「ヒップホップ」の版間の差分
Tadahisa shinkawa (会話 | 投稿記録) |
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== インタビュー記事 == |
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*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2007/04/mitsu.html SOUND FINDER Interview with DJ MTISU THE BEATS] |
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* [http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2006/12/post_2835.html SOUND FINDER Interview with DJ HAZIME] |
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2010年1月11日 (月) 09:08時点における版
ヒップホップ(hip hop)は1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化。
アフリカ・バンバータによる造語であり、「アフロ・アメリカンが、文化(音楽、ファッション、アート)を取り入れ、新しいスタイルを生み出すこと」をヒップホップ(hipもhopも弾ける、躍動するという意味)と呼称したのが始まりである。 これは1974年11月のことだったとされる。この事から、11月を「Hip Hop History Month」として祝う習慣がある。
単に「ヒップホップ」と言った場合、文化から派生したサンプリングや打ち込みを中心としたバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽形態を特に指すことが一般化しているが、これらは本来はヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。
ヒップホップの要素
主に、四大要素と呼ばれるラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティによって構成される。
これらはアメリカのストリートギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われたり、ギャングたちの縄張りの主張や情報交換の目的に、一部のグラフィティが用いられていたと言われている。ラップ、DJ、ブレイクダンスは、フリースタイルバトルと呼ばれる対決方式が存在する。
現在は発祥地アメリカだけにとどまらず、ダンスのジャンルとしてブレイクダンスを踊ったり、グラフィティをアートとしてとらえる動きもあるほか、ストリートカジュアルの様式としてファッション業界に影響を及ぼすなど、多方面に於いて世界各国に広まっている。
ヒップホップ・ミュージック
その創始には諸説が有るが、一般的に1970年代初期に生まれ、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術の流布者)、アフリカ・バンバータの3大DJたちの活躍によって、それまでのコミュニティ・パーティを超えた音楽として広がり始めた。
曲調やダンス、ファッションなどのスタイルを、それぞれオールド・スクール(Old School, 70年代~1986年)、ニュー・スクール(New School, 1989年~90年代初期)、ネクスト・スクール(Next School, 90年代初期)など、各時代によって区別されていたが、現在では1989年以降の全てを「ニュースクール」と呼ぶようになっている。 また、これとは別に日本が生んだ造語として、1986年~1992年を表すミドル・スクール(Middle School)という言葉があり、当時隆盛を極めていたニュージャックスウィングの影響を受けたものもこれに含まれる。 そしてこの時期は、音楽面で革新的な技法・作品が多く生み出されたことから、「ゴールデンエイジ・ヒップホップ」などとも呼ばれている。
オールドスクールのヒップホップミュージックは、DJとMCの融合が完全にされていない時代であったため、歌詞よりリズムを主体とする。ファッションはRun-D.M.C.に象徴される、(イエロー)ゴールドアクセサリーにアディダス製のジャージとスニーカーなどである。
ニュー・スクールは現代までだが、実際のところヒップホップが全世界的に認知される直前の、90年代までを指す場合が多い。 ファッションは、シルバー(銀製品に限らず、ホワイトゴールドやプラチナなど、シルバーカラーの)アクセサリー、特に近年は成功者の象徴としてダイヤモンドをあしらった装飾具が好まれる傾向にある。サイズの大きな衣服や、バギースタイルのパンツ(大きいサイズのダブついたズボン)を選び、腰履きで着こなすアーティストが多い。大きい服を着るようになったのは、刑務所の囚人服は、走ることや格闘が困難になるように、必要以上に大きめのサイズが用意されている。そのため腰がずり落ちてバギーパンツになった。出所後も「ムショ帰り」を誇示するために着用された、とする説がある。しかし、貧困のために頻繁に服を買ってやれない親が、成長してからも着られる大きいサイズの服を買い与えたところからとする説が有力である。
