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*一時期レース後の勝利インタビューには小ネタを披露していた。特に2002年のダイヤモンドステークスを制した時には、テレビ通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。アドマイヤコジーンで[[東京新聞杯]]や[[阪急杯]]を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答える。アクティブバイオに騎乗し[[マンハッタンカフェ]]を破った[[日経賞]]では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えたりしていた。しかし、さすがに度が過ぎたのか、これらの行為に関してJRA上層部から注意を受けたと後に語っている。その暴挙については今でも賛否両論がある。
*一時期レース後の勝利インタビューには小ネタを披露していた。特に2002年のダイヤモンドステークスを制した時には、テレビ通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。アドマイヤコジーンで[[東京新聞杯]]や[[阪急杯]]を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答える。アクティブバイオに騎乗し[[マンハッタンカフェ]]を破った[[日経賞]]では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えたりしていた。しかし、さすがに度が過ぎたのか、これらの行為に関してJRA上層部から注意を受けたと後に語っている。その暴挙については今でも賛否両論がある。
*1999年2月に『遥かな君に』で歌手デビュー。同年8月には田中勝春、松永幹夫を始めとする「J6」なるユニットでもCDを出している。また「[[週刊Gallop]]」にコラムの連載を続けている。
*1999年2月に『遥かな君に』で歌手デビュー。同年8月には田中勝春、松永幹夫を始めとする「J6」なるユニットでもCDを出している。また「[[週刊Gallop]]」にコラムの連載を続けている。
*[[渡辺美奈代]]の大ファンで高校時代は[[親衛隊]]に入っていた事もある。
*[[渡辺美奈代]]の大ファンで高校時代は[[親衛隊_(アイドル)|親衛隊]]に入っていた事もある。


==不祥事及び事件==
==不祥事及び事件==
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[[Category:オスカープロモーション|ことう ひろき]]
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[[Category:1974年生|ことう ひろき]]
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2007年10月18日 (木) 20:14時点における版

後藤浩輝
出生名 後藤浩輝
生誕 (1974-03-19) 1974年3月19日(50歳)
出身地 神奈川県相模原市
学歴 競馬学校
職業 騎手
活動期間 1999年~(歌手として)
レーベル フォーライフ・ミュージックエンタテインメント
事務所 オスカープロモーション
公式サイト www.yasaijuice.com/index.html

後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。神奈川県相模原市出身。美浦所属で、現在はフリー(どこの厩舎にも所属しない騎手)。またテレビでの芸能活動をするためオスカープロモーションにも所属。

経歴

1992年に美浦の伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー。同期には上村洋行小林淳一橋本美純横山義行吉永護らがいる。初騎乗は1992年3月1日中山競馬第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった。初勝利は同年4月4日の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった。

1994年福島記念にて騎乗したシルクグレイッシュで重賞初勝利。同馬は当初、先輩である小野次郎が騎乗する予定だったが、小野が前のレースで落馬したため急遽乗り替わった。余談だが、これは負担重量50kgで騎乗出来る一流騎手が空いておらず、無名だが騎乗可能な若手の後藤に白羽の矢がたった。ちなみにシルクグレイッシュを管理する大和田稔調教師は、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。

1995年にフリー騎手として独立。翌1996年にはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市カルダー競馬場を拠点に半年の武者修行に出る。アメリカの成績は158戦7勝。アメリカから帰国した1997年以降は飛躍的に成績を伸ばし、1998年には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)。

1999年8月8日新潟競馬場で行なわれた関屋記念リワードニンファに騎乗し優勝。その走破タイムは当時の芝1600mの日本レコードである1分31秒6だった。しかし直後の8月19日に同僚の後輩騎手である吉田豊に対し、騎手寮内で木刀を使い一方的に殴打するという事件を起こし、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる不祥事を起こした。原因として8月15日の新潟第3競走にて、輪乗していた吉田の騎乗馬(マチカネラッパ=1着)が後藤の騎乗馬(フェイスフルアクト=3着)に接触、この事について二人は激しく口論していた。また日頃から、吉田の愛想がない態度に不満を持っていたといわれる。事件後当分の間の騎乗を自粛。9月の裁定委員会で、これまでの騎手の騎乗停止では最長となる騎乗停止4か月の処分を受ける。12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間の騎乗停止処分を受ける。

処分を受けた競走の次の競走は有馬記念であった。自身スエヒロコマンダーで初の有馬記念騎乗となるが11着に敗れる。

2000年には、これまでに無い好騎乗を見せるようになり、年末の最後まで岡部幸雄横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。関東リーディングは2位、また初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たす。ちなみにダイヤモンドステークスユーセイトップランに騎乗して東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である。ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。

2002年6月2日安田記念アドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央GI初勝利。この後イギリスへ再び3ヶ月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。2006年11月25日ジャパンカップダートアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。

2007年9月12日千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテマリーンズ北海道日本ハムファイターズの試合開始前に始球式を行った。背番号510番のロッテのホームユニフォームと下半身に白鳥を装着し投球を行った。9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。

人物

  • 一時期レース後の勝利インタビューには小ネタを披露していた。特に2002年のダイヤモンドステークスを制した時には、テレビ通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。アドマイヤコジーンで東京新聞杯阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答える。アクティブバイオに騎乗しマンハッタンカフェを破った日経賞では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えたりしていた。しかし、さすがに度が過ぎたのか、これらの行為に関してJRA上層部から注意を受けたと後に語っている。その暴挙については今でも賛否両論がある。
  • 1999年2月に『遥かな君に』で歌手デビュー。同年8月には田中勝春、松永幹夫を始めとする「J6」なるユニットでもCDを出している。また「週刊Gallop」にコラムの連載を続けている。
  • 渡辺美奈代の大ファンで高校時代は親衛隊に入っていた事もある。

不祥事及び事件

  • 1999年5月4日新潟公営の豊栄記念レース後にて、中年男性が検量室内に侵入し、いきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と後藤を怒鳴りつけ殴りかかった。
  • 1999年8月19日美浦トレセン内にある若駒寮にて、後輩騎手である吉田豊が新潟競馬での彼の騎乗に抗議したことに腹をたて、無抵抗の吉田豊を木刀でメッタ打ちにする暴行を加えた。騎乗4ヶ月停止の処分。
  • 2000年5月7日福島競馬場にて、調教師の高市圭二が後藤に対して殴打。その前日の5月6日のメインレースで後藤は、自分の騎乗馬が落馬したカラ馬に不利を受けたとマスコミに言及。カラ馬を管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。
  • 2006年5月14日東京競馬場の検量室前で調教師の谷原義明が、手にしてしたレーシングプログラムで後藤の背中を叩き激高。谷原が管理する馬(オーゴンサンデー)に騎乗したが、後方待機と指示した作戦を後藤が無視したため。

このように何かとトラブルが付きまとう騎手でもある。

アドマイヤコジーン以外で騎乗経験のある主な競走馬

出版物

  • 意外に大変。(東邦出版)
  • 後藤チョップ(廣済堂)
  • 後藤浩輝の“戯言”(東邦出版)

ディスコグラフィ

シングル

  1. 遥かな君に
  2. 虹色の風で
  3. 遥かな君に
  • Destination(テイチク)

コラム

  • GO TO ジャーナル(週刊Gallop)

外部リンク

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