台に立った。また、同年5月12日ヤクルト戦(長良川球場)で一場靖弘からプロ入り初本塁打を放つ。谷繁の復帰以降は代走での起用や、相性のいい朝倉健太チェン・ウェインが先発する試合でスタメン出場する事が多かった等、調子が悪かった小田幸平を追い抜き、第二捕手としての地位を確立した。

2010年も開幕一軍スタート。序盤は昨年同様、チェン・朝倉とのバッテリーや、大量ビハインドの試合での出場機会があったものの、朝倉が調子を落とし、且つ小田が調子を上げた中盤以降は出場機会が激減。成績も打率以外は落としてしまう結果になった。結果的には第三の捕手としての起用に留まった。

2011年、移籍して3年連続しての開幕一軍スタート。序盤こそ出場機会は少なかったものの、交流戦で谷繁が怪我して以降は、元パ・リーグの経験を生かし、チームの交流戦上位に貢献。リーグ戦再開以降は打撃好調もあり、スタメン起用が多かったものの、チームの勝ち星が伸び悩んだ事もあり、前田章宏田中大輔との併用になった。シーズン終盤こそは出場機会は少なくなったが、中盤の活躍で連覇に貢献。日本シリーズにも出場した。

2012年1月23日、金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することが発表された[2]

楽天時代

1月30日に入団会見を行い、背番号は中日時代と同じ65に決定[3]

プレースタイル・人物

強肩の捕手であるが、フォークなどの変化球を後ろに逸らすなどキャッチングが課題である為、小田がいる時は谷繁がスタメンから外れても出番が少ない。スタメンで出ても岩瀬登板の時は谷繁か小田か前田に交代される事が多い。捕手としては俊足であるため、代走として起用されることも多い。

2011年東日本大震災宮城県石巻市に住んでいた祖父を亡くした。4月2日に行なわれた慈善試合では、8回の守備に就いた際、スタンドから声援を受けた[4]4月30日広島戦でシーズン初めてスタメン起用され、第一打席に今村猛の初球をレフトスタンドへの3ランホームランを打った。お立ち台で、「おじいちゃんが打たせてくれたと思います」と語った。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 日本ハム 27 31 29 3 5 1 0 0 6 0 0 0 1 0 1 0 0 3 5 .172 .200 .207 .407
2009 中日 59 137 122 13 19 5 1 1 29 10 0 0 1 0 12 0 2 31 1 .156 .243 .238 .480
2010 35 76 65 5 14 3 0 0 17 4 0 0 3 3 5 0 0 20 3 .215 .260 .262 .522
2011 51 102 82 7 23 4 1 1 32 10 1 0 3 1 16 0 0 31 0 .280 .394 .390 .784
通算:4年 172 346 298 28 61 13 2 2 84 24 1 0 8 4 34 0 2 85 9 .205 .287 .282 .569
  • 2011年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 37 (2006年 - 2008年)
  • 65 (2009年 - )

脚注

  1. ^ 「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、20-21頁。
  2. ^ 金銭トレードに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト (2012年1月23日). 2012年1月23日閲覧。
  3. ^ 楽天・小山、移籍会見で震災で亡くした祖父に全力プレー誓う”. デイリースポーツ (2012年1月30日). 2012年1月30日閲覧。
  4. ^ 震災で祖父死亡…宮城出身・小山に大声援”. スポーツニッポン (2011年4月3日). 2012年1月23日閲覧。

関連項目