別のカテゴライズとして、アーティストの出身地などから、ヒップホップ発祥の地であるN.Y.などのアメリカ東海岸におけるイースト・コースト・サウンド、L.A.などのアメリカ西海岸におけるウエスト・コースト・サウンド(ウエスト・サイド)といった、地域による分け方がある。初期のイースト・コースト・サウンドは、ジャズトラックを使用した楽曲が多く、対して初期のウエスト・コースト・サウンドは、Gファンクと呼ばれる、Pファンクなどをサンプリングし、シンセサイザーなどの電子音を取り入れたトラックに、ギャングスタ・ラップと呼ばれる、ギャング出身者が、そのライフスタイルを歌詞にしたラップを乗せることが多かった。近年はサウス(南部)やミッドウエスト(中西部)と呼ばれるローカルサウンドも登場している。サウスのトラックは、バウンスビートが特徴である。ヒップホップのポピュラー化により、東海岸でギャングスタ・ラップをするものが現れたりするなど、地域による分類が、MCの出身地訛り以外では、それほど意味をなさなくなっている。地域性よりも、ファレル・ウイリアムス、カニエ・ウェストといったプロデューサーたちの音楽性が、楽曲の特徴になっているのが現状である。しかしその一方、これらの地方性の名称に固執する日本のリスナーも多くいる。彼らがウエスト、と言った場合90年代の西海岸アーティストの作品、サウスといった場合は05年以降に輩出された南部出身アーティストの作品を指すこと多い。例えばアウトキャストは南部出身だが、いわゆる近年「サウス」と呼ばれる楽曲には含まれない。
R&Bやレゲエとの境界は、それらジャンルのアーティストとのフィーチャリングなどにより徐々に薄れつつある。
ヒップホップ東西抗争
1990年代頃から東海岸を代表するディディ(パフ・ダディ)、ノトーリアス・B.I.G.擁するバッド・ボーイ・エンターテインメント(Bad Boy Entertainment)と、西海岸を代表するスヌープ・ドッグ、2パック(出身はイースト・コーストではあるが、最盛期の活動場所はウエスト)らが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が象徴的であるように、両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、中傷し合った。それらの内容はラップの歌詞にも現れ、ギャングやマフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展した。ヒップホップ史上最悪であるこの東西抗争は、2パック、ノートリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有能なMCを、ともに銃撃事件で失うことになる。事態を重く見たドクター・ドレーが沈静化に努力した。
現在は、個人間のビーフ(中傷合戦)を除いて、沈静化している。
代表的なレコードレーベル
※五十音順
- アフターマス・エンターテインメント
- エンジョイ・レコーズ
- キャッシュマネー・レコーズ
- ザ・インク・レコーズ
- Gユニット・レコーズ
- シェイディ・レコーズ
- シュガーヒル・レコーズ
- ストロングシティ・レコーズ
- ソーソーデフ・レコーディングス
- デス・ロウ・レコーズ
- デフジャム・レコーズ
- ノーリッミツ・レコーズ
- バッドボーイ・レコーズ
- フリップモード・レコーズ
- ロカフェラ・レコーズ
- ワイルドピッチ・レコーズ
日本だけで使われる解釈
- ミドル・スクール
- 1986年から1992年までのヒップホップを表す日本独自の造語。
- Bボーイ
- アメリカで「Bボーイ(B-Boy)」と言えば、一般的にはブレイクダンサーの事を指す。 この言葉は、クール・ハークによって作られ、ブロックパーティなどでブレイクビーツを流すと踊りだすダンサーの事を、「ブレイク・ボーイ(Break-Boy)」あるいは「Bボーイング(B-Boying)」と呼んだ事に由来する。 “B”とは、ブレイキン(Breakin')や、ヒップホップ発祥の地であるブロンクス(Bronx)の“B”だとされている。 1980年代後半にも、Run-D.M.C.がブレイクダンサーのような動きやファッションを取り入れ、それを「B-Boy Stance」と呼んでいたが、日本ではB-Boyの“B”は“black(ネグロイド)”や“bad(不良)”の“B”という安易な解釈が消えず、「ブラックファッションをしている人」も「Bボーイ」と表現される。 これらの解釈は誤用だが、日本においてはヒップホップカルチャーに通じていない人には一般に誤用されている。
- ヒップホッパー
- 日本では、「ヒップホッパー(Hip Hopper)」という言葉も「Bボーイ」と同様に、「ヒップホップ文化に没頭する人」と解釈される。 しかし、KRS・ワンなどによると、本来は「ヒップホップの四大要素全てが凄腕で、筋金入りのヒップホップ育ちのような人」を指す。
代表的なアーティスト
MC
- 世界のヒップホップMC一覧を参照。
DJ
グラフィティアーティスト
死去したヒップホップ関連人物
※ヒップホップの文化に於いて、著名であったMC、DJ、プロデューサー、ダンサー、グラフィティアーティストなどの故人を記す。
- Scott La Rock (「Boogie Down Productions」のDJ。1987年に射殺。25歳)
- Jean-Michel Basquiat (画家。1988年8月12日に薬物依存で死去。27歳)
- Paul C (プロデューサー。1989年7月17日に誤って射殺。24歳)
- Keith Haring (画家。1990年2月16日にエイズの合併症で病死。31歳)
- Trouble T Roy (「Heavy D and the Boyz」のダンサー。1990年7月15日にバルコニーから転落し頭部を打って死去。32歳)
- Danny Rodriguez (1990年10月6日に射殺。32歳)
- MC Trouble (1991年に持病だったてんかんの発作で病死。21歳)
- Eazy-E (1995年3月にエイズの合併症で病死。27歳)
- Sugar Shaft (X-ClanのDJ。1995年に死去。23歳)
- Buffy (「Fat Boys」の元メンバー。1995年12月10日に肥満による心不全で病死。28歳)
- Seagram (1970年生まれ。1996年7月31日に殺害)
- 2PAC (1996年9月に射殺。25歳)
- The Notorious B.I.G.、 (1997年3月9日に射殺。24歳)
- Fat Pat (ヒューストンの「Screwed Up Click」のメンバー。Big Hawkの弟。1998年2月3日に射殺。27歳)
- Big L (1999年2月に射殺。24歳)
- Freaky Tah (「Lost Boyz」のメンバー。1999年3月28日の夜にクイーンズのシェラトンホテルで行われた同メンバー・Mr.Cheeksのバースデーパーティーにて、頭部を拳銃で撃たれ、翌29日午前4時20分に死去。27歳)
- Big Pun (2000年2月に肥満による心臓疾患で病死。28歳)
- E-Money Bags (2001年7月16日に死去。30歳)
- DJ Uncle Al (2001年9月10日に殺害。32歳)
- Left Eye (「TLC」のメンバー。2002年4月25日に自動車事故死。30歳)
- Jam Master Jay (「Run-D.M.C.」のDJ。2002年10月30日に射殺。38歳)
- Marlon Fletcher (別名:Big DS。「Onyx」のメンバー。2003年5月22日、癌の合併症により病死)
- Mac Dre (2004年11月1日に射殺。34歳)
- Ol' Dirty Bastard (「Wu-Tang Clan」のメンバー。2004年11月13日にドラッグ過量摂取の後遺症で病死。35歳)
- J Dilla (2006年2月10日に肝臓の病で死去。32歳)
- Proof (「D12」のメンバー。2006年4月11日に射殺。32歳)
- Big Hawk (ヒューストンの「Screwed Up Click」のメンバー。Fat Patの兄。2006年5月1日に射殺。36歳)
- Stack Bundles (2007年6月11日に射殺。24歳)
- Big Moe (ヒューストンの「Screwed Up Click」のメンバー。2007年10月14日に心臓発作で死去)
- Pimp C (「UGK」のメンバー。2007年12月4日にアヘンのオーバードーズにより死去。33歳)
- K.L. Kamakaze (「Screwball」のメンバー。2008年3月28日に死去。36歳)
ヒップホップ関連映画
※印は日本劇場未公開作品
- ワイルド・スタイル - Wild Style (1982年)
- ビート・ストリート - Beat Street (1984年)※
- ブレイクダンス - Breakin' (1984年)
- ブレイクダンス2/ブーガルビートでT.K.O! - Electric-Boogaloo Is Breakin' 2 (1984年)
- クラッシュ・グルーブ - Krush Groove (1985年)
- ドゥ・ザ・ライト・シング - Do The Right Thing (1989年)
- ジュース - Juice (1992年)
- ビート・オブ・ダンク - Above The Rim (1993年)※
- ポケットいっぱいの涙 - Menace II Society(1993年)
- クロッカーズ - Clockers (1995年)
- ロミオ・マスト・ダイ - Romeo Must Die (2000年)
- トレーニング デイ - Training Day (2001年)
- セイブ・ザ・ラスト・ダンス - Save The Last Dance (2001年)
- サウスセントラルLA - BABY BOY(2002年)
- 8 Mile - 8 Mile (2002年)
- ブラウン・シュガー - Brown Sugar (2002年)※
- ユー・ガット・サーブド - You Got Served (2003年)※
- ブラック・ダイヤモンド - Cradle 2 The Grave (2003年)
- ダンス・レボリューション - Hunny (2003年)
- クリップス - Redemption: The Stan Tookie Williams Story (2004年)※
- スピリット・ボクシング - Shackles (2005年)※
- コーチ・カーター - Coach Carter (2005年)
- ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン - Get Rich or Die Tryin' (2005年)
- ATL - ATL (2006年)※
関連項目
外部リンク